ちくま文庫

「暇な日より忙しい日のほうが嬉しい」のはなぜか

学生のころ、短期間だが喫茶店でアルバイトしていて、不思議なことに気がついた。その店はアルバイトがコーヒーをいれて、マスターが客に運ぶという、ふつうとは逆の役割分担だった。そのかわり最初はサイフォンの使い方をみっちり教えられる。
 不思議なことというのは、店が暇な日よりも忙しい日のほうが嬉しい、という自分自身の感情である。暇でも忙しくても給料は同じ。ならばカウンターのなかで本を読んでいられる暇な日のほうが嬉しいはずだが――いま思い出したけど、バイトのときよく読んでいたのは「展望」と「思想の科学」だった――店を閉めるときの気持ちは逆だった。
 二度目の大学四年生のとき、私は洋書店に入社した。そこでも、忙しい日は楽しく、暇な日は辛いということを実感した。ちょうど「マルクス葬送」なんて言われているころで、マルクスの経済学じゃこの感情をうまく説明できないんだよな、なんて思った。
 もっとも、忙しければいいってもんでもない。学生のころ代議士の私設秘書を一年間やったことがある。秘書といっても、議員会館で郵便物の整理をするくらいだけれども。その仕事はつまらなかった。給料はよかったし、議員も公設秘書もいい人だった。でも一年で辞めさせてもらった。
 西村佳哲『自分の仕事をつくる』は、さまざまな人の働く現場を訪ね、労働観、仕事観を聞き、そして考えた本である。著者はプランニング・ディレクターで「働き方研究家」。大学でも教えている。初出が「AXIS」や「デザインの現場」などデザイン系の雑誌だからか、登場する「働く人」も、デザイナーや建築家など、いわゆるクリエイティブ系の人が多い。
 書名の中の「自分の仕事」という部分に考えさせられる。私が喫茶店や洋書店で忙しくても楽しかったのは、それが「自分の仕事」だと実感できたからだろう。豆を挽き、フラスコに水を入れ、アルコールランプに火をつけ、サイフォンに豆を入れる。その一連の動作がほかの誰のでもない「自分の」仕事と感じられた。客に質問され、その作家ならこんな作品集があると棚から出してみせるとき、「これが私の仕事だ」と感じられた。議員会館で郵便物を整理したり、選挙区から来た有力支持者のために航空券を手配したりするのは、「自分の仕事」だと感じられなかった。
 ただし、自分の仕事を「探す」でも「見つける」でもなく、「つくる」となっているところにも要注意だ。私は昨年の春から三年間限定で大学教員をしているけれども、やりたいことが見つからないという学生が虚構のなかだけでなく実在するのに驚いた。彼らは、探せば「やりたいこと」が見つかると思っている。相談されたときは「やりたいことより、やれることを」とアドバイスするけど。
 この本に登場する人びとの言葉には自信がある。それは、彼らが社会的に成功しているからというよりも、(ほかの誰のでもない)自分の仕事をしている、という実感からくるのだろう。ただし、労働観や仕事観、具体的な手法は人それぞれ。たとえば柳宗理のやりかたとヨーガン・レールのやりかたには違いがある。それが彼らにとって「自分の」手法なのだから当然だ。
「構造改革!」なんて叫ばれたとき、政治家や学者は、分野Aで働いていた人が分野Bに転職すると単純に考えていた。職業訓練等をすれば容易だと高をくくっていた。だがいちど「自分の仕事」にしてしまったものを、そう簡単に捨てることはできない。新しい仕事を「自分の」ものにするには時間がかかる。政治家や経済学者だって、明日からコンピューターのプログラムを書いてくださいと言われても困るだろう。自分でできないことを人に押しつけようとしたのだから、労働ビッグバンはひどい政策だったと思う。……てなことまで考えさせてしまう本です。

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