単行本

ジブリファン(以外も)垂涎の一冊

麻実子さんの幼なじみで、ノンフィクション作家の川内さんが、当時の「鈴木家の箱」のにぎやかな様子を伝えるエッセイを書いてくださいました。

 小学生の頃、学校から帰るなり近所の家に入り浸っていた。マンションの下の階の部屋で、玄関ドアの新聞受けから手を突っ込めば、紐でぶら下がった鍵をキャッチすることができた。勝手に中に入り、本棚に手を伸ばす。お目当ては全三〇〇巻の『手塚治虫全集』。何千冊という漫画が本棚に並ぶ天国のようなその家は、両親、娘のまみちゃん、その弟の四人暮らしだった。
 まみちゃんは、三歳年上の私から見ても独特の雰囲気の子だった。好き嫌いがはっきりし、好きなものはとことん愛する一方で、嫌なものに対しては周囲がどんなに説得しても絶対に自分の中に取り込まないぞ、という強さを持っていた。
 その家の母である「おばちゃん」と私の母はとても仲が良く、一緒に料理をしたり、手のこんだ刺繍のタペストリーを縫ったりしていた。下の家の主の「おじちゃん」は、普段は浴衣を着て昼すぎまで寝ている人という印象しかなかったが、何かアニメ関連の仕事をしているようだった。
 中学校一年生になったある日、映画『グーニーズ』に激しく感動した私は、「自分も冒険映画を作ろう」と決意。脚本を書き、ビデオカメラを借り、まみちゃんや近隣の友人にも出演を頼んだ。出来上がった映像はたぶんヒドイものだったけれど、とりあえず最も身近な映像関係者であるおじちゃんにも見てもらった。おじちゃんは、子どもに対する気づかいとか忖度とかはゼロで「あのね、おじちゃんはね、すごく忙しいの!」などと言いつつも三分くらいは見てくれたように記憶している。
 その後、私は思春期に突入し、手塚治虫にも興味を失ったので、下の家に出入りする頻度は激減し、幼馴染のまみちゃんとも自然に距離が生まれた。とはいえ、その後もその家には、おじちゃんの仕事関係者、まみちゃんの同級生、近隣住民などが以前に輪をかけて出入りし、『三丁目の夕日』も目じゃないほどのわちゃわちゃ感を炸裂させた。
 いまさらながらだが、下に住む家族とは、『鈴木家の箱』に出てくる鈴木家、「箱」とは恵比寿にあるマンションのことだ。そして「まみちゃん」は本の著者の鈴木麻実子さん、おじちゃんはスタジオジブリの鈴木Pである。
 本書は、誰もが知る名曲「カントリー・ロード」の作詞にまつわるエピソードや、父親である鈴木Pの日常の姿、そして宮﨑駿さんや久石譲さんとの出会いなど、ジブリファン垂涎もののエピソードが満載の一冊だ。まあ、それだけでも十分に魅力的な本なのだが、私が心を奪われたのは、ジブリとは関係がない『煩わしい人間関係を頑張ると面白いことが起きる』から『女神ちゃん』まで続く人付き合いに関する章だった。中学生になったまみちゃんは、宣子なる人物に「大嫌い」と言い放たれ「清々しいほど堂々と」意地悪を繰り返される。友人たちは宣子に負の感情を抱くが、まみちゃんは本当は宣子と私は仲がいいはずだと考えている。そしてある日、高校に進学した宣子からハガキが届いて――。
 このエピソードに私は抱腹絶倒し、中学生の頃のまみちゃんのとんがった態度を記憶に蘇らせながら、ああ、本当に面白い人だよねえ! と心の中で語りかけ続けた。すべての話の根底に流れているのは、みんなで仲良くしましょうね、などという道徳めいた話でもなんでもなく、むしろ生きていれば当然、嫌いな奴もいるし、ムカつく出来事もあるという当たり前のことで、それでいて、「鈴木家の箱」という不用心なほどに開けっ広げな環境で生まれ育ったまみちゃんらしく、なにがあっても私は人生で袖ふり合った人たちと楽しく生きていくのです、という決意とか愛にも似た語りである。
 そうそう、ちなみに「鈴木家の箱」は失われた古き良き時代の話でもなんでもなく、いまだ現在進行形で恵比寿の一角に存在しており、以前にも増して賑やかである。なにを隠そう、私も時おり「鈴木家の箱」に出入している。今はもう漫画は読まないけれど、猫と遊び、ちらし寿司と揚げ春巻きをつまみ、手作りゼリーでしめるお昼ご飯を楽しみにしている。

2023年10月17日更新

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川内 有緒(かわうち ありお)

川内 有緒

ノンフィクション作家。著書に『目の見えない白鳥さんとアートを見にいく』(集英社インターナショナル、2022年 Yahoo!ニュース|本屋大賞 ノンフィクション本大賞)、『空をゆく巨人』(集英社文庫)など。最新刊は『自由の丘に小屋をつくる』(新潮社)。

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