妄想古典教室

第九回 女の統べる霊的世界

巫女と女の信仰と
 第八回で扱った「石山寺縁起絵巻」巻五第一段の、子のなき貧しい女の夢に観音が姿を現し、如意宝珠を授けられた後、男児を産んだという話は、観音出現場面に連続する画に女が石山寺を出て行く姿が描かれている。石山寺の内と外を分ける門のところには、鼓を打つ巫女が座っているのである[fig.5]。この巻は、江戸時代の補作で元の画がどのようなものであったかはわかっていないものの、詞書きには門の下に鼓巫女がいるなどとは書かれてはいないから、おそらくは石山寺の典型的な風物として書き入れられたものとみえる。

[fig.5] 「石山寺縁起絵巻」
小松茂美編『日本の絵巻16 石山寺縁起』中央公論社、1988年

 

 そういえば『梁塵秘抄』に次の唄がある。

寝たる人うち驚かす鼓かな、いかに打つ手の懈(たゆ)かるらん、いとほしや。

 寝ている人を目覚めさせる鼓の音だな、その鼓を打つ手はどれだけだるいだろう、いとおしや、という唄である。石山寺が夢を見るために籠もる寺だとすると、その眠りを覚ますようにして盛んに鼓を打つ巫女の姿は、この画の鼓巫女の右手が鼓を打ち続けているさまに重なるように妄想されるのである。
『梁塵秘抄』に挙がる地名や寺社が、巫女たちの活動圏域と重なっているとすれば、石山寺もそのリストに入っている。

観音験(しるし)を見する寺、清水、石山、長谷の御山、粉河、近江なる彦根山、間近く見ゆるは六角堂

 ここには観音の効験が高いと評判の寺が列挙されている。清水寺には千手観音がいるし、石山寺には如意輪観音、長谷寺に十一面観音、粉河寺に千手観音、近江の彦根山の西寺観音に聖観音、六角堂と呼ばれている京都の頂法寺に如意輪観音がいる。
よく似た唄で次のものがある。

験仏(げんぶつ)の尊きは、東の立山、美濃なる谷汲みの、彦根寺、志賀、長谷、石山、清水、都に間近き六角堂

 霊験あらたかな仏のいるところとして立山は山自体が霊山、岐阜の谷汲山華厳寺、志賀寺が加わる。立山が入ることから遊女の圏域が山岳信仰にも関わっていることがわかる。だからこそ山伏と活動をともにしたのだろう。
 いずれの唄にも、石山寺はしっかりと名を挙げられているのであって、石山寺に遊女あるいは巫女がいたことは、ほぼ間違いない。ということは、ここにやってくる参拝者たちは、ただ堂内で観音のみせてくれるお告げの夢を見るだけではなくて、巫女を雇って託宣を得たりもしたのではないかと妄想されるのである。あるいはむしろそのために女たちは物詣でにでかけたのかもしれない。
 恋に生きた女として知られる和泉式部は、男に忘れられ心乱れていたころ、貴船神社へ参詣している。『後拾遺和歌集』の神祇歌の部に次の歌が載る。

    男に忘れられて侍ける頃、貴船に参りて御手洗川に蛍の飛び侍けるを見て
    よめる                         和泉式部
  もの思へば沢の蛍も我が身よりあくがれ出づるたまかとぞ見る
    御返し
  奥山にたぎりておつる滝つ瀬のたまちるばかりものな思ひそ
    この歌は貴船の明神の御返しなり、男の声にて和泉式部が耳に聞えけるとなん     言ひ伝へたる

 貴船神社を訪れた和泉式部は、そばを流れる禊ぎの川である御手洗川(現在の貴船川)に蛍が飛び交うのを見る。蛍はまるで、恋に惑う我が身から抜け出した魂のように見える、という歌だ。この和泉式部の歌には、貴船明神の返歌がつく。魂を身から散らすような物思いをしなさんなという歌であった。この神の歌について、ここでわざわざ「男の声」として和泉式部の耳に聞こえたとことわっているのはなぜだろうか。本当は女の声だったのではないのか。こんなことをいうのは、実際にはこの神の歌を媒介したのが、女の巫女だったからなのではないかと妄想されてならないのである。
 むろん、神がかりする巫覡(ふげき)は男女ともにいたはずだが、『梁塵秘抄』には「東には女はなきか男巫、さればや神の男には憑く」という唄がある。東国では、男巫がいるのだという、だったら神が男に憑依するのかと驚いている唄なのだから、少なくとも一般には、巫覡といえば女性であったらしいことが知られる。だとすれば、ここでわざわざ「男の声」で聞こえたというのは、それは神のことばであって、巫女の創作した歌ではないということを強調しつつも、実際には女の声だったと考えてもよいように思われる。
『夫木和歌抄』の寂蓮法師(?-1202)の歌に次のものがある。

小夜深き貴船の奥の松風に巫覡(きね)が鼓のかたおろしなる

 深夜に松風に乗って、貴船の奥のほうから巫女が打つ鼓の音が聞こえてきているという歌だ。すると貴船神社もまた鼓巫女の活躍する場であり、恋に悩む女は、鼓巫女に会うために貴船神社に参ったのかもしれない。

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