ちくまプリマー新書

対談 『地雷処理という仕事』に真の平和を築く道すじを見る

 ちくまプリマー新書『地雷処理という仕事――カンボジアの村の復興記』刊行に際し、推薦文を寄せられた天童荒太さんと、この本の著者高山良二さんに対談をしていただきました。(二〇一〇年一月五日)


平和構築組織の必要性

天童 軍事に携わった者だから独自の平和構築に寄与し得るという発想はこれまでなかったように思ったんです。自衛隊に関しても、政治や憲法上の問題でネガティブな論調が多いけれど、むしろ視点を転換して、彼らは平和のための技術を習得している、自衛隊はそういう機構なんだという考え方があってもいいんじゃないかと。それは世界の軍隊も同じで、紛争処理、戦後処理のときに、平和構築をし得る技術をそれぞれが有しているエキスパートなんだと。そういうものの見方をするだけでも、とげとげしたものがだいぶ違ってくる気がする。

高山 今ある自衛隊などを平和構築するための組織だと考えれば、非常にプラス思考であり、夢があると思います。
 タサエンの村人は、元ポルポト軍やクメールルージュです。今五十代の人たちは、まさにその渦中にいたんです。聞けばすごい人生を送っている。「私の人生はネズミとまったくいっしょでした」と言うんですね。ネズミのように逃げ惑い、逃げるのに失敗したら殺される、そういう人生だったと。やっと今、逃げずにすむ生活になった。それを聞いたら、戦争というのは本当に大変なことだと切実に感じます。

天童 ポルポト軍やクメールルージュは、ひとくくりに「恐い人たち」「思想的におかしくなった連中」というような伝わり方がされているけれど、実際に村人たちはポルポト軍やクメールルージュに無理やり入れられた、あるいは、逃げたところにクメールルージュがいて入隊しないと殺されてしまう状況だった。そういうことは、多くの国で、今なお起きていることなのに、どうしても僕らは、敵か、味方か、と二元論で分けてしまう。その恐さというか、本当は現場に入って村人と交流すれば、みんな平和を望んでいたんだとわかる。生き延びたかったから、銃を取らざるを得なかった、地雷を埋めざるを得なかった。そのことの苦衷は、わりと伝えられてきませんでした。

高山 日本のある大学生がタサエン村に来てインタビューをしました。その中で「地雷を埋める時、どういう気持ちで埋めましたか?」という質問をするんですね。もうがっくりしますね。そんなことではない、地雷を埋めたらいいとか悪いとかの問題ではなくて、切実な状況から、たまたまそうなってしまった。ひとつの大きな流れができてしまうと、その他の事はできないんだと分かってほしい。

「交流」こそが国際支援

天童 高山さんは、かつて自衛隊という組織にいて、今は自由にカンボジアで活動をされて、大勢いろいろな人に会ってこられたと思いますが、その中で、現代の日本ではこれが欠けているんじゃないか、と何か見えてきたものがありますか。

高山 ひとつは心の問題ですね。私は、お金と心という、ふたつの風船があると思っています。日本は第二次大戦に負けてから復興しようと、日本人の勤勉さでお金という風船に、みんなが努力して空気を入れていった。そうして、世界第二位という経済大国にもなったわけです。しかし本当の日本人の特性は、家族や、地域を大事にする心だと思います。お金という風船に空気を入れることに夢中になりすぎて、日本人が持っていた心の部分を置き去りにしてきた。私は、心を失った国は未来がないんじゃないかと思います。他の国からも相手にされなくなるんじゃないかと思います。
 今は自分のことを考えてから、相手のことを考えるという風潮になっていますが、そうではなく、格好のいい言い方かもしれませんが、まず相手を思いやって、それから自分を振り返る。そのほうが順番としては、上手く行くのではないでしょうか。

天童 家族とか地域とかを含めて、他者への視線ということですね。自分にしか向けていなかった目や耳を外に向ける、思いをかけるといいますか。タサエンという現場に行かれて、そういうことをやってこられたわけですね。

高山 自然にそういうふうになりますね。でも、割り切れないところもたくさんあります。
 ある日、赤ちゃんを見まして、二、三日前に生まれたのだろうと思ったら、生後四カ月だというんです。「えっ」と思って台所を見ると、米粒ひとつもありません。母親がご飯を食べていない、乳も出ない。カンボジアでは、あまり干からびたような赤ちゃんを見ないけれど、中にはいるんです。「これは、いかんわい」と、自分のポケットマネーでミルクを買ってしまう。お金を出すことはいいことではないと重々わかっていても、寝るときに「あの子はどうなったかな?」と、頭の中のどこかにずっと残っていて、それが苦しい。そういう行為は人のためじゃないかも知れません。自分が苦しいのが嫌だからそうしているのかも知れません。そういうやりきれないことがあって、理屈に合わないこともやってしまうんです。そんなことが、村での生活の中でたくさんあります。

