ちくま文庫

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ちくま文庫『文庫本を狙え!』解説

9月刊のちくま文庫、坪内祐三さんの『文庫本を狙え!』収録の平尾隆弘さんによる解説を公開します。

 本書は、「週刊文春」連載中のコラム「文庫本を狙え!」、初回から一七一回分を収録している。一冊になるのはこれが初めてである。

 連載開始は一九九六年八月。当時私は「週刊文春」編集人で、デスクO君の発案企画だった。一回目に『のらくろひとりぼっち』が登場した時、意表を衝かれた。初回は何文庫か、勝手に想像していたのだ。文春文庫は身内だから絶対ない、講談社文芸文庫? 「いかにも」感があるから最初は避けそうだ。ちくま、中公、河出あたりかな? いざ見参……あっと驚く光人社NF文庫! 初っ端から「出来るだけ平等を心がけている」という著者のスタンスが鮮明にされたわけである。結果、本書では何と四三もの文庫レーベルが取り上げられている。最多は岩波の一五冊。ちくま、中公が続き、新潮と講談社文芸文庫は一〇冊で同数四位。一度だけ顔を出す銘柄が一五もある。選択に当たって安易な妥協はしない、が、文庫と銘打たれたものならいつかは取り上げよう、そんな思いが常に念頭にあったに違いない。

 著者の筆法は初回以来揺るがない。

「『のらくろ』や「マヴォ」、若き日の小林秀雄に興味ある人はもちろん、一人の女性の成長記として、また、かつて確かにあって今は失われた懐かしい生活様式や人びとの記録としても、貴重な一書である」。

「のらくろは「ひとりぼっち」であっても、それを書いた筆者は。けっして「ひとりぼっち」ではなかった」。

 まず作者と作品の魅力を端的に述べる。さらに、新刊文庫を、時間と空間の広がりにおいて位置づける。つまり人物と書物が織りなすネットワークを意識化する。回を重ねるに連れ緩やかな流れがあり、一回では見えにくいネットワークが、本にまとまると次第に姿を現す仕掛けになっている。近代・現代の文藝と社会がその主軸だから、ジャンルが限られた印象を与えるかもしれない。でも次第に、実は著者にして初めて可能な、バラエティに富んだ豊饒な世界に気付くのである。

 各項、引用の妙と共に、随所に見られる坪内流の「つかみ」が凄玉である。

「山口(瞳)氏は最後まで小市民を演じ続けた破滅派である」(『江分利満氏の華麗な生活』)

「(南方)熊楠は、言わば、丸ごとのひとである」(『猫楠』)

「彼女(武田百合子)の視線の中で、すべての死は等価である」(『日日雑記』)

「自分にとって殆ど興味ない分野や人物が描かれていながら面白く読み通すことが出来る作品。それが本当の伝記文学の傑作である」(『補虫網の円光』)……etc 。

 坪内祐三と言えば、『古くさいぞ私は』『古本的』といった著書があるように、古書通の一人として知られている。だが錯覚してはいけない。『後ろ向きで前へ進む』(これも著書名!)ことこそが彼の本領。きわめてジャーナリスティックな書き手なのだ。たとえば一九二〇年代末期を描いたF・L・アレン『シンス・イエスタデイ』は、同時代日本の「失われた十年」への問題提起として書かれている。神戸「少年A」の供述調書公開を機に、『赤毛のリス』が扱われる。白眉は、ある人物の死を契機に、新刊文庫を俎上にのせる手法である。山口瞳、小沼丹、青田昇、矢代静一、勝新太郎、岡本太郎、江藤淳、田中小実昌……。横井英樹の死に際しては、安藤昇の『激動』。絶妙のタイミングではなかろうか。

 本書中にはしばしば「今や文庫本も、完全に消費物となってしまった。よほど売れ行きの良いもの以外は、二〜三年、いや一年足らずで棚から消えて行く」といった指摘がある。以来二十年近くが過ぎ、書店店頭での新刊文庫の寿命はより短くなった。当時、各文庫は売り上げの三割が新刊(発売半年以内)、七割が棚回転だった。現在、映画・テレビなどの映像化作品を加えれば、新刊比率は四割を軽く超えると思われる。姿を消すのはあっという間。

 だがしかし、以前予想だにしなかった事態が起きている。文庫市場もまた「後ろ向きで前へ」、いや「前向きで後ろへ」と進み、ネットでの古本文庫流通の加速は止まらない。本書一七一点の文庫は、すべてネットで簡単に入手できる。ちなみに価格(二〇一六年七月時点)は最高が二五〇〇円(『日本文壇史総索引』)、最安値は一円(『性商伝』他多数。いずれも送料は別)。皮肉なことに、新刊と古書とが同一線上に並び、文庫は本来の機能を回復しつつある。本書は、古いことによって新しい。現役の、とびきりの文庫案内なのである。

 山田稔『特別な一日』について、著者は特別な書きかたをしている。

「このエッセイ集の素晴らしさを語れる言葉を、私は、上手く探せない。ただただ幸福な気持ちで読み進めて行くだけだ」

 こんな一文を読めば、シブい本好きなら買わずにいられないだろう。もちろん私も。当時慌てて購入、今回再読したくなった。が、整理不順で見当たらぬ。書店を回ったがどこにもない。切羽つまってネット注文、金七〇〇円+送料二五七円也。「読ませるコラム」とは、まさにこのことであった。

(ひらお・たかひろ 神戸外大客員教授)

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