ちくま新書

第2次大戦、負け戦を勝ち戦に転換させたチャーチルの名演説
『世界を動かした名演説』ためし読み

現代史の学びなおしに欠かせない教養としての名スピーチ15本を、世界中を取材するスーパージャーナリスト・池上彰さんと、英語の修辞学仕込みの話術のプロ・パックンの最強タッグで解説する『世界を動かした名演説』。著者二人が「非の打ち所がない名演説」と評価するウィンストン・チャーチルの「我々は戦う。岸辺で、上陸地点で、野原で、街路で、丘で」(1940年6月4日@英国議会下院)の章の一部を公開します。

▶第2次大戦時、英国軍の反転攻勢を鼓舞した名演説

池上彰(以下、池上) チャーチルのこのスピーチは、文句なしに「現代史を動かした」名演説の定番ですね。
パトリック・ハーラン(以下、パックン) すばらしい、非の打ち所がないスピーチです。
池上 ウクライナのゼレンスキー大統領が、ロシアの侵攻後すぐに英国議会に向けてオンラインで行った演説(2022年3月8日。第2章で詳述)も、チャーチルのこの演説を踏まえていました。
パックン 厳しい言い方をすれば、パクッているとも言えますね。
池上 オマージュを捧げていると言っておきましょう。ゼレンスキー演説を読み解くためにも、まずはこのチャーチル演説を見ていきます。
 名演説というのは通常、状況が良いとき、たとえば歴史的な勝利をしたときなどに生まれるものです。「人民の人民による人民のための政治」で有名なリンカーンの演説(1863年)も、南北戦争で北軍が勝った場所ゲティスバーグで行われている。しかし、チャーチルのこの演説は違います。第2次世界大戦下の1940年、ナチス・ドイツ軍の侵攻がベルギー、フランスへと進み、フランス軍を支援するために大陸に送られたイギリス軍が屈辱的敗北を喫し、フランス北部のダンケルクでヨーロッパ本土から撤退しようとするときに行われた。それが歴史に残る名演説になりました。
パックン 見方によっては、撤退作戦が成功したときだったとも言えます。「これだけ我々が結束したから逃げ延びることができた」と功績を称え、兵士たちの士気を高めようとした。その意味ではプラスの状況だった。
池上 確かに。仲の悪かった英国とフランスが、ドイツという共通の敵を相手に団結し、フランス軍も一緒に助けたのですからね。
パックン しかも、第1次世界大戦終結から20年ちょっとしか経っていない時期に、です。当時のかれらにとっての第1次世界大戦は、2020年代を生きる我々にとっての9.11同時多発テロがあった2001年辺りのような、非常に新しい記憶でしたからね。
池上 簡単におさらいすると、この演説が行われたのは、1939年9月にドイツがポーランドに侵攻し、オランダやベルギーなどヨーロッパ中を攻撃していく中で、1940年5月、フランスへと攻撃の手が移った際のことです。連合軍であるイギリス軍はフランス軍に加勢しようとドーバー海峡を渡って戦いますが、ドイツにこてんぱんにやられ、ヨーロッパ大陸から撤退しなければ全滅するか数万人が捕虜になってしまうかという危機的状況を迎えます。
 そこで連合軍はダンケルク海岸からの撤退作戦を計画するのですが、イギリス軍の軍艦だけでは、とても全員を救出できません。そこでチャーチルは全英国人に向けて、「あらゆる船を持つ人は全員、ダンケルクに赴き、英軍と仏軍を救出してください」と訴えた。これがダンケルクの撤退作戦における、チャーチルの名演説です。その結果、撤退作戦は見事に成功するわけです。
パックン びっくりですよね。33万人もの同盟兵が助けられたそうです。
池上 ある種の負け戦だったわけで、イギリス軍兵士はもちろん、英国民も意気消沈していた。でも兵士たちが作戦後に母国に戻ると、国民が大歓迎してくれる。さらにチャーチルの演説がラジオから流れたものだから、「さあ、ここからやるぞ!」といっそう奮い立った。これぞまさに人々の心を動かす演説でしょう。
パックン 世界を動かし、歴史を変えた演説と断定していいと思います。チャーチルはもともと、それほど好かれた政治家ではありません。第2次世界大戦でドイツに対する強硬な姿勢が評価されて首相になった人です。チャーチルがこの演説で火を噴くほどの強烈なメッセージを発したことで国民は鼓舞され、その後の長い空爆にも耐えられたし、一丸となって戦うぞ、という気になれたんです。