天童 何か人のためになることをしたいと願っている人は、実はとても多いのではと思っています。他人に無関心といわれる若い人でもきっと大勢いるだろうと。けれど、何をしたらいいか? それがわからないので立ちすくんでいるんじゃないかなと。高山さんのように思いきって現場に入っていければいいけれども。先ほどもおっしゃったように、そういう素質の人はむしろ少ないわけで、立ちすくんでいる人が、若者も、若くない人間も、多いという中で、現場を知っている人だから、そういう立ちすくんでいる人たちに、こうしてみたら? と、ちょっとしたアドバイスみたいなものをいただけたらすごくいいと思います。

高山 それは本当に、いろんな人と接して交流していますが、小学生も、八十歳のおばあちゃんも、みんな同じです。人のためになることをしたいと願っている人が多いのではなく、全部の人が、本来そういう気持ちを持っているんじゃないかと感じます。しかしまさに、何をしていいのかがわからないんですね。以前は私も、物やお金の支援をお願いしていましたが、最近では「交流をして欲しい」と思うようになりました。現場、現地、相手をよく知って欲しいと。それが一番の支援だと思います。これもハードからソフトに、自分の気持ちがチェンジしたんですね。物で支援されるのは、どちらかというと不足するくらいの方がいいのかなと、最近は考えています。交流してください、タサエン村に来てください。そこで感じたことを、自分で考えてくださいと。「あの人たちはかわいそうだからやってあげる」という考えではなく、対等に、自分もそこに身を置く。向うの人からも学ぶことがたくさんあるんです。

天童 知って欲しいし、見て欲しいし、来て欲しい、話をして欲しいということですね。そこから生まれた「つながりたい」という気持ちが、本当の支援になる。

高山 自分が何をしてあげられるかではなくて、自分がそこから何を得るか、何を得たいかという姿勢の方が、私はいいと思います。

天童 本の中に、村人がデマイナー(地雷処理員)になりたいという申し込みをするときに、カンボジアに必要とされることが誇りだ、という話がありました。「誰かに必要とされる」というのは重要な、人間にとっての一番大切なモチベーションになるんじゃないでしょうか。たぶん、若い人に限らず、みんな誰かに必要とされたいと思っている。その誰かに出会っていないだけで、出会うための一歩を踏み出すこととして、今、高山さんがおっしゃった、交流ということを、いつも心においておけば、いつかその機会が訪れるんじゃないか。高山さんがカンボジアに出会ったように、若い人もきっと何かに出会える。出会ったときに、交流という言葉があれば、しぜんと握手の手が伸びたりするんだ、と思います。

2010年4月1日更新

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高山 良二(たかやま りょうじ)

高山 良二

1947年生まれ、愛媛県出身。地雷処理専門家。1966年陸上自衛隊に入隊。1992年カンボジアPKOに参加。以来、カンボジアに特別な思いを抱く。2002年陸上自衛隊を定年退官と同時に認定NPO法人日本地雷処理を支援する会(JMAS)に参加。1年の大半をカンボジアの地雷原の村で過ごし村人と共に地雷処理をする傍ら、村の自立を目指した地域復興にも奔走している。また東大寺で僧侶「補 権律師」の地位を得る。

天童 荒太(てんどう あらた)

天童 荒太

1960年、愛媛県生まれ。作家。大学卒業後に執筆活動に入る。’86年『白の家族』で第13回野性時代新人文学賞。’93年『孤独の歌声』(新潮社)で第6回日本推理サスペンス大賞優秀作。’96年『家族狩り』(新潮社)で第9回山本周五郎賞。2000年にはベストセラーとなった『永遠の仔』(幻冬舎)で第53回日本推理作家協会賞を受賞。04年『家族狩り』(新潮文庫)をあらためて書き起こした。06年『包帯クラブ』を<ちくまプリマー新書>の一冊として刊行して話題を呼んだ。他の著作に『あふれた愛』(集英社)、画文集『あなたが想う本』(舟越桂と共著・講談社)、対談集『少年とアフリカ』(坂本龍一と共著・文藝春秋)がある。(著者近影:坂本真典)

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