ちくま文庫

硬軟の人

『好きになった人』解説

ノンフィクション作家・後藤正治さんが、ノンフィクション作家・梯久美子さんの執筆に迫る。「人と出会い、交わり、書き残す作業」の作用とは? その後の対象への理解とは?

 この数年、梯久美子さんとは年一、二回顔を合わせてきた。ともに、某ノンフィクション賞の選考委員を仰せつかってきたからである。候補作に委員それぞれが点数を与え、作品評価の議論をし、再投票を行い、受賞作を決める。

 ここから先は内緒話の類になろうが、どういうわけか、毎年、彼女とは候補作に対する評価がほぼ同じである。点数まで一致している年もあった。多分、ノンフィクション観――というものがあるとすれば――に似通ったものを持ち合わせているからなのだろう。

 明晰でしっかりものの女性、というのが私の受け取ってきた梯像であるが、一方で、柔らかくてしなやかな感性が併せ伝わってくる。彼女の個人史については、著書来歴に記された以上のことは知らぬままできたが、本書『好きになった人』を読み進めていくと個人史のあらましがわかる。ああそうか、なるほどと、同じように双方の持ち味が感じられて、ははんとうなずくのである。

 熊本の生まれで札幌育ちなのは、自衛官だった父の転勤によるとある。三姉妹の末っ子。少女時代、近所の本屋さんに入り浸り、雑誌の入れ替え日や本棚に並ぶ書名はほぼ掌握していたとか。将来の道がほのかに暗示されていたというべきか。

 大学を卒業して上京、会社に勤め、編集プロダクションを営み、やがてフリーの物書きとなる。本書収録のエッセイ「東京タワー」は、はじめての著書(『散るぞ悲しき――硫黄島総指揮官・栗林忠道』)の執筆時の模様を記していて、趣深い。

 硫黄島を訪れたとき、スラックスの裾にくっついてきたイガイガの草の実が、帰還かなわなかった兵士たちの身代わりのように思えて捨てきれず、パソコン画面の隅にセロハンテープで貼りつけ、くじけそうになると実を眺めたとある。

 夜半、仕事場の窓から遠くに東京タワーの淡い光がほのかに見える。果たして書き上げることができるのか……。だれも、孤独な一人だけの時間をくぐり抜けることを通して、なにものかになっていく。

 終戦間際、特攻艇「震洋」の隊長・島尾敏雄と奄美の島娘・ミホが出会う。二人の波乱に富んだ歳月を追った『狂うひと』が各文学賞を総なめにしたことは記憶に新しい。「ヌンミュラ、ウシキャク、浦巡り」は島を訪れた日の思い出を記しているが、同行カメラマンの砂守勝巳が「ミホさんって、オノ・ヨーコみたいだったな」と言ったとある。

 たまたま私は砂守と面識があり、これまたたまたまであるが、ニューヨークの高級アパート、ダコタハウスにオノ・ヨーコを訪ねた日もある。問答はあまり噛み合わなかったが、ヨーコが「私って巫女なのよ」といったことを思い出す。ミホがヨーコ的なものをもつ人かどうかはともあれ、固有の内面を発信する人だった。それをきちんと豊かに受信しうる人が梯だったのだと思う。

「森崎和江さんへの手紙」に、ノンフィクションの書き手を「ダイバー」にたとえた人がいたとある。短時間で水面に上がってこられるから、対象に対して深くもぐることができるのだ、と。

 この稼業、確かにそういう一面はあろう。けれども、梯は「本当にそうなのだろうか……」と自問する。彼女の自問は私の自問でもある。水面に上がってひとまず息をついても、身体の一部はなお水中にとどまっていて、その感触は長く残り続ける。人と出会い、交わり、書き残す作業はそんな作用を伴う。対象へ、真の理解が及ぶのはずっとのちになってからのこともある。

 ノンフィクションの世界に彼女が参入したのは、偶然に混ぜられた必然であったのだろう。いま書き盛り。これからさらにノンフィクション界の中心軸を担っていってもらえるだろう。

 

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