PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

ふたつのevoke

喚起すること・2

PR誌「ちくま」3月号よりドミニク・チェンさんのエッセイを掲載します。

「喚起」は英語でevocationという。日英翻訳サイトの英辞郎on the Web Proによれば、evokeという動詞の語源はe(外に)とvoke(呼び出す)という組成になっており、「〔感情・記憶などを〕呼び起こす、喚起する、想起[連想]させる」という意味が一義にあり、つぎに「〔物議・笑い・同情などを〕引き起こす、誘い出す」、そして最後に「〔霊魂などを〕呼び出す」という定義がつづく。
 これらの定義は能楽の演目の要素にもたしかに対応している。夢幻能では旅の僧のようなワキが亡霊や鬼のシテと出会う。能舞台の橋掛かりは、あの世とこの世を架橋する空間である。囃子方の笛、鼓と掛け声、そして地謡は、演者にとっての種々の合図であると同時に、亡霊を舞台上に召喚するための時間がながれはじめることをも表している。舞台装置の全体が、この世のものならざる存在を喚び起こす(evoke)ために作動する。これは「呼び出す」に対応している事態だ。
 シテの仕舞いは謎に満ちており、その言動はワキの発現と噛み合っていないこともある。観客は亡霊のあわい表情の能面に、そのときどきに無意識的、意識的に喚起される感情やイメージを投影しながら、劇の進行に立ち会う。このとき、鑑賞者それぞれの内部で、目の前に展開する光景から異なる過去の記憶が連想されていくという、同床異夢の状態が発生する。こちらは「想起させる」に対応している現象だろう。
 問題は、evokeの二つ目の定義「引き起こす、誘い出す」にある。とても微細な差異だが、「喚び起こす」ことと「引き起こす」は別の意味をもっている。卑近な例にたとえてみれば、ベッドで寝ている人の名前を呼んで、起こすことと、文字通り腕を引っ張って引き起こす、くらいの違いがある。前者の「喚び起こし」では、対象者には「応答して、自分で起き上がる」という最低限の能動性が担保されていることに対して、後者の「引き起こし」では、対象者は受動的な存在である。
 この二つの志向性が「喚起」という言葉に混在しているのは興味深い。わたしたちは純粋に自律的であったり他律的であったりすることなどなく、二つの極の中間を振り子のようにぷらぷらと漂って生きている。能の舞台を見て、無意識のイメージを遊ばせることもあれば、歌舞伎役者が見得を切るのを見て、しびれたりもする。それでもわたしは、能楽が観る人それぞれに固有のイメージを喚び起こすことに、あらためて大きな価値が潜在しているように感じるのだ。
 もしかしたら、心理学の発達段階理論に照らし合わせれば、齢四十に差し掛かっていることに拠る、精神的なエイジングの効果も手伝っているかもしれない。しかし、別の理由もある。それは二年前に企業経営から研究教育へと活動の場を移して以来、あらためて文芸作品に親しむ時間が増えたことも関係しているだろう。経済原理に駆動されているときは、いかに顧客の感情を「引き起こすか」ということに腐心せざるを得なかったが、学習と研究の現場ではいかに学生や同輩たちと豊穣なイメージを「喚び起こしあえるか」という問いが核心になったのだ。

PR誌「ちくま」3月号

関連書籍