アメリカ音楽の新しい地図

1.テイラー・スウィフトとカントリー・ポップの政治学

トランプ後のアメリカ音楽はいかなる変貌を遂げるのか――。激変するアメリカ音楽の最新事情を追い、21世紀の文化=政治の新たな地図を描き出す!

*ナッシュヴィル・サウンド
 意外に聞こえるかもしれないが、アメリカ合衆国で「カントリー・ミュージック」というジャンルが成立したのは第二次世界大戦後のことである。より正確にいえば、私たちが現在「カントリー・ミュージック」とイメージする音楽は、戦前まで「ヒルビリー」、「オールド・タイム・ミュージック」、「マウンテン・ミュージック」などそれぞれのジャンル名で流通しており、それが戦後、「カントリー・ミュージック」という名称のもとに統合されたのだ。
 ポピュラー文化研究を専門とするダイアン・ペクノルドによれば、その音楽的アイデンティティーは以下の差別化のプロセスを経て獲得されたものだという。すなわち、1)「ヒルビリー」という蔑称への抵抗、2)左翼的かつ中産階級的な響きを持つ「フォーク」からの離反、3)地域を限定する「ウェスタン・ミュージック」という呼称の拒否、の三点である(3)。 1923年にフィドリン・ジョン・カーソンの「ザ・リトル・オールド・キャビン・イン・ザ・レイン」がレコーディングされて以来、地方の白人を主たるオーディエンスとして発展してきたジャンルは、第二次世界大戦後にようやく統一した名称に恵まれたのだ。
 そして、カントリー・ミュージックが統合された音楽ジャンルとして発展する過程でその中心地として浮上したのがテネシー州ナッシュヴィルである。もちろん、1925年11月28日にフィドル奏者のアンクル・ジミー・トンプソンがこの地のラジオ局WSMで演奏して以来、ナッシュヴィルはこうした音楽が盛んな街として知られていたが──この番組はのちに「グランド・オール・オープリー」と呼ばれ、カントリー・ミュージックの代表的なメディアとして成長する(4) ──ナッシュヴィルにカントリー・ミュージック関連の企業が集中するようになるのは、ロイ・エイカフと作曲家のフレッド・ローズが1943年にエイカフ=ローズ出版を創設してからというのが定説である(5)。 
 そのカントリー・ミュージック界を揺るがしたのが1950年代のロックンロールの流行である。ロックンロールの台頭と当時のカントリー・ミュージック界の反応についてはさまざまな点で検証が進んでいるが(6)、 いずれにしても1950年代後半にカントリー・ミュージックのサブジャンルとしてより洗練されたアレンジを特徴とする──そして、より「売れること」を意識した──ナッシュヴィル・サウンドが人気を博すようになる。チェット・アトキンズやオーウェン・ブラッドリーを主要なアーキテクトとするナッシュヴィル・サウンドは、フィドルの代わりにストリングスをアレンジに用い、流麗なコーラスワークを採用するなどポップスとの親和性が高かった。
 このナッシュヴィル・サウンドを最初に体現した女性シンガーがパッツィー・クラインである。より素朴なホンキートンク・スタイルのキティ・ウェルズと並んでクラインは戦後のカントリー・ミュージック界に女性スターの可能性を切り開いたが、クラインがカントリー・チャートだけでなくポップス・チャートでも成功したことで、テイラー・スウィフトにまで連なる「カントリー・ポップ」というサブジャンルが確立するのである。
 そもそも男性主導のカントリー・ミュージック界における女性の役割は、歴史的にみても矛盾を孕んでいた。このジャンルをジェンダーの視点で分析するパメラ・フォックスによれば、カントリー・ミュージックの正統性概念において女性は常に周縁的なイメージをまとわされていたという。1930年代の大恐慌時には「理想の家庭像」を担う存在として、また戦後の「冷たい」モダニティーの時代にはクールでセクシーな「安酒場のマドンナ」(honky-tonk “angel”)像を背負い、さらに1960年代以降はポップス界へのセルアウトを象徴する存在としてコアなカントリー・ミュージックファンに非難されてきたのである(7)。 
 1989年にペンシルバニア州ワイオミッシングで生まれたテイラー・スウィフトが、(幼少期に何度かブロードウェイのオーディションを受けているとはいえ)歌手を目指す際に地理的に近いニューヨークではなくナッシュヴィルに向かった時点で、彼女がカントリー・ミュージックというジャンルを意識していたことは明らかだろう。テイラーの伝記には、子供のころに憧れたシンガーとしてリアン・ライムズ、シャナイア・トウェイン、ディクシー・チックスなどの名前が挙げられるが、いずれもカントリー・チャートだけではなくポップス・チャートでも成功を収めたカントリー・ポップを代表するアーティストである(8)。 
 なかでもシャナイア・トウェインはほとんどの曲を自分で書いている点でテイラー・スウィフトと共通する。カントリー・ミュージック史上、もっとも成功した女性シンガーであるシャナイアにテイラーが影響を受けているのは明らかで、同じくカントリー・ポップに分類されるシンガーの中でもフェイス・ヒルやリアン・ライムズとは異なる系譜にあるといえるだろう。カントリー・ミュージックは伝統的に自作自演を基本とする音楽ジャンルだが、ポール・ヘムフィルによればナッシュヴィル・サウンド以降、1960年代後半になるにつれて職業作曲家が台頭してきたという(9)。 その意味でシンガーソングライターとしてのアイデンティティーを強く持つテイラー・スウィフトは、カントリー・ミュージックのポップ化を象徴するナッシュヴィル・サウンドを継承しつつ、そうした商業主義に傾倒する以前の伝統を受け継ぐ存在ともいえるのだ。

 

(3)Diane Pecknold, The Selling Sound: The Rise of the Country Music Industry (Durham: Duke University Press, 2007), 54.

(4) Richard A. Peterson, Creating Country Music: Fabricating Authenticity (Chicago: The University of Chicago Press, 1997), 69-70.

(5) Paul Hemphill, The Nashville Sound: Bright Lights and Country Music (1970, Athens: The University of Georgia Press, 2015), 39.

(6) Pecknold, The Selling Sound, 86-94などを参照。

(7) Pamela Fox, Natural Acts: Gender, Race, and Rusticity in Country Music (Ann Arbor: The University of Michigan Press, 2012), 11.

(8) Chas Newkey-Burden, Taylor Swift Unauthorized: The Whole Story (London: Harper, 2013), 11.

(9) Hemphill, The Nashville Sound, 67.

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