ちくまプリマー新書

普通に働く、が難しい
『あなたのキャリアのつくり方』 「はじめに」より

学んだその先に、まずはシューカツ

 今から8年前の2009年に『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』という本を書きました。私にとっては初めて一人で書いた本であり、記念すべきデビュー作です。時間が経つのは早いですね。

 その本には「キャリアにつながる学び方」というサブタイトルをつけました。また、「はじめに」では、「この本が論じていくことは、まさに“Learn To Work And Work To Learn”(働くために学び、学ぶために働く)ということです」とも書きました。読者になってくださるだろう高校生や大学生の皆さんを思い浮かべながら、将来働くことを見据えて、「今、どう学べばいいのか」をじっくり考えてほしい一心でした。

 最終章は「『チカラ』を身につけると楽しいですよ。世界観が変わること請け合いです。そして、自信を持って就職活動に向かう。自信は人を大きく見せますからね。採用担当者の目には、きっと堂々たる『成長株』として映ることでしょう」と、社会に出る一歩手前で締めくくりました。

 今でも「どう学ぶか」が大切であるという考え自体は変わっていませんし、充実した学びが成し遂げられれば、「これでもう大丈夫、きっとやっていける」という自信が得られることも間違いないと思っています。とはいえ、やっていく先の「社会」の変化があまりにも目まぐるしいので、その変化を的確に察知し、自分はどう対応すべきかを問われ続けるようになりました。

 つまり、「学んだ後、どうすればいいのか」は、「チカラ」を身につけた一人ひとりに任されるのですが、その任される範囲が格段に広がったということです。これまではある程度就職先の企業にキャリアを委ねることができていたのが、そうもいかなくなったことが原因の一つです。自分がどういうキャリアを築いていくのかを、あらゆる可能性を検討しながら常に模索していくことが求められるようになったのです。

 私はもともと新卒労働市場、つまり大学生の就職を自分のテーマとして研究者になりました。おまけにずっと大学勤めなので、学生たちの就職活動(就活)の動向はいつも気になっています。猫の目のように採用スケジュールが変化するのにもいちいち驚かなくなりましたが、そういった変化は「新卒一括採用」が前提になっているからこそ生じる現象です。

 2016年は、経団連(日本経済団体連合会)が会社説明会などの「広報活動」を3月、面接などの「選考活動」を6月に解禁するという指針を定め、約1300社の会員企業に順守を呼びかけました。経団連の会員企業は、日本を代表する大企業が多く、就活生の人気も高いことから、その指針には絶大な影響力があります。ゆえに3月1日が「就活本格スタート」となり、その様子はマスメディアなどでも一斉に報じられました。

 私が勤務する同志社大学でも、メインの校舎にある大教室はほぼ会社説明会用に占拠され、春休み中だというのに真っ黒な髪で、真っ黒なリクルートスーツに身を固めた学生たちでごった返していました。彼ら彼女らの表情からは、「出遅れてはならない」「乗り遅れてはならない」という緊張感がひしひしと伝わってきます。その集団に交じるだけでも気後れする学生はいるだろうなと、見ていて少し気の毒になりました。

 仮に就職戦線を戦い抜いて、見事に希望する企業の内定を勝ち得たとしましょう。一安心、ではあると思いますが、これで人生万事最後まで安泰、と言えるでしょうか。この先40年以上の働く期間が待ち構えていることになります。これだけ変化の激しい現代において、40年後の企業や社会がどうなっているのかなど、正直なところ誰にも分かりません。

 

働く40年間を想像できますか?

 では、40年前はどんな時代だったのでしょうか。まだ生まれていない読者の皆さんがほとんどかもしれませんが、1970年代半ばの日本は、高度経済成長期の真っ只中で、鉄鋼や石油化学などの重厚長大型の産業が経済の中心を占めていました。

 今や日常使いの道具として欠かせなくなったパソコンもスマホも当然ありません。アップルコンピュータが設立されたのがこの頃ですから、当時は2010年代にどのような産業が台頭し、人々がどのように働いて生活するようになっているか想像もできなかったことでしょう。海の物とも山の物ともつかないできたてのアップルコンピュータに入社して、人生を賭けてみようとはなかなか思えなかったはずです。

 ですから、今から40年後の2050年代も、私たちが持ち合わせている感覚や想像の全く及ばない世界になっているのはほぼ確実です。40年後どころか、それよりもはるかに短いスパンで、想定外の事態が次々に起こることでしょう。

 例えば、日本の大企業に就職したはずなのに、買収されていつの間にか外国企業で働いていることになっていたり、不正会計やデータ偽装などの不祥事によって大規模なリストラの対象になったり、他社の傘下に入ることで環境が大きく変化したりすることも、今となってはごくありふれた話のように聞こえます。

