ちくま新書

継承される言葉とその力
『世界を動かした名演説』書評

『世界を動かした名演説』(池上彰+パトリック・ハーラン著)の書評を国際政治学者の東野篤子さんにお書きいただきました。歴史的演説は発せられたその時だけでなく、言葉として継承され、時代を経ても世界に影響を及ぼしている――政治的メッセージをよむ奥深さをどうぞご堪能ください。

「国連や世界各国の議会でのゼレンスキーの演説は、将来、世界中の大学で歴史学の研究対象になるだろう。戦争の初日からキーウで録画を開始したゼレンスキーの国民に向けた演説は、政治家が国民と対話する上での手本となるだろう」。セルヒー・ルデンコ『ゼレンスキーの素顔――真の英雄か、危険なポピュリストか』(PHP研究所、2022年、250頁)

このような文章を読んで深く納得していたら、まさにおあつらえ向きの演説集が出版された。『世界を動かした名演説』である。本書には、すでに広く知られている歴史的演説から、後の世で確実に研究の対象になるであろうごく最近の演説までが幅広く所収され、演説の背景と内容、とくに優れた点、そして世に与えたインパクト等が検討されている。古今東西の名演説を解説するのは池上彰氏とパトリック・ハーラン(以下パックン)氏。この二人の組み合わせは伊達ではない。池上氏が演説の大きな背景を解説し、パックン氏が自らの専門であるコミュニケーション学や修辞学等の観点から各演説に解説を加えていくスタイルとなっている。演説の原文が英語であった場合には、英語を母語とするパックン氏が、当該英文のリズムや表現方法、修辞上の工夫など、英語話者の観点からの読みどころ、聞きどころを語っていく。加えて本書は、近現代史学習のための格好の入門および学び直しのための教材ともなっている。

本書は、第1部「抗戦と平和」(主に戦争や戦後和解に関するもの)、第2部「迫害と希望」(主に人種差別に関するもの)、第3部「課題に立ち向かう」(教育、テロ、新型コロナウイルス対策)という構成になっている。ロシアによるウクライナ侵略が進行中という時勢を反映してか、戦争に関連した演説を所収した第1部のボリュームが大きい。国家存亡の危機に直面したとき、いかに指導者の真摯な言葉が国民を惹きつけ、困難な局面を力を合わせて乗り切ろうとするエネルギーを生むのか。また悲惨な戦争を経て、長年にわたって残り続けた両国間のわだかまりが、相手国の演説によっていかに解消への一歩を踏み出すのか。本書は大きなヒントを与えてくれる。

本書が印象的に提示するポイントの一つが、演説の「継承」だろう。本書に所収されている優れた演説は、後世の演説にもしばしば引き継がれている。1940年のウィンストン・チャーチル首相の第2次世界大戦中の演説(本書第1章)の「我々は戦う。岸辺で、上陸地点で、野原で、街路で、丘で。我々は決して降伏しない」という部分は、ウクライナのゼレンスキー大統領による2022年の英国議会オンライン演説(同第2章)に非常に分かりやすい形で受け継がれた。それによりゼレンスキー大統領は、聴衆たる英国人が誇りを持って記憶してきた歴史や文化を理解し、尊重していることを、余すところなく英国人に伝えたのである。ケネディ米大統領が1963年に西ベルリンで行った「私はベルリン市民です」という演説(同第3章)も、その重要なエッセンスは後にレーガン大統領がやはり西ベルリンで行った演説(同第4章)に受け継がれている。

そして本書を手にした読者は、本書で紹介された演説のエッセンスが、本書に所収されていない様々な演説に受け継がれ、生き続けていることにも気づくだろう。例えばチェコのビストルチル上院議長は2020年9月の訪台の際、立法院(議会)で「私は台湾人です」と演説し、台湾への支持姿勢を明確にした。これは当然のことながら、中国当局の苛烈な反応を呼び起こすのだが、それはビストルチルが満を持してオマージュとして用いた「私はベルリン市民です」というケネディ演説の歴史的インパクトを、中国当局も十分すぎるほど理解しているからに他ならない。

優れた演説とその継承は、思わぬ力と広がりを持つ。本書を手にした読者は、優れた演説が後の世界をどう旅したのか、探る愉しみも得ることになるだろう。

(ひがしの・あつこ 国際政治学)

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