……中略……

▶映像のようにたたみかけ、聴衆の心を揺さぶる

パックン チャーチル演説のレトリックをもう一つご紹介します。レトリックの第一の目的は、人を動かすことです。演説によってテクニックは違えど、目的は同じ。講演なら感動させて終わってもいいけれど、演説は行動を呼び起こさなくてはならない。
 だからチャーチルは、国民の記憶に新しい、直近の失敗を挙げました。みんなの後悔を煽り、「我々はこの失敗を二度と繰り返さない、もう立ち止まらないぞ」と宣言した。負けた背景をきれいに描写し、つらかった過去を思い出させた上で、fierceness(獰猛さ)やtheir main power(圧倒的な力)といった類義語を繰り返し、テンションを高める。まるで映画を見ているかのような言葉遣いです。
 They sowed magnetic mines in the channels and seas;they sent repeated waves of hostile aircraft, sometimes more than a hundred strong in one formation, to cast their bombs upon the single pier that remained, and upon the sand dunes upon which the troops had their eyes for shelter.
 「彼らは磁気式の機雷を海峡や海に設置した。時には100機を超える爆撃機の編隊の波を次から次へと送り込み、唯一残った桟橋にも、兵士が隠れ蓑にしようとしていた砂丘にも爆弾を落とした。」
 ――聞いているだけで、絶望的な状況がストーリーとして映像のように見えてくる。しかも当時はテレビが出てくる前、ラジオの時代です。音によって大衆をグッと惹きつけるテクニックがとにかく重要だったのです。
池上 戦争は攻撃するほうが容易く、撤退する、逃げるのが最も難しいんです。ダンケルクは海岸なので遮るものがなく、桟橋から船に乗るところで、どうしてもドイツ軍の爆撃の餌食になってしまった。そのような悲惨な場面を描写した部分ですね。
パックン だからこそ名演説になったのだと思います。難なく撤退できていれば後世に語られるエピソードにはなりにくいでしょう。敵軍のとんでもない攻撃に晒されながら、それでも我々は立ち上がったのだ、という流れでダンケルクの救済策を持ってくると、前段が跳躍板の役割を果たしますから。
 跳躍板を深く踏み込むほど、飛び上がる力は強くなります。まずは絶望的な状況を見せ、それを総動員で乗り切ったという、記憶に新しい直近の功績を語る。その後で、この先どう防衛するのかという本題に持ち込めば、聞く者の感情はどうしたって揺さぶられます。
 その前の段で、イギリスの前政権がいかに酷かったかを語って怒りを煽り、圧倒的な強さを持つドイツ軍への恐怖を煽り、そのドイツ軍と勇敢に戦った英兵やヨーロッパ諸国の兵士たちへの哀れみを煽っていますから、聴衆の気持ちの準備は万端です。そこで皆が結束して大胆な救済策に踏み切った勇気を称たたえ、最後には決意へと持ち込む。感情を動かす流れが、抜群です。
池上 とことん絶体絶命、四面楚歌になったところで、最後の最後に大逆転が起きるから、みんなの感情が「おおっ」と湧いて盛り上がる。映画のようだね。それをチャーチルは言葉で表現したわけですね。
パックン 英語で聞いていると、自然とその世界に吸い込まれ、周りが見えなくなる。これは、それほどの名演説なんです。
 戦時中の名演説に共通しているのは、目の前の問題を見せ、解決しなかった場合の絶望的な未来を見た上で、最後にどうすれば勝てるのかを示している点です。これから緊急事態になって色々我慢してもらわなくてはならないけれど、それが勝利への鍵なんだ、と。我慢するだけじゃなく、どうすれば勝てるのか、解決策を見せるのがポイントです。我慢や哀れみばかり語っていても、行動は生まれてきませんから。
 そしてチャーチルは、演説のタイトルとしても知られている「We shall fight on the beaches」を含むパートで力強く語りかけ、締めます。「我々は戦う。岸辺で、上陸地点で、野原で、街路で、丘で。我々は決して降伏しない。万が一、広く本土が征服され飢えに苦しむことになろうとも、我が帝国は海の向こうでイギリス艦隊に守られつつ、必ずや戦い続けることだろう」。つまり、これは自分たちだけの戦いではない、新世界が旧世界を助ける、我々がヨーロッパ大陸を助けるという決意をも見せている。ここにはイギリス連邦からの助けが来るという意味だけでなく、アメリカへの呼びかけも込められています。我々がこれだけ頑張っているのだから、アメリカだって黙っていられないでしょう、と。

(続きは本書にて)

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