ちくまプリマー新書

こんな時代の読書とは?
ちくまプリマー新書通巻200点突破記念対談

菅野 ご著書(『気の持ちようの幸福論』、集英社新書)拝見しましたけど、「他者」という言葉をよく使われてますね。学者以外で「他者」をこれだけ使う人って僕初めてです。
小島 えっ、そうなんですか。
菅野 ええ。「the other」の訳語ですけど、使うのは主に哲学系の人で、日常会話ではまず出てこない。しかも小島さんの定義も僕と同じで「自分以外のすべての人」。
小島 はい。
菅野 この文脈上で何が大事かというと、親兄弟や身内とか、近い関係であればあるほど、その他者性を認知した方がよいということです。外国人や見知らぬ他人を「他者」と呼ぶのは容易なんですよ。
小島 子育てしてて自戒も込めて思うんです。「この子は私とは全然違うんだから」と。
菅野 でもそれが難しい。
小島 長男が似てるんです、私と雰囲気が。感情の起伏のパターンまで。だから気になって仕方ない。下の子はそうでもないんだけど。
菅野 うちは娘と息子ですが、異性である娘のほうが距離がとりやすいですね。息子は難しい。私と同じ中学なんで、高校も母校に行ってほしいなとつい思っちゃう。でもつい先日、「お父さんと同じ高校には行きたくない」と言われて、かなり私が落ち込んじゃって(笑)。
小島 あはは。『教育幻想』(菅野の著書)の中で「子供は親の生き直しではない」と書いてらっしゃるのに。
菅野 言うは易しで、自分はなかなか対象化できません。

■「古典」として本を読む

小島 きょうはちくまプリマー新書通巻200点突破記念対談ということですね。
菅野 お互い「初めまして」ですが、日頃プリマー新書をひいきにしてるということで呼ばれました。まず、「この時代に本を読むということ」という大きなお題が与えられてるんですけど、小島さんは、何を求めて本を読まれますか。
小島 「幸せな時間」ですね。脳は最高のおもちゃだと思うので、自分の脳が「へえ~」と感心したり、ここは固定化しててもう変わらないなと思った部分がほぐされて書き換えられたりする。それが座ったままできることがとても楽しいし、幸福。「これを読むとためになる」じゃなくて、「それを読むことが喜びになる」という本を読んでます。
菅野 旅をするとか、実際の行動を起こさなくても脳の中で仮想体験できるとか、また我々の業界でいうと、「自明性を疑う」ということだと思いますけど、自分が今まで当たり前だと思っていたことを捉え直すとか、そういうスリリングな楽しさってありますよね。
小島 でも売れてる本ランキングを見ると、今は本に道具として期待する人が多いのかなと思います。読めばすぐ役に立つとか、賢くなれるとか。
菅野 確かに実用的・実利的なものが増えてる気はしますね。
小島 本当は「そんなつもりで手にとったわけじゃないのに、読む前と後では世界が全然違って見えた」という、そんな偶然の出会いの豊かさみたいなものが醍醐味だと思うんです。もちろん、「これこれのためにこの本を読む」もあっていいけど、それだけではちょっとさびしい。
菅野 そのことについては経済学史家の内田義彦さんが、「情報として読む」、「古典として読む」という言い方で論を展開してますね。必要な情報を得るために、それこそ「宅建の資格をとるための参考書を読む」という本の読み方ももちろんあるんだけど、内田さんに言わせると、本を読む味わいというのは、もっと古典として読むことにあると。
小島 それは本当の「古典」でなくてもいい。
菅野 はい。自分が思いもよらないことを吸収できたり、あるいは読む時期によっても印象が変わってきたり、そうやって読んで楽しむとか、人生の味わいを深めるためのもの。そんなメディアとしては本が一番なんじゃないかという思いがあります。もちろん映画やテレビのドキュメンタリーなどでも感動するけど、活字には別格の味わいがある。その点、ラジオと似てるんじゃないでしょうか。
小島 ああ、はい。
菅野 例えば、たまにラジオドラマなんか聴くと、あの臨場感というのは独特ですよね。テレビドラマみたいに全部見せられるんじゃなくて、死角の部分──何かがちょっと欠落しているがゆえに、自分の中でのイメージの広がり方が違う。
小島 「見る」って私、「所有する」とすごく似てると思うんです。手に入れてその主になる。でも「見えない」は違う。自分から寄り添っていくとか、出会うとか発見するという向き合い方。対象に対する距離の取り方が、見える場合とは明らかに違うと思います。
菅野 この頃は漫画ですら読めない世代が出てきているそうですね。
小島 えっ。
菅野 アニメとかゲームとか動画的なものはOKなんだけど……。
小島 ああ、漫画も文字と絵を自分で構成しなきゃいけませんもんね。
菅野 だから最近の教育学者の中には、親御さんに「漫画でもいいから本を読ませてください」という人もいるぐらい(笑)。つまり世の中メディアでも何でも便利になりすぎて、漫画ですら、ある種の不完全性を持った、自分のイメージで補う面倒なものになってきたと。お子さんはどうですか。
小島 たまたま仕事の資料として頂いてきた赤塚不二夫さんの全集に、長男がものの見事にハマりまして。バカボンで爆笑です(笑)。
菅野 あはは、「古典を読む」(笑)。
小島 私たちの世代は親から「漫画なんか読んでたらバカになる」と言われて取り上げられましたけど、「夢中になって読む」という喜びを知ってくれるんだったら、漫画でも何でもいいと思うんです。ただ、「ドーン、バーン、ガシーン、俺は今大きなものと戦っている!」っていう、いたずらに戦いの場面だけの漫画は……。本当に人間にとって一番手ごわい敵というのは、自分の劣等感とか嫉妬心とか欲望とかなんだけど、戦いは自分の外にあると思ったほうが楽じゃないですか。
菅野 でも本当の敵は内側にあるんだよと。

