ちくま学芸文庫

なめらかな社会の発酵
鈴木健『なめらかな社会とその敵』書評

鈴木健氏の『なめらかな社会とその敵』が増補版として文庫化されました。人間の複雑さに対応する社会を構想し、大きな話題と呼んだ作品です。原著刊行から約10年、各所で分断が顕在化するなか、本書の意義を情報学研究者のドミニク・チェン氏が綴ってくださいました。

 わたしたちの生きる人類社会は、実に様々な歪さを備えている。その根底にあるのは、本来は連続的に関係している現象を二項対立の極に位置づけ、彼我を分ける思考であり、そこから断絶が生まれる。鈴木健『なめらかな社会とその敵』は、社会の根底にある断絶の構造を、いかになめらかに整形しなおすかということを、市場経済、投票制度、軍事といった対象ごとに考察し、それぞれのオルタナティブな統治の数理モデルと共に提案した。
 刊行から10年近い時間が経ち、人文系から理工系の研究者にとどまらず、多様な読者に解釈されてきた本書が文庫版となり、さらに多くの人々に届くだろうことは想像に難くない。本書は新しい富の再配分システム、分人民主主義、構成的社会契約論など社会全体を俯瞰する視座を持つが、わたし自身は、2004年に大学院の修士課程に入学するタイミングで、本書でも詳述されている伝播投資貨幣PICSYの構想を読み、とてもエンパワーされる気がした。日本に到着してからほどなくして鈴木健氏にメールし、駒場の研究室に会いに行った。
 わたしはアメリカでの学部時代に、インターネット上で誰しもが自由で柔軟な著作権の意思表示が行えるクリエイティブ・コモンズの運動を知り、日本に着いてから参画した。現行の著作権法は国によって詳細が異なるが、基本的には著作権が保護される期間があり、その時間が過ぎれば、著作権が失効するという考え方によっている。つまり、著作権があるかないかの二値のいずれかしかない。
 しかし、インターネットが普及することで、自分の創作した表現を他者にも自由に使ってほしいというニーズが生じた。不特定多数の人々に対して、いちいち利用申請を受け付け、許諾を判断するというのは双方にコストがかかりすぎて現実的ではない。そこでクリエイティブ・コモンズ・ライセンスという利用許諾を予め作品に貼り付けておくことで、望ましい利用方法を提示すると同時に、多くの人々に自由に使ってもらおうという考え方だ。
 わたしは広義のデザインを学ぶ学科にいた時に、自らの表現がいかに多くの過去から現在までの他者たちの創作や思考に負っているかを実感し、著作権システムが既得権益者たちに利するかたちで制御されていることに違和感を抱いた。だから、クリエイティブ・コモンズの提案は、それまでは捨象されてきた数多の引用関係がテクノロジーによって可視化されることで、より「なめらか」で公平な文化をもたらすようにも思えた。
 わたしが鈴木健の伝播投資貨幣PICSYにエンパワーされた理由も、同じ構造に拠る。現行の決済型貨幣は取引が都度打ち切られ、両者の関係性は互いの資産には反映されない。しかしPICSYで取引を行う場合、誰かとの取引のおかげで生じた利益が、その誰かのもとに還元される。創作のメタファーでいえば、引用関係が可視化されるのだ。クリエイティブ・コモンズの思想とも親和性があると感じ、当時働いていたアートセンターでPICSYの可能性をアーティストと共に議論するシンポジウムを開催した。
 今、それから20年という歳月が経とうとしているが、鈴木健はその間に情報技術を巡るバブルが何度も生じたり、社会問題が顕在化する流れの中で、拙速な実装を控え、淡々と思考を熟成させてきた。Web3やDAOといった概念がバズワード化する現在、本書が示す熟慮の様式はますます重要になっている。
 個人的には、9・11以降の20年、世界に蔓延し続ける国粋主義と差別の問題と、2010年代を通して情報技術産業が利用者の注意を収奪する方向に振れきった反省を、あらためて本書の内容と照らし合わせて考えてみたい。世界を友と敵にわけ、互いを制御しようとしあう思考の限界を、情報技術産業はむしろ強化してきたとも思えるからだ。強固な理論を組み立て実装するエリートによる選民主義という隘路を回避するためにも、本書の思想をあらためてコモンズやオープンソースの理念を介して発酵させていきたい。

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