妄想古典教室

第九回 女の統べる霊的世界

嫉妬と呪い
 恋の悩みが高じれば、恨みつらみの嫉妬に狂い出す。なんといっても貴船神社は能の「鉄輪」の舞台である。「鉄輪」は、夫に捨てられた女が後妻となった女を恨んで貴船神社に丑の刻参りをする話。別な女に心移りして自分を捨てたのは夫であるのに、先妻が恨むのは新しい女のほうだ。頭に五徳をのせて、そこにろうそくを灯しながらの狂乱の体で後妻を打ちのめし、呪い殺そうとする。貴船神社の巫女たちは、そんな女の嫉妬に苦しむ姿をも見届けてきたのだろうか。『梁塵秘抄』には、つれない男を恨む、こんな唄がある。

われを頼めて来ぬ男、角三つ生ひたる鬼になれ、さて人に疎まれよ、霜雪霰降る水田の鳥となれ、さて足冷たかれ、池の浮き草となりねかし、と揺りかう揺り揺られ歩け

 私を頼みに思わせておいて、通って来ない男よ、角が三つ生えた鬼になってしまえ、それで女に疎まれるようになれ。霜、雪、霰降る水田に立つ水鳥となってしまえ、足が冷たいだろうよ。池の浮き草となってしまえ、あっちへ揺られこっちへ揺られとふらふら歩いていろよ、と男の不幸を願う唄である。これが呪詛のことばでなくて、何であろう。ことによると巫女が呪いの手助けをすることがあったのではないか。
『とはずがたり』(1313)には、宴席に、唄をうたい、舞を披露する白拍子の姉妹を呼んでいる。白拍子は、男性の衣装をつけて男装して舞うことで知られる芸能民である。このとき唄われた今様は、「相応和尚の割れ不動」「柿本の紀僧正、一旦の妄執や残りけむ」といったことばを含んでおり、染殿の后に恋慕したその恋の執着のあまり、死後、青い鬼となった僧侶の話であった。
 この物語は、平康頼(1146-1220)が編纂した『宝物集』(1179-81)にとられているもので、柿本紀僧正真済(しんぜい)が、文徳天皇の后に恋慕執着して、死後「紺青の色したる鬼」という怨霊になって后にとり憑いた。これを調伏しようとした相応和尚が、無動寺本尊の不動尊に祈ると、不動尊の像がぱっかりとふたつに割れて、調伏の法を教えてくれたという話である。生前、真済は不動の行者だったため、その不動尊が青い鬼となった真済を加護していたのであった。
 こうした説話が、今様に唄われることでよく知られるものとなっていったのだろう。恋の妄執に狂ったのは、この場合、男で、しかも僧正というトップクラスの僧だけれども、男女を問わず、恋慕執着が高じると青い鬼になってしまうという話として理解されるようになったのではないかと妄想する。
 というのも、奈良、東大寺のお水取りとして知られる、毎年二月堂で行われる修二会の過去帳読み上げで鎌倉時代以降に加えられた謎の女が、青い衣を着た「青衣(しょうえ)の女人」だといわれているからだ。「青衣の女人」という名は、今でもまるで強い執心を鎮めるように声をおとしてゆっくりした調子で読み上げられるのである。
「青衣の女人」については、「二月堂縁起絵巻」下巻第二段に次のように語られている。

修二会の行法の式次第として、五日目と十二日めの初夜の行いの終わりに、上は本願をたてた上皇から下は、東大寺に結縁した道俗の衆にいたるまで、その名を記してある過去帳を読み上げ、成仏を祈る。承元年中(1207-1210)の頃、この過去帳を読む僧、集慶の前に青き衣を着た女人がにわかに現れて、なぜ我の名を過去帳に読みおとしているのだ、と言って、かき消すように去った。青い衣を着ていたので、青衣の女人と名づけて、今も読まれている。

 これに対応する画には、僧侶の前に顕れた「青い衣」を着た女が描かれている[fig.6]。畳の上に坐す三人の僧侶のうち、手前で紙をかざしているのが集慶なのだろう。その集慶の目の前の板間にぽつねんと坐す女が描かれている。女の着ている衣は緑色に見えるが、日本語では野菜を青物といったりするなど、緑色をさして青というのだから、これは青い衣ということになるのである。

[fig.6]「二月堂縁起絵巻」
小松茂美編『続々日本絵巻大成 伝記・縁起篇 6 東大寺大仏縁起・二月堂縁起』中央公論社、1994年

 

 この女の正体はまったくもってわからないのである。集慶は名を問うことさえしなかった。どこの誰とも知らない女だけれども、無視しきることのできない凄みがあったのだろう。そのとき一度だけではなく、それから毎年、現在に至るまで、修二会のたびに決して言い落とすことなく読み上げられており、絵巻にもその由来がしっかりと書かれている。目の前にふっと顕れて消えたというのだから、女はおそらく霊なのであろう。万が一読み落としでもしたら祟りにでもあうかといわんばかりである。
 そんなふうに丁重に扱われるのは、この女が青い衣を着ていたせいなのではないだろうか。青い衣を着ている女は、死んで青い鬼となった真済のイメージと重なって、嫉妬に狂い怨霊となった女に見えたのかもしれない。おそらくこの名も無き女は、ある一人の人物ではないのだろう。青衣の女人とは、恋に泣かされ、苦しんだ、すべての女たちの狂いまどった魂だったのではないかと妄想されてならないのである。

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