ちくま新書

ジャーナリズムの緊張感と取材力の凄み

東京大学名誉教授の姜尚中先生に、今年10月刊の『徹底検証 神社本庁――その起源から内紛、保守運動まで』の書評を特別寄稿していただきました。全国8万近くの神社を束ねる巨大宗教法人、神社本庁。お家騒動から保守運動まで、朝日新聞記者が神社本庁を徹底取材し、その深層に迫ったのが、この書です。姜先生の鋭くも深い書評をぜひお読みください。

 実に読み応えがある本だ。新書でこれほど深く、コンパクトに全国8万近くの神社を束ねる巨大宗教法人、神社本庁の解剖学的な所見をまとめることができるのであるから、著者の並々ならぬ力量に脱帽である。しかも、興味深いのは、著者が本書に登場する極右、あるいは保守勢力から蛇蝎のように嫌われ、「反日メディア」の烙印を押されている朝日新聞の現役記者であることだ。

 極右や保守勢力から「反日の牙城」として唾棄されている日本屈指の「リベラルな」全国紙の中にいて、外から極右や保守勢力の人脈や運動を冷ややかに観察することは難しいことではない。しかし、そうした勢力のインナーサークルや奥の院にまで飛び込んで、人と人との信頼関係を築き、しかもミイラ取りがミイラにならないよう、それこそ寸止めのギリギリの距離感を保ちつつ巨大宗教法人の内幕に迫ることは至難の技に違いない。下手をすれば、同僚やリベラルな陣営から、「向こう側」の人脈とみられかねないからだ。この意味で、本書には、神社神道や保守運動、極右勢力に詳しい学者や研究者、専門家の書いたものでは到底味わえないジャーナリズムの緊張感と取材力の凄みが漲っている。

 それでは、建国記念日の設立や元号の法制化、靖国神社国家護持運動や教育基本法改正さらに憲法改正運動など、戦後の保守運動のど真ん中にいて、「右傾化」の牽引力となってきたと言われる神社本庁とは、どんな組織であり、どんな人脈やネットワークに支えられてきたのだろうか。

 これに迫る著者のアプローチにはブレがない。掲げられる理念や思想ではなく、宗教法人という巨大組織とそれを統率する人脈にスポットを当て、一貫してその生理と病理を明らかにする手法をとっているからである。組織の掲げる思想や理念ではなく、むしろその生理にフォーカスし、そこから生まれる病理を剔抉する本書の方法論には結局、歴史を動かすのは「人」であるという、ブレることのない確信が息づいている。

 この確信と方法によって、本書は、右翼や保守、神社神道を一緒くたに一つの色に染め上げようとするイデオロギッシュで粗雑な裁断を免れ、神社界の中に神社本庁を中心とする「右傾化」に抗う流れがあることを浮き彫りにしている。

 神道政治連盟や連盟国会議員懇談会などを通じて現実の政治過程に介入し、日本会議などとの連携を通じて改憲運動を展開する神社本庁が目指すもの、それは中央集権的なヒエラルキーによって末端の神社を包摂、統率しようとする「国家神道」の姿と言っても言い過ぎではない。それは、神社を一つの「教学」に一元化しようとする事実上の国家公認イデオロギーの道にほかならない。近代国家が近代国家たる所以が、政教分離による「中性国家」(der neutrale Staat)にあるとすれば、「神社教」とはまさしく実体的な価値に中立を保つ国家ではなく、「真善美」の諸価値を独占する「神聖国家」への露払いになりかねないのである。この意味で、神社本庁の起源に、大日本神祇会や皇典講究所、神宮奉斎会の三団体だけでなく、「神道指令」(1945)によって廃止された、旧内務省・外局の「神祇院」が絡んでいたという本書の指摘は極めて重要である。

 神社本庁やその事実上の政治団体や連携団体が、時の政権を通じて進めようとする「保守運動」のうねりは、そうした「神祇院的なもの」の継承とともに、その復活を目指しているとも言える。こうしたうねりに抗う力が、神社界の中から、本書で取り上げられている「戦後神社界のイデオローグ」葦津珍彦などによって代表されていた顛末を知れば、神社界の中に国家との癒着・縫合を目指す動きとは別の、神社の階統制をつき崩す「神社連盟」への動きが途絶えることなく続いていることがわかる。それが、本書の第8章で取り上げられているように、「有名神社の離反」となって浮上しつつあるのであり、それは「限界宗教法人」としての地域の神社とも絡み、「神社教」を目指す動きへの歯止めとなるのかどうか、その帰趨が注目される。時宜を得た本書の刊行を心より歓迎したい。

 

 

 

 

 

 

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