 安倍晋三内閣の経済政策・アベノミクスでは、「一億総活躍社会」の実現を掲げていますが、「保育園落ちた日本死ね」というブログが大きな話題になったように、育児や介護など、生活の状況が変わることによって働きたくても働き続けられない、活躍できないという事態がいとも簡単に起こります。

 グローバル化やIT化などの技術革新が加速すれば?外国人やロボットと仕事を奪い合うような場面も現実味を帯びてくることでしょう。

 それだけではありません。身の回りには「普通に働くことができさえすれば何とかなるのに」という問題が嫌というほど転がっています。例えば、子どもの貧困、中高年フリーター、下流老人、……奨学金もその一つです。進学するために借りた奨学金の返済に苦労するのは、多くの場合、無理をして進学したにもかかわらず、安定した収入を得られる職に就けなかったことが原因です。だからといって進学を諦めれば、より一層働くための条件が悪くなるという悪循環が待ち構えています。

 学校を出て、普通に就職して、家族を持って、いろいろありながらもご縁のあった職場で定年まで勤め上げることができた時代は確かにありました。

 しかし今はどうでしょう。就活を乗り切ったとしても、そこで考え得る限りのベストの選択ができたとしても、その後何が起こるか分からない、全く油断できないのが実情なのです。「この会社で定年まで勤め上げる」と確信を持って入社できる新入社員は、もはや絶滅危惧種に近いのではないでしょうか。

 普通に働く、働き続けるということが本当に難しくなった、というのが偽らざる実感です。一体どうしてこんなことになったのか、それをまずきちんと把握し、理解しなければなりません。本書の第一の目的は、その点にあります。

 

「乗り越え方」を探してみよう!

 普通に働く、が難しくなりました。そのこと自体は、前の本を書いていた時点でもすでに分かっていたことでした。だから「何があっても40年以上の働く期間を乗り越えていく力を身につけよう」というメッセージにつながったのです。「学び方」に軸足を置き、「外的要因がどうであれ、自らのキャリアをたくましく築いていけるだけの力を存分に身につける」という方向性を打ち出すのはごく自然なことでした。

 今回はさらに一歩進んで、「乗り越え方」のバリエーションを具体的に検討してみようと思うのです。これが本書の第二の目的です。

 ここまで「働く」とさらっと書いてきましたが、その意味するところは、やはり「企業などで雇用されて働く」ことです。もちろん給料ももらっています。実際、「働く」と言えば、どこかに雇用されて働くことをイメージしがちですし、自営業が比較的少ない日本では、就業者の9割方が雇用者で占められています。

 では、これまたさらっと書いてきた「普通に働く」とはどういうことを指しているのでしょうか。皆さんが何となく「普通に働く」に持っている共通のイメージは、恐らく安定した優良企業に正社員として雇用され、真面目に働いてさえいれば給料やボーナスがもらえ、着実に昇進・昇給し、家族を養うことにも困らず、定年まで勤め上げることができる、というところでしょう。

 その「普通に働く」を実現できる職場が、明らかに希少価値を持つようになってきました。絶対に全員の手には入らない。それでもなお、断固として「この道しかない」のでしょうか。

 新卒一括採用が主流であり、新卒のプラチナカードは1回しか切れない以上、そのチャンスを無駄にすることなく必死になって就活して、なるべく「普通に働く」が実現できそうな企業に就職するのが「無難」であり「賢い」と言えるのでしょうか。これだけ先行きが不透明であるにもかかわらず、です。

「失敗は成功の母」とよく言われるのに、新卒就活の失敗だけは、何が失敗なのかもよく分からないまま過度に忌避されています。社会への入口で直面する息苦しさや逃れられないプレッシャーが、むやみに大きいような気がしてなりません。

 そんな中で、「普通に働く」を手に入れられなかった場合はどうすればいいのでしょうか。仮に「普通に働く」を首尾よく手に入れたとしても、何かの拍子に指の間からすり抜けてしまうことは、いつ誰の身に起こっても不思議ではないのです。

 

普通に働く、が難しくなったからこそ

「普通に働く」がこれだけ難しくなると、それはもう「普通」であるとはとても言えないと思いませんか? にもかかわらず、私たちはこれまでの経験や常識から「普通」にこだわろうとします。

「普通に働く」が難しい、だからがんばろう、自分だけは何としてでも手に入れよう、ではなく、だったらこれまでの経験や常識の枠を外してみよう、他に行き場ややりようがないのか探ってみよう、というのが本書の最大にして最終的な目的です。

 つまり、やみくもに「普通に働く」を守り抜く努力をするのではなく、同時並行でそれに代わる道(選択肢)を模索してみる価値はあるのではないでしょうか。学校を出て社会人になる、そこには一つの大きな壁が存在します。入口も一つしかないように見えて、「この道しかない」と思い込まされています。ただ、その道でさえも、安心して最後まで歩けるかどうかは定かではありません。

 迂回路はないか、脇道はないか、自分だけのオリジナルな道を創ることはできないか、けもの道だって歩いてみれば何とかなるかもしれない。本来、社会人になれば新たな視界が開けて、様々な可能性の広がりが見えてくるはずです。

 就職したからといって不自由になる、身動きが取れなくなるわけではありません。自分の力を社会に活かすための選択肢がどれだけ存在するのか、「普通に働く」が難しくなった今だからこそ、それを探る絶好の機会が到来したと言えるでしょう。

 

キャリアの選択肢に……NPO?

