○土橋からニュー新橋ビル
ここで、通学路はおしまいですが、せっかくなので『私のつづりかた』にも出てくる烏森神社にまで足を伸ばすことにしました。

小沢さん「土橋の跡は、ほら、道から少し盛り上がっているでしょ。これが身の丈ほどの坂だった気がするんだが。子どもだったせいかなあ」

小沢さん「橋を渡って左へ曲がったここが市電の終点だった。ここで行き戻り。このあたりに土屋さんがあって。舟で運んでくる土砂を運び込む桟橋があった。そんな商売があったんだね」
土橋を通り過ぎるとき、街頭ヴィジョンから、大きな音で宣伝が聞こえてきました。
小沢さん「『しんばーし、しんばーし。地下鉄をご利用の方は、銀座寄りの階段をお降りください』というプラットホームのアナウンスが、わが家の物干し台でそっくり聞こえた。そのぐらいに当時は静かだったんだなぁ」
駅の中を通り抜けて、西口に出ます。

小沢さん「新橋駅は東側に、小さな東京駅みたいな上等な駅舎があった。西側のこっちは裏道で、すぐに家並みでした。処女林というキャバレーがあって、大人になったら入ろうと思ってたんだが、空襲で全部焼けちゃった。その焼跡に評判の闇市ができて、その露店たちをまとめて片付けるためにニュー新橋ビルは建ったんだ。以来ここが駅前広場です」
○烏森神社でゴール
駅前の喧騒をぬけ、飲食店が連なるあたりを抜けて、最終目的地の烏森神社へ到着しました。

『私のつづりかた』では、烏森神社について、次のように述べられています。
「敗戦後の焼け跡闇市時代には、この境内にさえバラック長屋風の飲み屋が両側にひしめきならんだ。酔客がすれちがえば肩がぶつかるほそい路地が、そのまま参道だという、それなりに風情のある姿がながらくつづいたが…」(『私のつづりかた』49頁)

小沢さん「烏森神社は、戦後に、こうなったんだよね。前はこんな階段ではなくて、地べたにあった。前の参道のお店も、火事やなんかで減ってしまった。古い社で、ここら一帯の町々が氏子。ぼくも生まれたときはここの氏子らしくて、ものごころついたときは、銀座で日枝神社の氏子でした」
さて、楽しかった散歩も、ここでとうとうお終いです。
数時間にわたって歩いたりおしゃべりしたりしたのに、小沢さんは一向に疲れを見せません。今年6月に90歳になるのに、何故そんなにお元気なのでしょう? 最後に聞いてみました。
小沢さん「二十歳前後が結核患者でぶらぶらしていて、回復期から町歩きを初めて、このぐらいでは丈夫な人はへこたれないんだろうなあ、と思ってさ。限度がわからないから、いつのまにか誰よりも歩けるようになっていたんだよ(笑)」
こんなふうにまだまだ現役の小沢信男さんの新刊『私のつづりかた』と『ぼくの東京全集』を、皆様ぜひお読みください。そして、読んだら、ぜひ東京の街を歩いてみてください。