ちくま文庫

近くて遠い人

『父と私 恋愛のようなもの』解説

『父と私 恋愛のようなもの』(ちくま文庫)の解説を公開します。堀口大學の長女・すみれ子さんの目には文豪・森鷗外とその娘・茉莉はどんなふうに映っていたのでしょうか。有名な鷗外の森茉莉愛とひと味ちがう、堀口大學の娘思いも読みどころです。

 六、七歳のころでした、風邪で寝ていた私に、父が「逗子に行くけど欲しい物あるかい?」と訊ねました。私はすかさず「ほーん、本がいい」と少女ブックや少女クラブを頭に描いて頼んだのに、父が買ってくれたのは、「少年少女の為のマンガ日本の文学」といったシリーズの何巻目かの『山椒大夫』でした。「エー、違うのが良かった」と言う私に「まあ読んでごらん」と言っただけでした。『山椒大夫』は、子ども心に恐ろしくまた、面白く何度も何度も読みました。堅い表紙の角が丸くなり、紙が剥けてしまっても、いつまでも手放さずに、私の周りに置いて過ごしました。原作者の森鴎外が、父が詩歌の上の父母と尊敬した与謝野鉄幹・晶子と極めて親しい間柄だったから、本屋の棚の中から『山椒大夫』を選んだのでしょう。その後は鴎外の作品に触れることはなく、お嬢さんの森茉莉(さんを付けて書くと、そんなに親しくありません、とご本人に叱られる気がするので、尊敬の意味で呼び捨てにします)が精力的にエッセイや小説を発表して、のちに「森茉莉かぶれ」という言葉が出来るほど、また自分の名を「茉莉」と筆名にする熱烈なファンが出るほど、一世を風靡した時期があったのを、私は知らずに通り過ぎました。わずかに週刊誌に連載されていた「ドッキリチャンネル」を何回分か読んで父に「こんなに言いたい放題に書いてしまって良いの?」と訊ねた事を覚えています。父がなんと答えたかは忘れました。

 ごく最近、父の遺品の未整理の袋に目を通していたら、差出人が森林太郎と記した封書がありました。リンタロウ? オウガイのこと? 宛て名は? 父ではなく弟の森潤三郎でした。書誌学の専門書の、書名と書きつけでした。なぜ鴎外が弟に宛てた手紙がここに? 父の還暦祝いに、鴎外の手紙を贈ります、という知人からの手紙も見つかりました。うっかりしたらシュレッダーにかけてしまうところでした。鴎外の手紙の発見から十日も経たない内に、この稿の依頼がありました。不思議なご縁を感じます。

 既刊の『紅茶と薔薇の日々』『贅沢貧乏のお洒落帖』『幸福はただ私の部屋の中だけに』と本巻『父と私恋愛のようなもの』を通読して森茉莉の感覚、感性、豊富な語彙をちりばめた滋味溢れる文章世界を知りました。それは耳元で森茉莉がその低い声で、とぎれなく語り続けているのを聴いているような錯覚に陥ります。聴きながら映画のフィルムに映し出されるように、風景も場面も人の心さえ見えます。どの章も息の長い一篇の詩のようです。年を経ても枯れない若い感覚と好みの激しさは持ち前の性格でしょうか? 思ったことをはっきりと言えるのは、受け入れられて育った由縁でしょうか?

 森茉莉の原点はパッパの膝の中のようです。いつでもどんなときでも、たとえ鴎外が読書中でも執筆中でも、静かにハヴァナをくゆらせているときでも、手にしたハヴァナの灰を落とすと味が落ちるので、傍らの本棚や机のへりにそーと置き、茉莉を揺籃のような自分の膝の中に入れ、背中を撫でながら「お茉莉は上等、目も上等、眉も上等、鼻も上等、ほっぺたも上等、性質も素直でおとなしい」と祈りのごとくお茉莉賛歌を耳元で唱え続けた、という原体験を森茉莉は繰り返し思いだして、心象風景を呼び起こします。パッパの膝の中と同様に、巻中に何度も出てくる大きな木、庭の茂みの中で季節になると白い花を降るように咲かせる特別な木、提灯の木(後に金竜辺と呼ぶ)の下が最大の安らぎの場所であって、パッパの膝の中と同じくらい頻繁にその大きな木の下に這入って、白い花にハヴァナの匂いを嗅ぎ、渡る風にパッパのお茉莉賛歌の声を聴き、枝を透かして仰ぐ空に自分に向けて来る、恋する人のようなパッパのまなざしを感じていました。パッパの膝の中と提灯の木の下の原体験は、生涯を通してどんなときでも森茉莉の心張棒だったかと思います。

