ちくま新書

ヒラリー・クリントンの劇的な人生

10月刊のちくま新書より『ヒラリーの野望』の「まえがき」を公開いたします。2016年最注目の人物ヒラリー・クリントンに迫る本書。ぜひお読みください。

 民主党ヒラリー・クリントンと共和党ドナルド・トランプの両候補によるアメリカ大統領選挙。今回の大統領選は、日本にとっても世界にとっても、かつてないほど重要な意味をもっている。

 米国の国力の衰退がいわれて久しいが、それでも現時点では、米国が政治的影響力、経済力、軍事力の面で世界最強の国であることに変わりはない。依然として米国は「腐っても鯛」である。

 そんな米国が次期大統領を選ぶ4年に1度の選挙であるから、無関心でいることはできない。特に日本の場合は、個人的な好き嫌いは別にしても、世界の中でも米国との結びつきが極めて強く、政治経済や安全保障はもとよりのこと、学術交流や文化面についても米国の影響を強く受けている。

 オバマ大統領が28年務めるように、彼の後継者を選ぶ今回の大統領選の勝者も、大きな失政がない限り、大統領を8年続ける可能性がある。そんな米国大統領に万が一トランプのような人物がなるとすれば、それは日本を含めた世界各国にとって、一種の「ちゃぶ台返し」のようなものであり、世界中が混乱し、対米戦略の抜本的な見直しを迫られることになるだろう。

 それに比べれば、これまで大統領夫人、上院議員、国務長官等の要職を務め、国政経験も豊富なヒラリーの方がよほど安定感、安心感があり、多くの人がトランプではなく、ヒラリーが大統領になることを願っているのはある意味当然だといえる。筆者自身もそうした人間の一人であり、ヒラリーがトランプに勝利し、米国史上初の女性大統領になることを期待している。

 もっとも、だからといって、政治家としてのヒラリーが好きなわけではない。若いころに持っていたような社会改革への熱い思いはもはやなくなり、今や女性初の大統領になることだけが最大の野望であり、唯一の願いになったようにさえ思える政治家ヒラリーのことは、決して好きにはなれない。米国の各種世論調査結果にも表れているように、トランプはもちろんのこと、ヒラリーを嫌う米国民も非常に多く、まさに今回の大統領選は「嫌われ者同士の戦い」になっている。

 では、特に好きでもないのに、なぜヒラリーのことを書くのかとお思いの方もいらっしゃるかもしれない。それは、これから本書をお読みいただければお分かりの通り、一人の政治家、というよりも一人の人間としてヒラリーの人生ほど興味深く、稀有なものは見当たらないからである。一般的にはそういう人生のことを「波乱万丈」と表現するのだろうが、ヒラリーのこれまでの人生を見ていると、この言葉が陳腐に思えるほどである。

 今では想像もできないことだが、シカゴ郊外の超保守的中流家庭に生まれたヒラリーは、特に父親の強い影響を受けて、中学高校時代は熱烈な共和党支持者として育った。1964年の大統領選では当時超保守派として共和党大統領候補になったバリー・ゴールドウォーターの応援をする「ゴールドウォーター・ガール」の一人になったほどである。

 そのような超保守的な共和党支持者であったヒラリーが、その後どのようにして民主党支持者となり、州知事夫人、大統領夫人、上院議員、国務長官という誰も経験したことがないような要職を歴任し、ついには大統領になる一歩手前の所まで来ることができたのか。

 その経緯については、本書の中でできる限り詳しく描いたので是非お読みいただければと思うが、それをお読みになった方は、ヒラリーのこれまで約70年の人生(19471026日生まれ)が、シェークスピアでさえ思いつかなかったような演劇性と劇場性に強く彩られたものであることを発見されるだろう。

 そして、読者はそこにもう一つ大きな発見をされるに違いない。それは、良いときも悪いときも、ヒラリーの人生にはビル・クリントンという一人の男が常につきまとっていたという事実である。ヒラリーに最高の幸福をもたらしたのもビルであれば、ヒラリーを絶望のどん底に突き落としたのもビルである。まさにビルは、ヒラリーにとって「幸運の神」であると同時に、「疫病神」でもある。どんなときも、常に二人は「二個一」である。

 その意味では、本書も単にヒラリーだけの話ではなく、より正確にいえば「ヒラリーとビルの話」ということになるだろう。

 ビルは7日からフィラデルフィアで開催された民主党全国大会の2日目に登場し、40分以上にもわたって熱弁をふるい、エール・ロースクール図書館での二人の劇的な出会いの場面など数多くのエピソードを交えながら、ヒラリーへの支持を強く訴えた。本書では、ビルがこのスピーチの中で語ったこうした有名なエピソードも数多くご紹介しているので、読み物としても是非お楽しみいただければと思う。

 また、本書の第五章では、今年2月から6月まで行われた予備選におけるヒラリーとサンダースの戦いぶりや、共和党の「トランプ現象」などについても詳述した。そして、最終章では、ヒラリーが大統領になった場合、どのような対日及び対中政策がとられることになるのか、さらには、ヒラリーが国務長官時代に推進したアジアへの「リバランス政策」はどのようになるのか、といった日本にとっても極めて重要な問題についても大胆に予想してみた。また、ヒラリー政権が誕生した場合、どのような人物がヒラリーの主要スタッフやアドバイザーとして彼女をサポートすることになるのかということについても論考を加えた。

 ヒラリー・クリントンとは、一体これまでどんな環境で育ち、どんな経験をし、どんな考えをもつに至った人間なのだろうか。また、女性問題であれほど苦労させられてきた夫のビルとは、どんな関係にあったのか。そんなことも含めて、本書では一人の政治家、さらには一人の人間として、ヒラリー・クリントンとはどういう人間なのか、その全体像を描くことに努めた。

 本書がヒラリー・クリントンという極めて複雑で稀有な人間を理解する上でのささやかな一助になることができれば、著者にとってそれに過ぎる喜びはない。

 

20169月 ワシントンDC郊外チェビー・チェースにて

三輪裕範 

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