ちくま文庫

ソースで終わる恋もある

野瀬泰申著『決定版 天ぷらにソースをかけますか?』解説より

7月刊行の野瀬泰申著『決定版 天ぷらにソースをかけますか?』より、ホフディラン小宮山雄飛さんによる解説を公開します。小宮山さんはこの本が愛読書だったとか。

 中学生の頃、下北沢に住む同級生の家によく遊びに行っていた。その友人には綺麗な
高校生のお姉さんがいて、僕はこっそりそのお姉さんに恋心を抱いていて、実は友人と
遊ぶことよりもお姉さんに会えることを楽しみに彼の家にちょくちょく遊びに行ってま
した。ある日、いつも通りその友人の家で友人そっちのけでお姉さんとお喋りしていた
ら、いつの間にかけっこうな時間になってしまい、おばさんから「雄飛ちゃん、夕食食
べていったら?」と誘われました。

 中学生の頃って、まだ友達の家で夕食を食べるという機会もそんなになく、まして好
きなお姉さんの家(正確には友人の家)というかなりスペシャルなシチュエーション、
僕はすっかり舞い上がりました。しかもその日の夕食は焼肉。わりかしお金持ちだった
その家の食卓には、いかにも高級そうなカルビやロースが、ホットプレートを囲むよう
に並べられていました。すっかりテンションが上がる中、友人が「僕が大根おろすよ」と大根をおろし始めました。お母さんがホットプレートに油をひき、まずはスライスし
たにんにくを焼き、程よく焦げたあたりで鉄板から一旦お皿へと取り出しました。これ
は鉄板焼き屋さんでプロがステーキを焼く際のやり方! 家での焼肉でここまでするな
んて、さすが憧れのお姉さんの家、と感激しました。そしていよいよ肉を投入、一枚一
枚丁寧に鉄板に並べられ、裏返すたびにジュージューと美味しそうな音と匂いが部屋に
溢れます。なんという至福の時間、肉が焼かれると共にお姉さんへの僕の情熱もますま
す燃えていきました。

 しかし、次の瞬間思わぬことが起こりました。「焼き上がったわよ」というお母さん
の合図のもと「はい!」とお姉さんから手渡されたものを見て、僕は「え?」と言葉を
失ってしまったのです。

 肉がほどよく焼き上がり、さあ食べようという段階でお姉さんが僕に手渡したもの、
それは、中濃ソースだったのです。

 「え?」僕は混乱しました、このソースは一体何に使うために渡されているのか。付け
合わせにキャベツの千切りでもあるのかと、周りを見渡しましたがそんなものは見当た
りません。焼肉の他にコロッケなんかの揚げ物もあったっけ? と卓上を探すも、そこ
にあるのはホットプレートの上で、あとは食べられるのを待つ焼肉のみ。いくら探して
もそれ以外の可能性を見つけられません。そうです、憧れのお姉さんから渡された中濃ソースは、焼肉につけるために渡されたのです。

 しかし状況を完全には理解できていない僕、おそるおそる「えーっと、このソースは、
そのー、や……焼肉用ですよねー?」と尋ねると、「そうだよ」なんの戸惑いもなく答
えるお姉さん。「早くソースかして!」僕に渡されたソースを横から奪い自分の皿に注
ぐ友人。「いっただきまーす!」ソースを注いだが早いか、鉄板から肉を取り、皿の上
のソースにつけて美味しそうに食べる友人。ここへ来てさすがに僕も事態を全て把握し
ました、「あー、このお家、焼肉を中濃ソースで食べるのね……」。

 しかし頭では理解したものの、どうしてもソースに手が伸びません。焼肉を中濃ソー
スで食べるという習慣は、僕の中には全く無いのです。合う合わないとかそういうこと
ではありません、自分の中に「無い」行為をするにはものすごく勇気がいるのです。例
えば刺身をケチャップで食べろと言われて「はいそうですか」と簡単に試せるでしょう
か? あるいは喫茶店に入って「うちの店では珈琲には砂糖とミルクではなく、塩とお
酢なんです」なんて言われて「そうなんですねー」と素直に塩とお酢を入れることがで
きるでしょうか?

