PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

マイノリティーをめぐる文化と政治

トランプ後のアメリカ音楽・1

PR誌「ちくま」2月号より大和田俊之さんのエッセイを掲載します

 二〇一一年に上梓した『アメリカ音楽史』(講談社)において、私は、今後アメリカのあらゆる音楽――とりわけアフリカ系アメリカ人の音楽――がヒスパニックの貢献をより強調する歴史に書き換えられるはずだと予想した。
 公民権運動やフェミニズム運動の成果として、黒人や女性を主体とする歴史へと書き直しが進んだことを思えば、昨今のヒスパニック人口の増加は必然的にそうした事態をもたらすだろうと考えたのだ。
 二〇一六年は、このことを深く考えさせられる一年となった。
 まず驚いたのは、ネットフリックスで公開されたドラマ『ゲットダウン』である。『ムーラン・ルージュ』や『華麗なるギャツビー』の監督として知られるバズ・ラーマン制作総指揮のもと、ヒップホップの黎明期を描いたテレビシリーズの主人公エゼキエルはプエルトリコ系と設定されている。それだけでなく、並行して描かれるディスコ・カルチャーにもヒスパニックの登場人物が数多く出演し、シリーズ全体として明らかに「ヒップホップのヒスパニック的起源」を強調する演出になっている。
 いうまでもなく、スパイク・リーやジョン・シングルトンなどの「ブラック・シネマ」派の監督が同じテーマで撮ってもこうはならなかったはずで、その意味でもヒスパニックによる黒人音楽史の書き換えが実際に始まったかのようにみえた。
 ヒップホップとヒスパニックという組み合わせでいえば、ミュージカル『ハミルトン』も重要だろう。カリブ海の小島で貧しい幼少時代を過ごし、のちにアメリカ建国期の初代財務長官を務めたアレキサンダー・ハミルトンの生涯をマイノリティーのキャストによる「ラップ」で表現した舞台は、二〇一六年のトニー賞で最優秀ミュージカル作品賞を含む十一部門を制覇した。自身もプエルトリコ系のリン・マニュエル・ミランダが制作し、アフリカ系やヒスパニックの役者を多数起用したステージは、それ自体がアメリカ建国の歴史の語り直し=書き換えに他ならない。
 こうしてオバマ政権下において、たしかにマイノリティーによる「歴史」の奪還はカルチャーの領域において進んだかのようにみえたのだ。
 ところが十一月八日、大方の予想に反してドナルド・トランプが大統領戦に勝利した。マイノリティーに対する差別的な言動を繰り返し、ポリティカル・コレクトネスをあからさまに否定する候補の登場は、『ゲットダウン』や『ハミルトン』のように多文化主義を祝福するだけでは可視化されない弱者がいることを、あらためて喚起した。アイデンティティ・ポリティクスが弱者のエンパワメントに勤しむ一方で、エンパワーされない弱者=階級的弱者の存在が明るみに出たともいえる。
 もちろん長い目で見れば、トランプ政権はいっときの反動として歴史的に位置付けられる可能性も高い。テキサス州が急速にスウィング・ステート化するなか、こうした結果が繰り返される可能性はデモグラフィー的にありえないという識者もいる。だが今回の選挙は、この戦い方で本当に良かったのだろうか丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶丶と、文化と政治の関係をいま一度問い直すきっかけになったことは間違いないだろう。
 トランプ政権誕生を機に、この点についてあらためて考察してみたい。

 

PR誌「ちくま」2月号