ちくま新書

賛成だろうと反対だろうと、まずは事実を知ること
『安楽死が合法の国で起こっていること』自著解題

PR誌「ちくま」12月号より、著者の解説を転載します。賛成でも反対でも「まずは本書に書かれた様々を知っていたかどうか」そして「もし知らなかったことが多いなら、安楽死合法化に「賛成」または「反対」だと自分のスタンスを定める前に、まだまだ知るべきことが沢山あると気づいて」ほしいという著者の願い。安楽死について知っておくべきポイントが網羅された一冊です。

 近年、日本に住む私たちの身の回りにも「安楽死」が様々な形で立ち現れてくるようになった。

 2016年の相模原障害者殺傷事件は、障害者を安楽死させる社会という犯人の夢想を通じて「安楽死」という言葉を大音声で世の中に轟かせた。同年には脚本家の橋田壽賀子の「老いて世の中の役に立てなくなったら安楽死で死にたい」との訴えが共感を集め、2019年には難病女性のスイスでの医師幇助自殺を追ったNHKスペシャルも多大な反響を呼んだ。本人の依頼を受けた医師2人がALS患者を殺害した京都ALS嘱託殺人事件もあった。

 昨今はメディアでも、安楽死や医師幇助自殺の当事者や関係者に取材した番組や記事が急増している。人が様々な苦悩と葛藤を経て自ら死を選ぶ決断にも、その人をとりまく家族や専門職の体験や思いにも、余人には計りしれない深く重いものがある。その深さ重さは、番組や記事を通じて人々の心を奥深くから揺さぶる。それが共感として広がり、日本でも安楽死を合法化しようという声が社会に溢れていく。まるで安楽死を合法化することに一切のリスクなどないかのように――。

 この状況が、私には恐ろしい。何より恐ろしいのは、今の日本にあふれる情報のほとんどが、安楽死に直接関わっている個々の人たちの語りに偏っているということだ。安楽死の合法化は「死にたいほど苦しい人は自己決定で死なせてあげてよいか」という問題に留まらない、医療と福祉や社会そのもののありようを変えてしまう可能性のある大きな問題である。安楽死の合法化について考えるには、「世界では実際に何が起きているのか」、「社会や医療はどう影響されるのか」、「世の中はどこへ向かおうとしているのか」といった「大きな絵」を掴み、その中に問題を位置付けて考えなければ、物事の本質を見誤りかねないと私は考えている。本書は、安楽死について、きちんと詳細に知ったうえで冷静に考えを深めようとする人たちに、その「大きな絵」を提示しようとするものだ。

 第一部「安楽死が合法化された国で起こっていること」では、スイスの自殺ツーリズムと、安楽死「先進国」のベルギー、オランダ、カナダで起こっていることを中心に、実態を詳述した。精神/知的/発達障害者や認知症患者、高齢者、子どもへの対象者の拡大、手続き要件の緩和、医療現場で「日常化」し感覚をマヒさせた医療専門職、形骸化する「自己決定」、移植臓器の有望なプールとみなされ推進される「安楽死後臓器提供」など、いわゆる「すべり坂」が様々な形態で起こっている。

 第二部は「「無益な治療」論により起こっていること」。安楽死合法化と並行して医療現場で広がっているのが「無益な治療」論だ。患者の状態によって「無益」と判断すれば、医師が一方的に(患者側が治療を望んだとしても)治療の差し控えと中止を決める。日本の医療現場でも急速に広がっている。コロナ禍でいっそう浸透したのではないかとも懸念される。人を「死ぬ/死なせる」へと押しやっていく駆動の両輪が安楽死と「無益な治療」論なのだとすれば、それは何を意味しているのか。安楽死だけを考えていたのでは、その本質は見えない。

 第三部「苦しみ揺らぐ人と家族に医療が寄り添うということ」では、「何が死にたいほど苦しいのか」「臨死期・終末期の人と家族への医療とケアはどうあるべきか」へと問いを組み替えることによって、安楽死合法化の是非とは別の地平に現実的な議論を開いていくことを提案した。

 私の考えに賛同する人もしない人もいるだろうけれど、それはどちらでもいい。まずは本書に書かれた様々を知っていたかどうかを自分に問いながら、ここにある「大きな絵」を読んでみてほしい。もし知らなかったことが多いなら、安楽死合法化に「賛成」または「反対」だと自分のスタンスを定める前に、まだまだ知るべきことが沢山あると気づいてもらえれば、著者としては嬉しい。

 

2023年12月5日更新

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児玉 真美(こだま まみ)

児玉 真美

1956年生まれ。一般社団法人日本ケアラー連盟代表理事。京都大学文学部卒。カンザス大学教育学部でマスター取得。英語教員を経て著述家。最近の著書に、『増補新版 コロナ禍で障害のある子をもつ親たちが体験していること』(編著)、『殺す親 殺させられる親――重い障害のある人の親の立場で考える尊厳死・意思決定・地域移行』(以上、生活書院)、 『〈反延命〉主義の時代――安楽死・透析中止・トリアージ』(共著、現代書館) 、『見捨てられる〈いのち〉を考える――京都ALS嘱託殺人と人工呼吸器トリアージから』(共著、晶文社) 、 『私たちはふつうに老いることができない――高齢化する障害者家族』 『死の自己決定権のゆくえ――尊厳死・「無益な治療」論・臓器移植』 (以上、大月書店)など多数。