冷やかな頭と熱した舌

第23回
本屋の読書
―谷川俊太郎にノーベル文学賞を!


■ミニスカートからの連想と「そして」での改行

 時は流れて大学生の頃。また再び「生きる」の詩と、僕は出会った。ある日の午後、吉祥寺へと向かった僕は「BOOKS ルーエ」という書店で本を買おうと降り立ったはずなのに、足はふらふらとパチンコ屋へと向かった。ものの30分ほどで有り金のほとんどを手放して、代わりに自分への失望を手にした僕。
 ルーエに向かい欲しい本を物色するも文庫本すら買えない。購入するともらえるキン・シオタニのカバーをあきらめ、帰路につこうと店を出た。駅へ向かい数歩ゆくと、左手の「外口書店」という古本屋の看板が目についた。青年期の潔癖さから、いままでなんとなく避けてきた古本屋であるが、その日は入口へと足が向いた。棚の端から順にタイトルを目で追うと、文芸に強い古本屋なのだとわかった。ほどなくして、谷川俊太郎の『うつむく青年』(サンリオ)という自分の分身のようなタイトルを発見し、レジへと持っていった。支払いの段になって手持ちの少なさにヒヤリとしたが、帰りの分の電車賃を足してギリギリ代金を支払った。それが「生きる」との邂逅だった。

『詩集 うつむく青年』谷川俊太郎 サンリオ

 その時に詠んで感じた印象の差異は、やはりミニスカートの部分によってもたらされた。僕の想像のなかのミニスカート。逆光となり穿いている人の顔は見えないが、ひらひらふわふわのミニスカートから伸びるきれいな足。世の中のそこかしこにあふれる美しさに気づくことなく(ミニスカートが美しくないと言っているわけではない)、かくされた悪を見過ごしたままの20代を過ごした僕。記憶は上書きされることなく、いまでも谷川俊太郎の詩がもたらしたミニスカートのイメージは脳内の一角を占める。
 だけどさすがに、あれから20年ほどの時を経て、このスタンザの最後から2行目を、谷川俊太郎が「そして」の3文字だけで改行した意図を理解するぐらいには、人生経験を積んだ。美しさの象徴として羅列された名詞の、その美しさに忍ばされる「悪」への注意を喚起するための、ハッとさせられるような対比。

  生きているということ
  いま生きているということ
  泣けるということ
  笑えるということ
  怒れるということ
  自由ということ

 続く上記のスタンザ。それぞれが可能動詞となっていることにお気づきだろうか。「泣くということ」「笑うということ」「怒るということ」というように、ただ状態を表す動詞の使い方ではなく、可能動詞とすることで読む者の「自由」を際立たせる演出となっているのだ。そして次のスタンザの「自由にならないこと」へつなげるキーワードともなっている。

  生きているということ
  いま生きているということ
  いま遠くで犬が吠えるということ
  いま地球が廻っているということ
  いまどこかで産声があがるということ
  いまどこかで兵士が傷つくということ
  いまぶらんこがゆれているということ
  いまいまが過ぎていくこと

 自由に想像を飛躍させることができる「いま」である。しかし、それはあくまで自分の力が及ばない受動的なものである。2番目のスタンザが視覚的であるとするなら、4番目のスタンザは聴覚的であろう。そうやって過ぎてゆく「いま」を生きている時間の音に気づくのだ。1、3番目のスタンザが「自分の内側」の感情、2、4番目のスタンザが「自分の外側」の出来事と対比されている点も見逃してはならない。

  生きているということ
  いま生きているということ
  鳥ははばたくということ
  海はとどろくということ
  かたつむりははうということ
  人は愛するということ
  あなたの手のぬくみ
  いのちということ

 最後のスタンザ。注目すべきは3行目から6行目までの主語につけられた「は」である。「鳥ははばたく」「海はとどろく」「かたつむりははう」「人は愛する」に用いられる「は」には役割がある。この「は」は、普遍性をもった「は」であると僕は考える。ためしに「は」を「が」に置き換えてみると、印象は大きく変化する。事実の羅列と取れてしまう。対象を少し突き放すようでいながら、これからも永遠に続くと信じるように、祈るような気持ちを込めて用いられた「は」ではないだろうか。愛によって生命が繋がれ、ループされた新しい命、あなたが手をつないだ「あなた」は、新しく増えた家族のようにも思える。

■〈読むこと〉は〈生きること〉につながっている

ORIORI店での「谷川俊太郎にノーベル文学賞を!」フェア

 この詩にあらためて向き合ってみてこう思う。ボブ・ディランがノーベル文学賞に輝くなら谷川俊太郎もノーベル文学賞に、いやノーベル平和賞に輝いてもおかしくはないのではないかと。ここまで考察しないと、通常とは違う角度というものは出てこない。僕はORIORI店に谷川俊太郎の著作を集めて「谷川俊太郎にノーベル賞を!」というPOPを作り、末尾に「そして……」を付け足そうか散々迷った挙句、つけるのをやめた。ノーベル何賞なのかを判断すべきは、読んだお客さんだと思ったからである。
これが、僕がいうところの「違う角度」だ。開店以来、谷川俊太郎コーナーは堅調に売れている。

「生きること=読むこと」ではないけれど、読むことは生きることにつながっている。読むということを捉えなおすことによって、多くの新しい切り口が見つかるのではないだろうかと僕は常々考えている。ある人は文章の美しさに気づいて肌が粟立つかもしれない。ある人は凄惨な現実をより深く知って怒り狂うかもしれない。またある人は言葉そのものへの興味を深めて日本語そのものの形式美に魅せられるかもしれない。
 低迷が叫ばれる出版業界で、本を、ジャンルを、言葉を、売り方を、伝え方を、つながり方を、捉えなおして、再構築して、提示する。僕は業界の低迷に対しては楽観的だ。ごくごく個人的な営みである読書が、僕たちにもたらす多くの可能性を信じているから。だって、本を読んで想像する力を日々鍛えている僕ら業界の人間が、打開策を見つけられないわけがないと思うのだ。

「谷川俊太郎にノーベル文学賞を!」フェアの展開 『生きる』も並んでいる。

【引用文献】
『詩集 うつむく青年』谷川俊太郎著 サンリオ 1989年刊 

 

 

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