PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

「好き」という気持ちに向き合った時間

ちくまプリマー新書『部活魂! この文化部がすごい』に関するエッセイを小説家の額賀澪さんに寄稿していただきました。 ようやく中高も再開し、部活もはじまろうとしている今、ぜひご覧くださいませ。

「外で遊びなさい」と言われるのが死ぬほど嫌いな子供だった。
 小学生の頃は休み時間に外でドッジボールをするクラスメイトを横目に図書室に籠もり、「外で遊びなさい」とよく担任に摘まみ出された。屋外で友達と元気に遊ぶのが正しい子供と思われてるんだなと、理不尽に感じたことをよく覚えている。
 要は「好きなものに夢中になる」という行為に、何が正しいとかどちらの方が高尚だなんて考えを持ち込まれることに、私は猛烈に腹を立てていたのだ。学校教育の一環である部活動も、そんなヒエラルキーの中にあるような気がして、ずっと複雑な感情を抱いていた。
 中学時代は吹奏楽部にいたが、地区コンクールで一位になったときも、嬉しいという気持ちと、「この時間は何なのだろう」と自分を遠くから眺めているような気持ちの、両方があった。
 作家になった今も、そのせめぎ合いの中で青春小説やスポーツ小説を書いている。愛おしい気持ちともの凄く冷めた気持ちが同居している。私が青春を取り巻くさまざまな要素を純粋に好きでいる人間だったら、青春小説なんてものを書こうとはしなかったかもしれない。
 ――なんてことを、この本を読みながら考えていた。部活を始めとした、何かに夢中になって頑張るあの時間は、結局のところ何なのだろう。特に、新型コロナウイルスの影響で、部活に励む中高生達が目指す大会やコンクールが軒並み中止になっていく中、自分のような作家がすべきことは何なのだろう、と。
 本書は、読売中高生新聞連載の「部活の惑星」(全国の中学校・高校の部活を小説風に伝えるコーナー)から、文化部をセレクトして一冊にまとめたものだ。登場するのは、文化部での活動に青春を捧げた中学生、高校生達。演劇部や吹奏楽部などのメジャーな部もあれば、熱気球で空を飛ぶバルーン部、岩手県を中心に東北地方に伝わる鹿踊りを極めんとする鹿踊り部、雑草に愛を注ぐ雑草研究会といった、一風変わった部活もある。
 誰もが共通して、自分が好きなものに「好きだ」という気持ちを全力でぶつけている。そこには、メジャーだとかマイナーだとか、強豪だとか弱小だとか、大人が思う「健全で理想的な若者象」と合致するかしないかなんて関係ない。
 天気のいい日は外で遊びたいと思う人もいれば、部屋に籠もって本を読みたい人もいる。野球が好きな人がいれば雑草が好きな人がいる。バスケが好きな人もいれば鹿踊りが好きな人もいる。学校という狭い世界にもこんなにたくさんの「好き」があふれていると、一つ一つのエピソードが教えてくれる。
 好きなものに夢中になる時間が当たり前のものではなかったと、新型コロナウイルスの流行で思い知った中学生・高校生も多いことだろう。時間を忘れて何かに熱中し、好きなものを同世代と共有し、大会やコンクールを目指したり一つの作品を作りあげたりする時間が贅沢なものになってしまうとは、私も考えたことがなかった。こんなにも理不尽な理由で、多くの人が目指していた場所が奪われることがあるのだと。
「この経験はいつか君の人生に活きる」
 なんて、彼らを元気づけるために言う人もいるかもしれない。私はこの手の言葉が大嫌いな子供だったし、そのまま大人になった。ただ、青春小説やスポーツ小説を書いてきた作家として強く思うのは、「好き」という気持ちや「頑張り」や「努力」を軽々と裏切るくらい、世の中は理不尽でどうしようもないということだ。「この経験はいつか君の人生に活きる」と言わざるを得ないほど、当人がそう思わないとやっていけないほど、どうしようもない。
 しかし、そんな状況下であっても、「好き」という気持ちと向き合った時間は、この先も形を変えて訪れる数多くの理不尽に彼らが立ち向かうとき、耐えるとき、きっと支えになるはずだ。
 本書に登場する中高生にも、登場しないすべての中高生にも、そんなメッセージをこの本は届けてくれる気がする。
    

2020年7月8日更新

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額賀 澪(ぬかが みお)

額賀 澪

1990年(平成2年)生まれ。茨城県行方市出身。日本大学藝術学部文芸学科卒。2015年に『屋上のウインドノーツ』(「ウインドノーツ」を改題)で第22回松本清張賞を、『ヒトリコ』で第16回小学館文庫小説賞を受賞しデビュー。2016年、『タスキメシ』が第62回青少年読書感想文全国コンクール高等学校部門課題図書に。その他の既刊に『さよならクリームソーダ』『君はレフティ』『拝啓、本が売れません』 『風に恋う』 『競歩王』など。