PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

「老い」はシェアできるのか

ルームシェア・オタク・中年・3

PR誌「ちくま」4月号より藤谷千明さんのエッセイを掲載します。

 高校二年生の頃だったか、離れた街でひとり暮らす祖母のアパートの大家から家に手紙が届いた。祖母はどうやら予てからその気のあったアルコール中毒に加えて認知症が進み、その状態でも男を連れ込んでいるようで毎晩怒鳴り声が聞こえる(ちなみに祖父は随分前に蒸発して行方不明らしい、よく知らない)、保証人である祖母の息子、つまり父親になんとかしてほしいといった内容で、たしか「助けてください」で結ばれていたように記憶している。最悪じゃん。私はその便箋を眺めながら「凄いな~筆致に切迫した状況がにじみ出ているな~」という感想を持った。他人事か。そしてすぐに祖母の借金が発覚し、私の進学話が吹っ飛んだので、二親等はぜんぜん他人ではないのをここで学ぶことになった。
 その後、なんやかんやで施設に入ったものの祖母は十数年後に亡くなった。父親は最後まで施設に通うなどして真面目に面倒を見ていたので、こういうことを母親に任せていないのはマジで偉いなと思いつつ、それと同時に自分が年老いたときにこんな形で面倒を見る人はいるだろうか? という考えが頭を過ぎった。というか「見てほしくないな」と思った。金銭面でもその他においても誰かに託すにはコストがかかりすぎる。
 もしも将来、祖母のような状態……いや、そこまで悪化することはないと願いたいが、あの半分くらいの「最悪」は想定しておいたほうがいいかもしれない。
 この号が出る頃には私は四十歳を迎える。「高齢者」と呼ばれる六十五歳まであと四半世紀、一説には四十代からという「初老」ゾーンに片足を突っ込むことになる。いよいよリアルに「老後」を見据えて生活を考えねば……という謎のプレッシャーも正直ある。できれば誰かにコストを負担させることなくサクッとこの世から退場したいものだけど、健康寿命と寿命の平均をみると、それも中々難しそうだ。老後に関する先人の書籍を手にとっても、基本的に同世代に向けて書いているため「持ち家」が前提として話がグイグイ進む。その時点で不動産なし勢の我々は置き去りである。
 今現在私はアラフォー女四人でルームシェアをしており、その生活はとっても快適というのは前々号でも申し上げたところではあるものの、これが一生続けられるかどうかはちょっと怪しい。「老い」のスピードは人それぞれなので、六十代七十代になっても同じ関係でいられるかはわからない。
 現段階の話をすると、アラフォー女が四人で暮らしていると「全員元気いっぱいヒャッホー!」な日は体感的には月に何度もない、っていうかない。やれ低気圧だ腰痛だPMSだ生理だ原因不明の不調だなどなど、「医者にかかるほどではないができれば横になっていたい日」のほうが多い。その場合は元気な誰かが最低限の家の雑事をこなして、全員ダメなときは諦めて出前を頼むこともある。このくらいの持ちつ持たれつで、徐々にレベルアップ(ダウン?)していく各々の健康状態をフォローしていけたら、理想ではある。老後は無理でもせめて更年期はそれで乗り切りたい構えである。そうなったらまたその暮らしぶりを書籍にして、老後資金の足しにできたらいいな。そんな遠い未来、「書籍」というフォーマットが存命なのかはわからないが。

PR誌「ちくま」4月号

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