ちくま文庫

家庭に本のあった時代

岡崎武志著『古本で見る昭和の生活』解説

古書店主出身の作家・出久根達郎さんが、同時代を生きた視点から、岡崎さんが描く昭和の生活と本の世界、その魅力を紹介します。

 昭和は「帽子」の時代であった、と本書にある。
 誰もが、帽子をかむっていた。それは昭和三十年代前半ぐらいまで続いていた。
 私が上京したのは昭和三十四年春だが、東京の下町には、けっこう帽子屋さんが店を張っていた。テーラーも、何軒かあった。下町の人は、ダンディーであった。いつのまにか、帽子専門の店は姿を消していた。
 私は古書店の店員であったが、本を払いたいから来てくれと呼ばれて伺うと、本らしきものは申しわけ程度の量で商売にならず、それならこれを買ってくれないか、とたくさんの男物帽子を出されたことがあった。
 並大抵の数ではない。おそらく帽子道楽の人だったのだろう。どれも使用したソフト帽で、重ねた形で大きな茶箱に納められていたが、古本屋に持ちかけるくらいだから、質屋や古着商で断られたのに違いない。帽子の時代ではなくなっていたのだ。
 売りぬしは鉢が小さい人で、私にはサイズが合わない。好きなのを一つ足代がわりにくれるということだったが、使えないものをいただいてもしょうがない。
 それに、そう言っては何だが、帽子というものは、一つや二つ目にしてもどうということはないけれど、何十個と同じ形の山に接すると、いささか不気味である。洋服が何十着並んでいても何という感じもしないが、ソフト帽は意志があって、言葉をしゃべるような気がする。私は早々に退散した。
 帽子の時代、という語彙から、昔の、ひょんなことを思いだした。
 岡崎さんは、帽子をかぶる習慣を失うと共に、人はきれいな挨拶の型もなくした、と重要な指摘をしている。帽子は挨拶の小道具だったのである。
 帽子を用いなくなったから挨拶がおろそかになったのでなく、礼を失ったから帽子が必要でなくなった、と言えるかも知れない。
 それにしても、岡崎さん紹介の帽子カタログによれば、昔の帽子(男性用のみ)の種類は四十一種という。
 いやはや、大変な品種である。当然、ひとつひとつに名称があるわけだ。現代人には(帽子を愛用する人をのぞいて)、どれだけ正確に名前を言えるだろう(そういえば、とんがり帽子というのもあった)。
 実体がなくなれば、名称も消える。しかし、文書には記録されている。後世の人が、たとえばソフト帽やとんがり帽子の形を知ろうとすれば、古本で帽子カタログを探さねばならぬ。古本のありがたさを思い知るのは、こんな時であろう。
 同時に、こんな古本があるのですよ、と親切に教えてくれる岡崎さんの古書紹介が(つまり本書のような本が)、貴重かつ、無くてはならぬ必備品なのである。
 何が貴重といって、重要でない内容の本の案内だからである。古書業者は、「雑本」と称している。まともな研究者は、決して取り上げない類の本である。彼らは一級資料のみをあがめる。雑本はいかがわしい、と決めつけ、端から相手にしない。
 まじめ一辺倒の研究書は、読んで面白くない。内容は立派だが、無味である。面白さとは、いかがわしさなのだ。
 心ある学者は、岡崎さんの古書ガイドを、もっと活用すべきである。岡崎さんは、そ知らぬ振りして、研究のヒントを語っている。こんな本が、こういう研究に有効ですよ、と教えている。
 たとえば、昭和三十年代の風俗風物を、手っ取り早く調べるには、岩波写真文庫が最適、と勧める。この写真文庫は、当時の生活のにおいまで記録している、と岡崎さんは解説する。貴重な写真集が古本屋で一冊せいぜい百円か二百円なのである。
 昭和三十四年頃までに、二百八十六点ほどが発行された。今でも古本屋の店頭で、簡単に探せる。しかし、集めるなら今のうちだろう。必ずや、どうしても入手できぬ巻が出てくるはず。これが古本探しの面白さである。
 そして目当ての巻が、とんでもない高い値で売られているのを目のあたりにする。それにはそれなりの理由があることは、本書のフランソワーズ・サガン著『一年ののち』が、いい例である。
 岡崎さんも推奨しているが、今のうちに是非集めておいていただきたいのは、昭和三、四十年代に各社から刊行された、『世界文学全集』『日本文学全集』である。これは現在、一冊百円、二百円で入手できる。どこの版元のものでもよい。試しに購入して読んでみれば、文学全集のよさが、ストレートに伝わってくる。
 思えば、『世界』『日本』の両文学全集は、「ご家庭にあった本」の代表であった(これと百科事典)。「ご家庭にあって読まれなかった本」の代表と言い直してよい。
 装飾品の役しか果たさなかった、と言われるけれど、私は立派に日本の文化に貢献していた、と思う。
 朝夕、何度か書棚に目が行ったはずだ。すると無意識のうちに、書名を読んでいる。長い間に、書名や人名が脳裡に焼きつけられる。全集は読んでいなくとも、世界名作のタイトルや作家の名は、おのずと覚え、人との会話などに生かされたのではないか。
 文化は、勉強ではない。環境のもたらす雰囲気である。雑談で文学が話題に上がっただけでも、教養を感じさせた。
 昭和は、文学全集の時代だった、と言えるかも知れない。「円本」と称された一冊一円の日本文学全集が、ベストセラーになったのが昭和の幕開きだった。全集企画の終焉と共に、昭和は終わった。家庭から全集どころか、本そのものが消えたのである。