第3回「倫理思想家としてのジェイコブズ」(3/18)
講師 平尾昌宏さん
二つの道徳体系
ジェイコブズには『市場の倫理 統治の倫理』という著作があります。人は場面に応じて市場の倫理と統治の倫理という二つの道徳体系を使い分けなければならないが、間違った場面で間違った道徳体系を当てはめてしまうと、しばしば不正などの問題を起こしてしまう、という話です。
この道徳論は多くの論客に影響を与えていまして、主なところでは、橋本努『経済倫理=あなたは、なに主義?』、松尾匡『商人道ノスヽメ』、與那覇潤『中国化する日本』、山岸俊男『「日本人」という、うそ』などがあります。
ではジェイコブズのいう二つの道徳体系とは何か、彼女自身がまとめた一覧表を見てみましょう。

それぞれ15個ありますが、数は重要ではありません。また、15個がそれぞれ対応しているわけでもありません。
ジェイコブズは昔からの教えや、新聞雑誌で目にする価値判断などを集めてこの2種類の道徳体系にまとめたのですが、2つの体系を柔軟に使い分けることで、多くの道徳的な問題を回避できると主張します。
大切なのは中庸
昨今、このジェイコブズの主張が注目されていると言いましたが、実は考え自体は新しいものではありません。アリストテレスの考えたものに非常によく似ていて、『ニコマコス倫理学』以来の「分配の正義」と「交換の正義」に重なる徳倫理です。
規範倫理学説には代表的なものがいくつかあって、近代だと、カントの「義務論」、ベンサムの「功利主義」があります。しかし、この二つは硬く考えすぎていて、現在の生活にあわず、これらを持ち出すとにっちもさっちもいかない事態に陥ります。そこで、近年、アリストテレスの徳倫理に回帰しようというネオ・アリストテレシズムが主流となってきています。そう考えると、ジェイコブズの倫理学は現在の私たちにとって、とても有用ではないでしょうか。この表を眺めながら、たとえば教育や医療は、どちらの倫理体系がのぞましいのか考えてみてください。市場の倫理には適さないですね。
重要なのは、どの場面で、どちらの倫理体系を持ち出すかという判断。ジェイコブズを引用している本の中で、「これからは統治の倫理ではなく、市場の倫理が必要だ」というような結論も見られますが、それはジェイコブズの意図とは違います。アリストテレスは、どの「徳」を、どの場面で発揮すればよいか、それがわかることこそ最大の「徳」、つまり「中庸」であると説きましたが、まさにジェイコブズの考え方も同じなのです。