ちくま新書

パワハラを引き起こしやすい
リーダーシップの3タイプとは?
『パワハラ上司を科学する』「はじめに」より

今年の1月にちくま新書の1冊として刊行しました『パワハラ上司を科学する』(津野香奈美著)は、様々なメディアで紹介され反響を呼んでいます。「パワハラしやすい上司とは、どんな性格なのか。またパワハラが起きやすい職場とは?」をデータを基に解説してあり、「今までのパワハラ本とは違う」という評価をいただきました。すでに重版も4刷りとなり、多くの企業で購入され、特に管理職の方には必須の図書です。著者の津野先生がどんな思いで書かれたのか、ご自分の経験に基づく切なる願いから書かれたこの本の「はじめに」を公開します。

はじめに

 私は現在、神奈川県立保健福祉大学大学院ヘルスイノベーション研究科で社会疫学、行動科学、産業保健学を教えています。研究者として携わっている研究内容は、職業性ストレス、労働時間、ジェンダー、暴力、産後うつ、健康行動変容等と多岐にわたるのですが、私の原点でありライフワークとなっているのが、パワハラや上司のリーダーシップに関する研究です。
 私がパワハラに関する研究や、企業・自治体での講演・研修・コンサルティングに熱心に取り組んでいる理由は、「誤った指導をしてしまっている上司を一人でも減らしたいから」、そして「パワハラをこの世からなくしたいから」という強い気持ちからです。

 実生活でパワハラと出会ったのは、大学生の時です。ある時、大学の講義後(夕方)からの勤務が可能で、時給一七〇〇円という破格のアルバイト募集をある中小企業がしているのを見つけました。憧れの営業職、しかも反響営業という手法で、資料請求をして下さった方に対して折り返し電話をかけ、その場で契約を取るという営業スタイルでしたので、年齢的な若さがマイナスになることもありません。経験不問で、契約が取れればさらにインセンティブが貰えるのも魅力でした。
 面接に行ったところ、いかにも頭が切れそうな女性部長が対応してくれました。部長は物腰はやわらかいですがハキハキとしていて、電話をかけたら必ず契約まで持ち込んでしまうようなスキルの持ち主でした。「この人なら、営業のスキルアップにも学ぶことが多そうだ。ぜひ一緒に働きたい」と強く感じたところ、幸い部長も私のことを気に入って下さり、学業との両立の関係で半年間しか働けない状況であったにも関わらず、快く採用して下さったのです。
 初めてその会社に出勤した時の光景は、今でもよく覚えています。一般的な職場と同じように一人一つの机が並んでいる中、そのすぐそばの壁には職員の名前が貼られており、その横に赤い花がいくつか付けられていました。「このお花は、何ですか?」と部長に聞いたところ、「契約が取れたら、名前の横に花がつくのよ」という回答でした。
「ああ、これが噂の、営業成績か!」と、何だか妙に興奮したのを覚えています。そう、それはいわゆる〝営業成績ボード〞と呼ばれるもので、誰が何件契約を取ったのか、すべての職員にわかるようになっていたのです。
 その会社は、ほとんどの職員がアルバイトでしたが、社員も五名いました。アルバイトが働く部屋と社員が働く部屋が分かれていたので、会話を交わす機会がなく、たまに廊下ですれ違った際に挨拶するくらいでした。
 勤務時間中は一本でも多くの電話をかけなければならないのであまり余裕がなかったのですが、近くの席に座っている部長の様子だけはわかります。部長はよく、社員がお客様にかけている電話を他の電話で聞いていて、契約が取れなかったことがわかるや否や隣の部屋に行き、「今の電話で契約が取れないってどういうこと ⁉ 営業のセンスがないんじゃない⁉」「ばかなの⁉」と怒鳴っていました。
 またある日は、ある社員が部長に別室に連れていかれて、そのまま長時間戻ってこなかったこともありました。会話の内容まではわかりませんでしたが、怒鳴っているような声がうっすらと漏れ聞こえたため、「部長、ちょっとやりすぎなのでは……」と感じましたが、大学生のアルバイトの分際で部長に注意することなど、当時の私にはできませんでした。
 そんな日が続いた後、ある日廊下でばったりと会った社員の顔を見て、私は目を疑いました。顔が真っ白で、目は生気がなく、無精ひげが生えたままだったのです。後から考えてみれば、それは典型的なうつ病の状態でした。
 それからまもなく、その社員が退職したという噂を聞きました。私がその会社に勤務していたたった半年間で、なんと部長含め五人いた社員が、三人も辞めてしまったのです。部長の他に残った一人は、営業成績の良いリーダー的な社員でした。
社員の半分以上が辞めてしまったのに、部長には悪びれる様子は全く見られませんでした。むしろ前よりも笑顔が増え、「会社のお荷物がいなくなってラッキー」くらいに思っているような印象を受けました。そして私には相変わらず優しく、質問にも丁寧に対応してくれるのでした。
 この状況を見て、強烈な違和感を覚えました。「いくら営業成績が良くなかったといって、人を潰していい理由にはならない」、「せっかく投資して育てた人を潰してしまうのは、会社としての損失も大きいはずだ」、「ポジティブな指導方法によって人を成長させる方法が、絶対にあるはずだ」等と、色々な考えが頭の中を駆け巡りました。
 しかし当時の私には、その解決策を思いつくことができませんでした。「この状況は絶対におかしい」という確信だけはあるものの、部長に「こういう指導をしたら、営業成績があがって、会社としても売り上げを上げることができる」という別の方法を提案できない自分に、強烈な悔しさと不全感を覚えました。それと同時に、もしかしたら、他の会社でもこういったマネジメントがまかり通っているのではないか?  と心配になったのです。
 その後大学院に進学し、パワハラに関する国内外の文献を探したところ、日本では特に医学・疫学分野において、ほとんど研究が行われていないことに気付きました。当時(二〇〇八年)はまだ、全国でどのくらいの人がパワハラを受けているかの実態調査も行われていなかったのです。
 そこで私は、まずパワハラを測定する尺度を開発するところから研究を開始し、どのくらいの人が受けているのか、どういう人が行為者となっているのかを明らかにすることにしました。その後、どのような上司がパワハラをしやすいのか、受けるとどのような健康影響が出るのか、どのような職場だと発生しやすいのか等を次々と調査し、論文にまとめてきました。誰かを説得するには、「データ」によって裏付けされた「科学的根拠(エビデンス)」が強い力になると思ったのです。この本の中では、そういった根拠となるデータをふんだんに紹介していきます。