 森茉莉は兄妹の中で、自分一人が鴎外の愛を独占していたと言い切ります、茉莉五歳のとき弟の不律とともに百日咳に罹り、奇跡的に茉莉は助かり、一歳にも満たない不律は亡くなってしまいました。医者も両親も一度はあきらめた茉莉の命だったようです、死線を越えて生還した茉莉を鷗外はどれほど愛しく大切に思ったでしょう。慈愛あふれる眼差しを一身に受け、なにをしても許されて、感性豊かな茉莉と鴎外の二人の間には、二人だけの密度濃い情趣があった、それは「恋愛のようなもの」と茉莉は繰り返します。

 本巻『父と私恋愛のようなもの』を繰り返し読み、いつの間に森茉莉を自分に、鴎外を父に引き寄せていました。父も慈愛に満ちた人でした。森茉莉同様私も父が年を取ってから生まれました。父のやり方で可愛がってくれました。しかし私は森茉莉ほどの感受性がなく、父が示してくれた恩寵を受け止めることができませんでした。私が父の愛情の深さを知ったのは、父が亡くなった後です。他の父親を知りませんから、どの家も父親は同じようなもの、と思って育ちました。修学旅行の行く先々のその日の宿に、私より先に父からの手紙が待っていました。修学旅行の行く先々に親からの手紙が届いているなんて私だけでした。筆まめな父の半分嬉しくて半分迷惑な行為、くらいに思っていました。

 鴎外は来客が茉莉の顔を誉めないで、着ている着物を誉めたと、客の帰ったあと本気で憤慨して機嫌が悪かったそうです。

 頑是ない茉莉の行く先を案じ、年若いうちに結婚させれば、婚家で行き届かない嫁であっても、まだ若いのだから……と大目に見て貰えるだろうと考えて、十五歳で見合いをさせ、十六歳で嫁がせました。それも婚家に使用人の四、五人位はいなければ茉莉は収まらないだろうと吟味して。一方、私が結婚すると言いだしたとき、「お嫁になんていかないで、ずーっと家にいればいい、パパが死ぬまで傍に居ておくれ、女の人には適齢期なぞないのだよ、一人で居ればいつだって適齢期さ」と言う父の反対を押し切って結婚するのは大変でした。両極端ですけれど、鴎外も父も、無責任。親馬鹿。なぞと決して言えない親心です。結婚のいきさつが右の通りでしたから森茉莉は嫌になったらさっさと別れられたのかも知れません。一方、私は大反対された結婚でしたので「まだ嫌にならないのかい? 帰っておいで」と言われれば言われるほど帰れませんでした。

 父から日常的に鉄幹・晶子、(永井)荷風、(佐藤)春夫、(萩原)朔太郎、(室生)犀星、(三好)達治、の名を聞いて暮していましたが、鴎外の名はほとんど聞いたことがありませんでした。唯一『山椒大夫』を風邪で寝ている私に「読んでごらん」と選んでくれたのが最初で最後でした。けれど父は森茉莉が師と親しんだ犀星が亡くなられた時には、長文の追悼詩を書いています。亡くなられる少し前には、お嬢さんの朝子さんから連絡を受けて、父と私は虎の門病院にお別れに行きました(私はエレベーターホールで待っていただけです)。晩年の森茉莉と親友だったという萩原葉子さんの父上の朔太郎は父にとって遠くない存在でした。ほんのわずかな時の差で、お会いする機会がなくて残念でしたが、同一の円の中にいた方でした。

 書ききれない共通項がたくさんあって、森茉莉は私にとって身近で慕わしいと思う
反面、近づいて息吹に触れたら、たちまち「森茉莉かぶれ」に感染するでしょう。近
くて遠い人、と感じているほうが安全な気がします。

関連書籍