PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

未だ輝く「現在系」のメッセージ

氷室冴子『新版 いっぱしの女』書評

小説家・氷室冴子さんの名エッセイ『いっぱしの女』が新版として遂に復刊。氷室作品をこよなく愛するライター・嵯峨景子さんに書評をご執筆いただきました。(PR誌「ちくま」2021年8月号より転載)

 ある世代の少なからぬ女性にとって、思春期の読書体験と氷室冴子の思い出は密接に結びつく。『なんて素敵にジャパネスク』などのヒット作を手がけ、1980~90年代にかけて女子中高生の定番読み物として人気を博した氷室が51歳の若さで亡くなったのは、2008年のことだった。それから10年以上の月日が流れ、書店で彼女の作品を見かける機会も減っていった。
 だがこのところ、そうした風向きにやや変化がみられる。氷室の著作に、あらためて注目が集まりつつあるのだ。集英社が昨年『さようならアルルカン/白い少女たち 氷室冴子初期作品集』を刊行したのに引き続き、ちくま文庫からもこのほど名作エッセイ『いっぱしの女』が“奇跡の復刊”を遂げた。
 こうした流れを後押ししているのが、氷室冴子作品で育った読者の活躍や発信だと思われる。たとえば『52ヘルツのクジラたち』で2021年本屋大賞を受賞した町田そのこや、『お探し物は図書室まで』で同賞第2位に選出された青山美智子は、それぞれ氷室冴子をきっかけに小説家を目指したことを公言し、折にふれてその影響や作品への思い入れを語ってきた。『いっぱしの女』が復刊されたのも、SNSを中心に要望の声が集まり、それが版元に届いたからだと聞いている。巻末解説をあらたに町田に託し、今の時代にあわせてアップデートしたパッケージで“新版”として復刊した筑摩書房の英断に、心からの拍手をおくりたい。
『いっぱしの女』の元本が刊行されたのは1992年。30年ほど前に刊行されたエッセイ集だが、内容は古びることなく、今もなお鮮烈でアクチュアルな問題を提起する。当時、30代をむかえた氷室は、さまざまな局面で「女」や「独身」、そして「少女小説」に対する人々の先入観に直面させられていた。そんな自身の体験をベースに、氷室は血の通った言葉と鋭い観察眼で、怒りや悲しみ、違和感や憤り、そして人が人を想う美しい感情を語ってみせる。女性や社会をテーマにしたフェミニズムエッセイとしての色合いをもちつつも、その筆致はどこまでも軽妙で楽しい。
 本書にはさまざまな話題が登場するが、セクシャルハラスメントにまつわる一連のエピソードは、現在進行系の問題とも通じる重要なトピックだ。男性インタビュアーから、〈やっぱり、ああいう小説は処女でなきゃ書けないんでしょ〉という言葉を投げかけられた体験を綴る「まえがきにかえて」。あるいは、セクシャルハラスメントという概念を手にしたことで、自分に向けられた女性蔑視を再定義した「なるほど」。そして、ファンレターを装った卑猥な手紙を通じて、女性に向けられる無記名の悪意がもたらす衝撃や恐怖を明かす「それは決して『ミザリー』ではない」。
 氷室は90年代という早い段階で、作家として直面した理不尽な出来事や、セクシャルハラスメントに対して声をあげた書き手であった。今日の#MeTooのように、すぐさま共感の声を集めることができず、今よりも女性に立ちはだかる壁が高い時代のなかで、氷室は自身の怒りや悔しさを明確に言語化した。その勇気と、言葉の重みをあらためて受け止めたい。
 本書はまた、「女」と「女」の間に生まれるさまざまな関係性や感情にも光を当てていく。女ともだちとの友情が生み出す得難い幸福や、気持ちのすれ違いから生じる孤独や淋しさ。「女」にまつわるエピソードにふれる折に、氷室がほのかにみせるナイーブさまでも含めて愛おしい。
『いっぱしの女』のなかで、とりわけ私が好きな箇所を紹介したい。〈女が女に憧れ、その憧れが生きる力になってゆく微妙な感情、泣きたくなるような思い――私はそういう感情が好きだし、いくつも経験している。だから、信じている〉。氷室の小説に通底する女性に対する優しいまなざしや、女同士の連帯を思い起こさせる、美しくも心震える一節だ。
 ほかにも、結婚についての価値観が折り合わない母と娘を描く「一万二千日めの憂鬱」も、強いインパクトを残す。氷室は成功をおさめた人気作家であるにもかかわらず、ただ独身というだけで、母親からは一人前の女だとは認められていなかった。娘の結婚を願うあまりテレビの占い番組に電話出演し、公衆の面前で相談する母親との顛末は、のちに『冴子の母娘(ははこ)(ぐさ)』でより詳細に述べられる。こちらも復刊が待ち望まれるエッセイ集だ。
 懐古ではなく、きわめて現在形のメッセージを伝える『いっぱしの女』は、氷室冴子に初めてふれる人に最適の入門書である。フェミニズムへの関心が高まっている今だからこそ、鋭い問題提起にあふれた氷室の言葉を、多くの人に知ってほしい。

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