 これまで一〇年以上にわたり、実証研究によって明らかになった科学的根拠を使い、全国各地の企業や自治体で管理職向けの研修や講演を実施してきました。そこでいつも感じるのは、「パワハラにならない指導の仕方に誤解がある」という点です。
  例えば、「部下と仲が良ければ、パワハラにならない」と思っている管理職に会うことがあります。研究でわかっていることは、実はその逆です。「上司と部下の仲が良すぎたり、職場の雰囲気がくだけすぎたりしている職場では、パワハラが起こりやすい」ことがわかっています。
  他にも、私の研修を受けたある管理職から「最近は、なんでもハラスメントと言われてしまう。だから僕は、もう部下とは積極的に関わらないことに決めました。そうすれば、ハラスメントになりようがないでしょう」と言われたことがあります。いいえ、逆です。実は、部下と積極的に関わらない、放任型の上司がいる職場では、パワハラが発生しやすいことがわかっています。部下と関わろうとしないことが、むしろパワハラを誘発してしまうのです。
 このように、パワハラ対策やパワハラにならない部下指導は、個々人の経験や勘を頼りに行っていると、知らず知らずのうちに誤った対応になりがちです。パワハラにならないように気を付けているはずなのに、結果的になってしまっていたり、部下の反発を生んでしまったりするのは、悲劇でしかありません。
 パワハラが起こるメカニズムや、「より良い指導」の方法を知る経営者や管理職が一人でも増えることで、少しでも部下との関わりが楽になり、パワハラをしない上司が増えることを期待しています。また、本書により、職場で科学的知見に基づいた効果的なパワハラ防止対策が実施されることにつながることを願っています。