PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

記憶
溶けるものと溶けないもの・2

PR誌「ちくま」6月号より劇作家・兼島拓也さんのエッセイを掲載します。

 昔、小学一年生くらいの話。通っていた小学校の近くに氷屋さんがあった。別に帰宅ルートでもなかったのだが、ある日友人S君に連れられてそのお店の前を通った。
 するとS君は、急にお店の裏にわたしを連れて行ったかと思うと、悠然とある場所を指差す。それは氷屋から吐き出された氷が浮かぶ排水溝だった。
 おー、氷だ! 太陽光をキラキラと反射させるその美しさに興奮を隠せないわたし。それをS君はこともなげに水の中から取り上げ、口に運んだ。……え?
 ここの氷おいしいんだよ、といかにも通ぶったことを呟いた彼に、しかしわたしは確実に羨望を抱いている。わたしも同じように氷を取り上げ口に含む。たしかに、普通の氷より美味しい気がする。やはり氷屋の氷は特別なのだ。
 するとS君は今度は排水溝の水を手で掬い、それをすすり飲んだ。またも呆気に取られるわたしをよそに、彼は何度もその行為を繰り返す。ここの水が一番綺麗なんだよ、そうしみじみと言い放つ彼のことを、わたしは尊敬していた。
 翌日から、氷屋はわたしの帰宅コースになった。排水溝に氷が浮かんでいる日も、水だけの日もあった。氷があれば氷を食べ、水だけの時は水を飲んで、あぁおいしい、とうっとりするのだった。
 他の友人たちと一緒に帰る時には、排水溝まで彼らを案内し、ここの水と氷が一番綺麗なんだよ、とS君を模した言動をしてみせた。どうだ、わたしって通だろ?
 ある夏の日、ひとり排水溝から氷水をすすっていると、ふと、これを母親にも見せたいと思い立った。浮かんでいる氷を手に取り、家までの道を一目散にかけだした。
 この氷が溶ける前に家に辿り着かなくては。腕を胸の前に保ち手のひらを窪ませて器を作った状態のまま全力疾走をする小学生の肉体に、太陽は容赦なく光と熱を浴びせる。走っている間にも、信号待ちの間にも、氷はみるみる溶けて液体になる。そしてついに、すべてが水になってしまった。
 立ち尽くし、その氷が濡らした手のひらで自分の顔をなでた。途端に全身が震える。なにこれ! 冷たい! 気持ちいい!
 翌日から、わたしは排水溝で顔を洗うようになった。ときには氷水を頭から被った。最高だった。ヒェーと声を出したりもした。
 そんなある日、官能的行為に耽るわたしのそばを、作業着姿のおじさんが通りかかる。わたしは瞬間凍結する。
 おじさんは一言、汚いよ、と言った。
 え? これは一番綺麗な水なんだよ?
 汚いよ、それ汚い水だよ。そう言い残しておじさんは消えた。彼の言葉が頭の中で鳴る。なんとか払い除けようとする。そんなはずはない、汚いはずはない。
 後日、大雨が降って、止んだ。排水溝は茶色く濁り、雨の水と一番綺麗な氷水との境目がわからなくなっていた。最初から境目なんて無かったのかもしれない。とりあえず顔を洗ってはみたものの、それを飲む気にはなれなかった。
 浮かんでいた氷を取り出す。それは透明でとてもきれいだった。氷を頬にあてる。冷たい。そのまま顔中に塗りたくった。顔面がどんどん濡れていく。そのなかに涙はどれほど紛れ込んでいただろうか。いまとなっては、もう思い出せない。

PR誌「ちくま」6月号