 もしかしたら、今の僕だったら「家によって食べ方って違うんですねー」なんてすん
なりソースで焼肉を試しているかもしれません。でも中学生だった僕には、どうしても
その壁を乗り越えることができなかったのです。といって「焼肉のタレないですか?」なんて聞くこともできません(というか焼肉のタレがあれば最初から出してるでしょう
し)。せめて「ポン酢あります?」くらいのことが聞ければよかったのですが、憧れの
お姉さんの食べ方を否定してるようで、どうにも言葉が出ない。そこでなんとか相手を
傷つけず、自分も納得できる着地点はないかと中学生の僕が考えぬいて発した言葉が
「あのー、お醬油あります?」でした。

 お醬油だったら絶対あるし、焼肉をソースで食べることへのそこまでの否定にもなら
ないんじゃないかと。「お宅はソース派ですか? うちは醬油派なんですよ」なんて感
じで、軽いお家ルールの違いみたいにできるんじゃないかと。

 僕のここまでの苦悩も知らず、醬油を頼まれたお姉さんは「へー、雄飛んとこって焼
肉を醬油で食べるんだ。変わってるねー」と笑いながら醬油を渡してくれました。いや、
僕だって普通だったら焼肉をただの醬油につけて食べたりしないですよ……。実際、た
だ醬油をつけただけの焼肉は、塩っぱいばかりで実に味気のないもので、その塩っ辛さ
とともに、甘かった僕のお姉さんへの恋心もいつの間にか冷めていったのでした(ソー
スで終わる恋もあるんだなと、中学生にして学びました)。

 すっかり自分の話が長くなってしまいましたが、これは野瀬泰申さんの『決定版 天
ぷらにソースをかけますか?』の解説です。実は『天ぷらにソースをかけますか?』は
僕の愛読書だったので、今回解説のお話を頂いて即答で「やらせてください!」とお返事させてもらいました。こうして改めて考えてみると中学時代の「焼肉にソース事件」
以来、ソース問題というのは僕の中で一つのトラウマになっていたのかもしれません。
そのトラウマと向き合い、克服するために僕は今回の解説のお仕事を受けさせてもらっ
たのかもしれないです(いや、単に大好きな本だったからですが)。それにしても、焼
肉にソースだけでもカルチャーショックだった中学生の僕が、もしあの日の夕食が天ぷ
らで、そしてお姉さんが手渡したのがやはりソースだったら……一体どうなっていたで
しょう。

 いやいや、なにも天ぷらにソースや焼肉にソースを否定してる訳ではないんです。た
だ、先ほども書いたように、人は誰しも自分の中に「無い」ものを見せられた時、ドギ
マギし、ソワソワし、受け入れるべきか悩み、葛藤し、歩み寄ろうとし、やっぱり距離
をおき、最悪の場合は一つの甘い恋すら終わってしまう訳です(それが僕のパターンで
す)。だからこそ本書は、単なる地域による食文化の違いの研究書ではなく、読む人の
根源を揺るがすような面白さがあるんじゃないでしょうか。みんな読みながら「それは
ないよ!」とか「おいおい、常識だろ!」とか「ショック! 俺の方が少数派だったん
だ……」なんて、エピソード毎に一喜一憂してしまうのです。

 ちなみに本書の楽しみ方として僕がオススメしたいのは、友人が一〇人くらい集まっ
た飲み会での公開調査。

 「天ぷらにソースつけて食べてた人、手を上げて!」とか「冷やし中華にマヨネーズつ
ける人、手を上げて!」とかやってみてください。面白いくらいに意見は分かれ、それ
までは仲良かった者同士が突如「昔からお前のそういう所だけは認められなかった!」
などと本音を露わにし、場はざわつき、止まらぬ怒号、「そんなやつの隣に座りたくな
い」と突如席替え開始、通路を挟んで二つのテーブルが睨み合い状態に。しかし次の質
問になると「いや、それはない」とまたしても民族大移動、「ソースについては一悶着
あったけど、味噌汁についてはお前は前々から分かるやつだと思ってた」などと突然の
和解。さらには「じゃあ全員分納豆注文するから、各自本当に美味しいと思う食べ方で
食べてみよう」と突然の実施調査スタート。「砂糖ください」「卵の黄身だけください」
「挽き割りにしてください」などとわがままを言い始める人が現れ、しまいには「なん
で勝手にかつおぶしかけてくるんだ!」と店員にからみ始める輩まで、それはもう大盛
り上がりの飲み会になること間違いなしです。

 日本列島という縦に細長い島国の食文化の違いを明らかにし、さらにその違いこそ面
白いとエンターテインメントへと昇華させた本書は、時に自分の本質に気づかされ、時
に他人の存在・大切さをも感じさせる、あえて喩えるならアドラー哲学にも通じる、人
生の指南書のような一冊ではないかと思うのです。

 

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