 では、「普通に働く」に代わる道(選択肢)は、以前に比べて増えているのでしょうか。その前に「それって本当にありますか?」という問いかけのほうがしっくりくるかもしれませんね。

 昨今は、大学生の就活に対する親の関与が強くなってきているようです。親を対象にした説明会やセミナーを実施する大学や企業も珍しくありません。親の立場からすると、大学まで進学させた子どもに就活する気配が見られないとなれば、さすがに穏やかではいられないのでしょう。

 ちょうど2016年の就活が始まった3月頃、私は「日本NPO学会」という学会の年次大会の運営委員長として、「Gateway To NPO––キャリアの選択肢として」と題する公開シンポジウムを企画し、実施しました。

 NPO(Non-Profit Organization:非営利組織)というフィールドに活躍の場を見出した幅広い年代のパネリストと共に、人々のワークキャリア(働き方)とライフキャリア(生き方)の両面において、NPOがどのように位置づけられるようになってきたのかを議論したいと思ったからです。

 パネリストの中には、20代や30代の若者もいれば、NPOという言葉がそれほど知られていなかった時代から地道に活動を続けてこられた先駆者もいます。それぞれに高度な専門性や実力、経験をお持ちで、十分に「普通に働く」を手に入れられそうな方々ばかりです。それだけに「どうしてまたNPOに?」という素朴な関心から、どんどん話が展開していきました。

 そのシンポジウムでの議論やパネリストの皆さんの充実した活動ぶり、生き様に触れた後、一歩会場の外に出れば真っ黒なリクルートスーツの就活生がわらわらいるという実に対照的な光景を目の当たりにして、「本当にこの道しかない、のか?」という疑問が改めて湧き上がってきたのです。少なくともNPOという道は、キャリアの選択肢として機能し始めているのではないか、と。

 もちろん、「普通に働く」に代わる道(選択肢)には、従来思いもつかなかったような仕事や働き方、あるいはそれらの組み合わせが含まれるでしょうし、その萌芽もあちこちで見え始めています。ですが本書では、あえてその中の一つであるNPOを事例として取り上げ、深く掘り下げようと思っています。理由はいくつかあります。

 

社会とつながりながら働く道

 私たちは自分の生き方を自由に決めることができますが、多くの人にとって生きる上で欠かせない要素が二つあります。一つは「生計を立てる」、もう一つは「社会との接点」です。

「普通に働く」は、言うまでもなくこの二つの要素をクリアしています。生計を立てられなかったり、社会との接点がなかったりするような活動は、趣味や好きでやっているだけであればそれで構いませんが、「普通に働く」に代わるキャリアの選択肢として捉えるのはやはり困難です。

「社会との接点」については、社会に対して自分の力で働きかけ、その手応えが得られること、という風に言い換えられるかもしれません。ある程度のお金さえ手に入れば生活はできます。しかし、自分が何のために生きているのか、その問いに対する自分なりの答えは、他者とのかかわりの中でしか見出せないものです。生きる拠り所を形成するためにも、「社会との接点」は不可欠な要素ではないかと思うのです。

 例えば、震災など、社会を根底から覆すような出来事に遭遇すると、「何かもっと自分にできることがあるのでは?」という気持ちに駆られることもあるでしょう。日々の仕事を通じて社会に貢献できていると感じられれば、それがやりがいや生きがいをもたらしてくれるものですが、企業の一社員として与えられた日常業務をこなすことに、そこまで直接的な手応えがあるとは限りません。

 NPOは、そうしたニーズと共鳴する可能性を持っています。すでに相当な数のNPOが存在し、社会を下支えするパワーとして実績もあり、無視できない存在になっています。活動分野は非常に多岐にわたっており、活動スタイルも様々です。ボランティアだけでなく、有給で働いている人もいます。つまり、NPOを通じて多様な仕方で社会に働きかけることができ、場合によっては生計も立てられるという強みがあるわけです。

 さらに、NPOから派生してソーシャルビジネスやコミュニティビジネスなどを視野に入れることもできるでしょう。無論NPOには弱みもあるわけですが、「普通に働く」が難しくなり、そこにどうにもならない閉塞感があり、何らかの突破口が求められている今だからこそ、NPOという一つの事例を土台に「乗り越え方」のバリエーションをできるだけ拡張してみたいのです。

 結果として、社会と自分をどうつなげていくのか、そのキャリアの選択肢を創り出す力を身につけていけたらと思っています。

 

 

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