ちくま学芸文庫

娘がつなぐセン教授との交流

PR誌「ちくま」1月号より、『アマルティア・セン講義 経済学と倫理学』訳者によるエッセイを掲載します。ノーベル賞経済学者の人柄や、指導教授としての一面もうかがえる貴重な内容となっています。

 2002年に麗澤大学出版会から出たアマルティア・セン著『経済学の再生――道徳哲学への回帰』が、このたび改題の上、ちくま学芸文庫として再刊されることとなった。訳文の見直しを進めていたところ、セン教授の来日が決まり、9月2日、教授の講演を聴くため一橋大学に出かけた。他の用事もあったので、事前にメールを送り、末尾に、一橋に在学中で、前に会ったことのある次女と一緒に伺う、と書き添えた。以前、娘が経済学に進んだことを教授が喜んでいたと秘書から聞いていたからである。効果は覿面で、多忙にもかかわらず、すぐに面会の約束を取り付けることができた。
 1982年6月、私は何とか学位を取得しオックスフォードでの勉学を終えた。指導教授としてのセン教授は、少々せっかちだが細かいことは気にせず、大勢で賑やかに過ごすのが好きな快活な人物である。論理的に厳密な議論を着実に積み重ねていく教授の論文からはちょっと想像できないだろう。学生の指導に特に変わったところはなかったが要求は厳しかった。最初のチュートリアルで、まず「2年間で一流のジャーナルに載る成果を2,3出しなさい。そうでないと学位は出さない」と言われ、「とんでもないところに来てしまった」と不安を感じた。
 私は、社会的選択理論には興味があったが、経済学には馴染めなかったので、大学の研究者の道は選ばず、慣れていたシステム・エンジニアになった。後で知ったが、セン教授は、私のために推薦状をいくつかの大学に送っていたそうだ。実際、何人かの研究者から誘いがあったが、研究者としては能力不足だと思っていた私は、それらを全て断った。
 次第に社会的選択理論から離れ、学会で会うことはあったが、セン教授との関係は薄れていった。しかし、結局大学以外に行くところがなく、帰国してある大学に職を得た。そこで、日本と西欧の歴史的・文化的違いを気ままに調べていくうちに、受け入れ難かった経済学の奇妙な前提や仮定に自分なりの解釈を見つけ、同時に、経済学に対するセン教授の批判も理解できるようになった。
 1998年、日仏経済会議でモン・サン・ミシェルに行くと聞いたので、小学1年生の長女を連れていくことにし、ついでに、ケンブリッジのトリニティ・カレッジに立ち寄り、マスターになっていたセン教授を訪ねることにした。セン教授のノーベル経済学賞受賞発表の一週間前であった。この、教授と娘の出会いが、後に、教授と私を繋ぎ留めるパイプになるとは、当時は全く予想もしなかった。
 ノーベル賞受賞決定後、3年間で6000件もの講演依頼が殺到するなど、セン教授は多忙を極め、また、ハーバードに移ったこともあり、こちらも遠慮して、必要最低限の連絡を取るだけになってしまった。
 2014年3月に、マサチューセッツのある大学で講演を依頼されたので、久しぶりにセン教授に会おうと思い、連絡を取った。その際、小学1年時に会った長女が、東大で精密工学を専攻し、将来研究者になると決めたそうだと伝えると、教授から、是非会いたいと言ってきた。教授は私よりも娘に会いたいのかと、少々面白くなかったが、無理もないと思った。なぜなら、私は、セン教授の教え子のなかでは最も出来の悪い学生だったからである。
 結局、私は2人の娘とともにハーバードでセン教授に会った。その際持参した、教授と長女との最初の写真からその後の彼女の成長記録を収めたファイルを見ながら、セン教授は満面の笑みを浮かべて娘と談笑していた。その姿は少々意外だったが、これから会うときは娘と一緒がベストだとも思った。娘と気が合わなかったら、セン教授と私との関係は完全に切れていただろう。私のように人付き合いの悪い人間には娘様々である。
 たまにセン教授から、「最近、君の学生時代のことを思い出す」などといったメールが届くが、嬉しくなる半面、恥ずかしさも覚える。

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