■売り物にならないために

小島 学生さんを見ていて、やはり本を読んでないなって実感されますか。
菅野 そうですね。
小島 それはものを知らないとか?
菅野 というより、本以外のことでいろいろ忙しそうなんですよ。本を読むってその時間孤独になる。ある種自分の閉じた世界を作るということですが、学生の話を聞いてるとどうも絶えず人との関係の中に置かれている。
小島 一人だけでご飯を食べることを恥ずかしいと思ったり。
菅野 そういうメンタリティだと、ゆっくり本を読んでいる暇なんかないんじゃないかと。うちの経済学の先生なんかはちょっと古い人だから、「菅野君、この頃は大学生になってもスミスの『国富論』ひとつ読んじゃいないんだ」(笑)。「ましてや『資本論』なんか第一巻すら開いちゃいないんだぜ、あいつら」って(笑)。
小島 先生、それ今ハードル高すぎです(笑)。ご自身の学生時代はいかがでした?
菅野 中学ぐらいからドストエフスキーとヘッセを夢中になって読んでました。両者は世界観が全然違うんで、交互に読むとバランスが取れるんですよ。高校生になると、『谷崎潤一郎全集』にハマった(笑)。男子校に入った途端人嫌いになったもので(笑)、誰とも口を利かず昼休みずっと図書館にこもってました。読書力をつけるとか、思考力を養うとか、何かのために読むということは全くなくて。他に楽しみがなかったんです。僕だって今だったらゲームをやってたかもしれないけど。小島さんもかなり本を読まれたとか。
小島 私は通学時間が長かったんです。片道一時間半。するとウォークマンで音楽を聴くか、本を読むぐらいしかすることがない。本当に通学時間をつぶすためだけの読書で、その頃読んだ内容なんてほとんど忘れてしまっているけど、四〇歳を過ぎた今でも、何か自分の言語感覚の中に「こういう語感が好き」みたいなものが残ってるんですね。中学・高校のときにどんな文章に触れたか、何を面白がる大人に触れたかということって、結局その後のその人の世界の面白がり方とか、何を美しいと思うかとかに、すごく影響すると思う。
菅野 大きいですね、それは。もう一つ、小島さんの著書の中に「人間は売り物ではない」という言葉が出てきてなるほどと思ったんだけど、「本を読む意味とは何か」の大きな答えとして、「売り物にならないために」というのがひとつのポイントなんじゃないかと思います。ある時期ワーッと、良い文章とかよい考え方にどんどん触れると、少なくとも自分を「ブラック企業」に安売りするような人間にはならないんじゃないかな。「これは違うな」という身体感覚や感度を、別に労働関係やブラック企業についての本でなくても、読書は汎用的に養ってくれると思う。そういうものが入っていると、使い捨て人生みたいな方向へは入り込まない。だから若い人には、こんな時代だからこそ本を読んで欲しいな。
小島 どんなジャンルでもいいんですよね。
菅野 はい。乱読と精読ってどちらとも必要で、それこそ何冊も並行して読んで、途中で放り出してもいい。得るものは必ずある。

