単行本

いまここに広がりゆくささやきよ!
小林エリカ『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』自著解題

リーゼ・マイトナー、伊藤野枝、メイ・サートン、ヴァージニア・ウルフ、マルゴー・フランクとアンネ・フランク姉妹、湯浅年子……「歴史」の中で、おおく不当に不遇であった彼女たちの「仕事」がなければ、「いま」はありえなかった。彼女たちの未来へとつづいたやさしくたけだけしい闘いの記録である『彼女たちの戦争 嵐の中のささやきよ!』は、なぜ、どのようにして書かれたか、小林エリカさんにお書きいただきました。ご覧下さい。

 子どもの頃、私は彼女が書き記した本を読んで、深く感動し、きっと大人になったら、作家かジャーナリストになりたいと夢を見た。その時、私は一〇歳で、彼女は一三歳。彼女は、おしゃれが好きで、物語や絵をかくのも上手で、恋にも積極的。彼女は、お母さんみたいに、家族や子どものために人生をささげるなんてまっぴらごめんで、憧れるのはハリウッドスター、なりたいのは、作家かジャーナリスト。
 彼女が生きる世界では、戦争が起きている。
 彼女はこう書く。
「「いったい全体、戦争がなにになるのだろう。なぜ人間は、おたがい仲よく暮らせないのだろう。なんのためにこれだけの破壊がつづけられるのだろう。」(中略)
 わたしは思うのですが、戦争の責任は、偉い人たちや政治家、資本家にだけあるのではありません。そうですとも、責任は名もない一般の人たちにもあるのです。」(翻訳は深町眞理子)
 彼女の名前は、アンネ・フランク。
 私は、彼女が記した『アンネの日記』を読んだのだった。
 私はいま、四六歳。
 いま、私が生きる世界では、戦争が起きている。
 彼女の姉、マルゴー・フランクの夢は、パレスチナへ行って看護師になることだった。
 いま、パレスチナで起きていることをまえに、彼女たちは、何を思い、彼女は、いったい何を書くだろう。
 彼女が生きていたとしたら、この六月で九五歳になる。
 けれど私は、それをわからないし、それをわかりえない。それが、死ぬ、ということなのだ、と私は痛みとともに理解する。
 いま、この瞬間にも、彼女たちとおなじように夢を持つはずの、子どもたちが殺され、死んでいる。
 私は、この日本にいて、戦争を、虐殺を、とめることができず、もどかしいし、悔しい。
 巨大な力をまえに、私は、私自身の小ささと、非力さに、絶望しそうになる。
 ときには、嵐の音ばかりが大きく聞こえるかもしれない。
 けれど、その中にあるささやきに、私は耳を澄ませたい。
「嵐の中のささやき Flustrʼeluragano」。
 ヴェルダ・マーヨ、「緑の五月」という意味のエスペラント語の名を持つ彼女が、エスペラント語で書き記した本のタイトルである。
 彼女の名前は、長谷川テル。
 第二次世界大戦中、日本の帝国主義に抗い中国へ渡り、日本軍の兵士たちに向けて反戦を呼びかけるラジオ放送を行った人物である。
 彼女はこう書く。
「やがてかならずそのときは来る、/みどりの大陸のいたるところ、/五月の花々が/いままでとはことなった新鮮さをもってほほえむときが。/花々はいたずらに血を吸いあげているのではない。」(エスペラント語から日本語への翻訳は高杉一郎)
 私は、彼女の、彼女たちのささやきを、聞きたい。
 彼女は、彼女たちは、いったいどんな風に、戦争に、巨大な力に、抗い、呑まれ、あるいはそのどちらでもなく、生きて、死んだのか。
 彼女たちは、ときに称賛され崇められ、ときに大文字の「歴史」には書き記されない。
 私が、いま、ここに、こうしてこれを書くことができるのは、決してあたりまえではない。私は、私の祖母のことを想う。
 彼女は、文字を殆ど読めなかったし書けなかった。彼女は、三〇歳を過ぎるまで、参政権を持ったことなどなかった。けれど彼女が、台所で、あるいは、彼女のように生きたひとりひとりが、家庭で、学校で、仕事場で、そのどれでもない場所で、それぞれの声をあげ続けてきたその先に、私が、いまが、ある。
 私は、彼女の、彼女たちのささやきを、決して非力だとは、思わない。
 どれほど嵐が吹き荒れようとも、その中にあるひとりひとりのささやきが、この社会を、この世界を、変えることができると信じて、私は、この本を記した。私が、私たちひとりひとりが、ささやくことを、はじめられるように。

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