ちくまプリマー新書

美しき人体の内宇宙

『カラー新書 世界一美しい人体の教科書』新刊紹介エッセイ

PR誌「ちくま」より、4月刊 『カラー新書 世界一美しい人体の教科書』(坂井建雄 著、ちくまプリマー新書)の新刊紹介を公開します。医師であり、漫画家である茨木保先生が、本書の精髄を解説しつつ、自然の情景になぞらえながら人体の神秘の世界へと迫る、魅力あふれるエッセイです。ぜひご堪能ください。

 解剖の基礎は、顕微鏡によって器官や組織の微細構造を観察・研究する「組織学」である。生物の体は、生命の最小の単位である「細胞」、その集合体である「組織」、さらにそれが形作る「器官」・「臓器」という階層構造によって構成されている。
 本書は高名な解剖学者、坂井建雄教授による「顕微鏡写真で学ぶ解剖学書」である。収められた顕微鏡写真は約百点、いずれも光学顕微鏡や電子顕微鏡で撮影され、美しく着色された人体の中のミクロの世界だ。
 「見えない物を見たい」という思いは、人間の本能的な好奇心である。その欲望は科学を発展させた原動力でもある。十七世紀以降、顕微鏡の発明によって人々は、目には見えない世界の存在を知る。小さな物を大きく見る光学機器の発明、細胞や組織の構造を色素によって可視化する染色技術、電子顕微鏡の開発……テクノロジーの進歩は、そのたびに人類の認識の範囲を広げ、医学を新しい地平線に導いてきた。
 本書で紹介される顕微鏡写真は、どれもが肉眼では認識できない微細な体内世界だ。それらは人体の一部でありながら、しかし、美しい自然の風景にも見える。
 「人体を包む外宇宙と同様、ヒトの体の中にも内宇宙が存在する」という概念は、洋の東西を問わず、人類が共通に抱いてきたものであるが、本書に掲載された数々の写真を眺めると「なるほど、そういうことか」と実感する。
 胆嚢の粘膜の表面は、中国の黄龍の石灰華段。気管支の断面と表面にそよぐ線毛は沖縄万座毛。陰茎海綿体の血管はハワイのキラウエア火山の溶岩流を思わせ、月経周期二十二日目の子宮内膜の表面はさながらアリゾナの荒野。小脳の断面はグレート・バリア・リーフのサンゴ礁。腱の断面はグランド・キャニオンの渓谷に瓜二つである。
 キューブリックの名作SF映画「2001年宇宙の旅」では、宇宙飛行士が生命の創造主に導かれ、胎児に還元されるシーンで、極彩色のランドスケープが走馬灯のように流れる。黒い背景に並べられた本書の鮮やかな顕微鏡写真を眺めていると、彼が見た「宇宙の秘密」に触れるようである。
 「フラクタル」という言葉がある。自然界にみられる複雑な形状は、しばしば細分してもそこにまた元の図形が現れ、それを細分してもまた似たような図形が現れるという現象のことだ。海岸線や植物の枝葉、動物の血管、あらゆるところにこの現象は見られる。人の作った一般の図形は、拡大するにしたがい、その細部が無くなり滑らかになっていくものだ。これに反して自然界に見られるフラクタル図形は、複雑な図形を拡大しても同様に複雑な図形が見えるのである。無限なる細部の階層構造……「神は細部に宿る」という言葉の意味は、こんなところにあるのかもしれない。本書に掲げられている人体内部の小宇宙は、まさに神の息遣いなのである。
 本書は教科書である。解剖学の器官系の分類にそって分けられた各章には、坂井氏の簡潔にして明快な器官の解説が添えられている。漫画家としてこれまで「目で見る医学書」を作ってきた小生には「ここに解剖図」、「ここはシェーマで解説」、「ついでに少しギャグも(笑)」……などと余計なこともつい考えてしまうのだが、そうした無粋な夾雑物を一切排除した構成は、坂井教授の美学に基づくものであろう。
 科学は、そして人体は、誠に美しい。

2018年5月30日更新

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茨木 保(いばらき たもつ)

茨木 保

1962年大阪府生まれ。医師・漫画家、医学博士、いばらきレディースクリニック院長。奈良県立医科大学卒業。1989年に京都大学ウイルス研究所研究生として、発がん遺伝子の分子生物学的研究に携わる傍ら、週刊ヤングジャンプ増刊号にSF短編を発表し、プロデビュー。以後、臨床医として診療を続けながら、漫画、イラストから、テレビ番組の制作協力にいたるまで、マルチな活動をしている

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