■「他者」を知る

菅野
 「こういう本がもっとあればいいのに」というのはありますか。
小島 性教育の本ですかね。ちっとも教えられてないと思うんですよ。自分が妊娠・出産した時に改めて気づいたんですが、女性でも自分の身体がわからないし、男女お互いに相手の身体に無知すぎる! と。実は私も夫に話したんですけど、子供を持とうと思った夫婦が「子宮ってこうなってて、月に一回生理がきて、ねえ、生理って何だかわかる?」ということから始めて「妊娠のチャンスは女性は月に一回しかなくて、卵子は二四時間しか生きてなくて……」という話をしてもわかってもらえなかったり、しようと思っても女の人も知らなかったり。子供を持とうとして初めて気づく。これ、よく聞く話です。やはり自他の身体を知り、敬意を払わないと。
菅野 なるほど。
小島 別に体に限らず、文化が異なるのでも、趣味が異なるのでも、自分と同じ人は一人もいないわけだから、「目の前に人が現れたら必ず自分とは違っている。じゃ何が違うんだ」というのが他者への最初のアプローチだと思うんです。私は自分の子供には「違っているものを排除するのではなくて、どう違っているのかに目を向けていくと、とても豊かだよ」と教えています。
菅野 冒頭の、他者論につながりますね。
小島 ところが、性や肉体の部分って、「他者」を考える上で一番入りやすいテーマなのに、何か触れてはならないような領域になっていてすぽっと抜けてる。私はそこがすごく疑問で、じつは今まで息子たちには聞かれたことに関しては全部答えているんです。それこそ彼らが小さいころ、一緒にお風呂に入っている時に「ママ、そこはどうなっているの?」って聞かれて──それは「幼虫ってどうなってるんだろう?」っていう素朴な疑問と同じような問いかけだったので「今だ!」と思って、「君ここから出てきたんだよ。ビックリだよねー」とか(笑)言って教えて。「そんなことしたら将来変態になっちゃうぞ」なんて真顔で言う大人の男性がいるんですけど、それは偏った考え方だと。
菅野 子供の頃って素直に訊けるんですよね。でもいつの間にかタブーになってしまう。
小島 挙句ネットで間違った知識を得たりする。他者に対するリスペクトを持つより先に、性を消費の対象として見ることにもなりかねない。異性が単なる自分の欲望の対象になったり、興味本位で尊厳を損なうようなやり方で相手の肉体を知ろうとしたり。じつは体について知るということは、人が人を尊ぶという基本姿勢に通じるのに、そういう本がどこにもない。
菅野 男子校に入った途端人嫌いになったと言いましたけど、今のお話を聞いていて思ったのが、当時の男子校生の女性への感覚というのが、何というか、要は「女好きのくせに本当の意味で女を愛していない」と僕は思ったんですよ。
小島 ああ!(強く頷く)。
菅野 「こいつらの女好きの底の浅さよ」という……。逆に「俺は本当の意味の女好きだ」と(笑)。本当の女好きのお手本は誰かと探したらその頃の僕には谷崎だった(笑)。
小島 女好きの師匠(笑)。
菅野 結局、リスペクトがないんですよね。ホモソーシャルというか、同質的な男の仲間内だけでリスペクトしあったり関係性を築くのであって、女は言ってみれば性的な対象であり道具という位置づけという気がしてたんですよ。
小島 その手の男性は必ず私に言うんです。「俺の持っている女のイメージを女のお前がぶち壊すんじゃねーよ」と(笑)。「あんたの頭の中の都合のいい女なんかどこにもいないよ!」と思うんですが(笑)。
菅野 あはははは。

(二〇一三年六月二八日 筑摩書房にて)

ちくまプリマー新書◆菅野仁が薦める3冊

『ぼくらの中の発達障害』青木省三

発達障害をどう捉えるか。
「実は僕らにも共通してある要素なんじゃないか」、「でもやはり異文化として見るべきなのではないか」という両方の見方を提示していて、読み物としても面白く実践的な面でも非常に充実。

『多読術』松岡正剛

 

「隅々まできちんと精読しなくてもポイントポイントを押さえればいいじゃないか」
「全く無関係な本を自分の頭の中でリンクさせてみる」
松岡流読書術の自由さや開放感。読書本来の楽しさを思い出させてくれる。

『先生はえらい』内田樹

 

教育制度批判が熾烈を極めた少し後に、内田さんは「学ぶ側が“先生はえらい”と無根拠に位置付けることで学びは発動する」と説いた。
軽妙な語り口で、とても柔軟に先生と生徒の関係をとらえなおすヒントを提示。

ちくまプリマー新書◆小島慶子が薦める3冊

『15歳の東京大空襲』半藤一利

 

日常の中の戦争の芽を憎む──異質なものを排除するとか、差別することだって戦争の種になる。
それを憎むことが今できる平和活動なんだよというお話に非常に感銘を受けた。
若い人にぜひ読んでほしい戦争体験の本。

『女子校育ち』辛酸なめ子

 

ゲラゲラ笑いながら読んだ。
辛酸さん一流のシュールなタッチで描く、女子校ならではの偏りや、偏りゆえの面白さ。
「娘を上品に育てたいので女子校に入れたい」と思っている親御さんは早めに読んで下さい(笑)。

『「働く」ために必要なこと』品川裕香

 

さまざまな実例と分析、それを元にした提案がとても親切。
これから就活する人、社会人で「やりづらいな」と思っている人、就職浪人中の人、あるいはそうした若者に戸惑う人……いろんな人が「なるほど」と思う本。

2013年9月1日更新

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菅野 仁(かんの ひとし)

菅野 仁

1960年宮城県仙台市生まれ。89年東北大学大学院文学研究科社会学専攻博士課程単位取得。東北大学文学部助手などを経て、96年宮城教育大学教育学部助教授、06年より同大学教授。16年より同大学副学長(学務担当)を兼任。専攻は社会学(社会学思想史・コミュニケーション論・地域社会論)。G.ジンメルやM.ウェーバーなど古典社会学の現代的な読み直しをベースとし、「“自分の問題”として〈社会〉について考えるための知的技法の追究」をテーマに、考察を続けている。著書『18分集中法──時間の「質」を高める』(ちくま新書)、『ジンメル・つながりの哲学』(NHKブックス)、『愛の本──他者との〈つながり〉を持て余すあなたへ』(PHP研究所)、共著に『社会学にできること』(ちくまプリマー新書)、『コミュニケーションの社会学』(有斐閣)、『いまこの国で大人になるということ』(紀伊國屋書店)、『はじめての哲学史』(有斐閣)など。2016年、没。

小島 慶子(こじま けいこ)

小島 慶子

1972年オーストラリア生まれ。学習院大学卒業後、95年にアナウンサーとしてTBSに入社。2010年退社。現在、東京大学大学院情報学環客員研究員、昭和女子大学現代ビジネス研究所特別研究員。エッセイスト/タレントとして、ラジオ、テレビ、雑誌など多様なメディアで活躍している。著書に『これからの家族の話をしよう』(海竜社)、『解縛』 (新潮文庫)、『曼荼羅家族』(光文社)など多数。