ちくま新書

「こころ」の起源を探す旅

「おもいやり」「わかちあい」「いつくしみ」、人類に普遍的に見られるこころのはたらきはどこで生まれたのか。カナダ、チベット、北海道、ロシア、モンゴル、半世紀にわたる世界中でのフィールドワークから解き明かす本書。旅の始まりはチベット、ダライ・ラマ法王の儀礼への参加からでした。その臨場感溢れる「プロローグ」を公開します。

ダライ・ラマ法王の灌頂儀礼
  二〇一四年七月のある日、ダライ・ラマ法王一四世は、一五万人の観衆を前に、カーラチャクラ灌頂儀礼を行おうとしていた。この日のために世界中からラダックに集まった人びとはインダス河の川岸に作られた広場を埋めつくし、標高三六〇〇メートルのヒマラヤ高地の強い太陽は容赦なく彼らに照りつけていた。
 西チベットとも呼ばれるラダックはインドのジャム・カシミール州の一地方で、かつてはラダック王国という独立した仏教国であった。今もチベット仏教の中心地の一つである。
 ラダックの人びとは、一四日間にわたるこの儀礼に参加するため、家族総出で村々を後にし、あるものは親類を頼り、またあるものはテント持参で、主都レーの近郊にあるこの広場にやってきていた。ここは、ダライ・ラマ法王の夏の公邸に隣接し、平和の園という意味のジウェツァルと名づけられた地だ。広場には八カ所の入口が設けられ、人びとは朝早くから長蛇の列を作って並び、保安検査を受けて入場する。広場の中で、人びとは家族ごとに敷物を敷いて席を占め、傘をさしてわずかな日陰を作り、直射日光を避けながら法王の教えを受け、儀礼に参加するのである。
 舞台となる小さな堂の正面には、人びとに向かい講話するためのダライ・ラマ法王の玉座が設けられている。さらに、大きなガラス張りの窓に囲まれた堂内に白い大理石のブッダ像が置かれ、その右手にはカーラチャクラ尊の壁画と、色粉で彩色された砂により描かれたマンダラが配置される。ここにも、マンダラに向かい儀礼を執り行うための法王の席が設けられ、その後ろには、高僧や特別に招待された地方政府高官などのためのVIP席が並ぶ。ブッダ像の左手には、カーラチャクラ・マンダラが壁画として描かれ、その前に読経と音楽により儀礼を進める僧たちの机が配置される。彼らは、チベット亡命政府の置かれているインド、ダラムサラにあるナムギャル寺院から来た僧たちである。
 堂の前の広場には、招待者、僧と尼僧たちの席、左手には年長者とハンディキャップを持つ人びとの席、右手には七三カ国からの六〇〇〇人を越える外国人のための席が設けられている。広場の後方は、一一万人の一般のラダック人とチベット人、そして子どもたちの席である。また、広場には、LEDスクリーンとPAシステムが置かれ、大画面に映し出される堂内の儀式とダライ・ラマ法王の講話とを、遠くからでも見聞きできるようになっている。さらに、人びとは、日本語、英語、ロシア語を含む一三カ国語による同時通訳を、FMラジオを通してそれぞれの周波数で聞くことができる。
 会場の外には、チベット人の露店が並び、衣服、日用雑貨はもとより、流行音楽のCDから仏画、仏像、法具に至るまでの品々が売られている。私も会場の地面に敷くための折りたたみ式の座布団を二五〇ルピー(日本円で五〇〇円)で買った。ブータンから来たというチベット人は、仮設のテントで飲食店をきりもりしている。インド人の商人は車のついた屋台を曳き、ラダックには珍しいアイスクリームを売るのに忙しい。小さな机の上にチラシを置き、寄付を募るのはチベット僧院の再建に関わる僧たちや、チベット難民の子どもの教育に関わるNPOのボランティアたちである。大きなテントの中では、チベットの歴史と現在が写真パネルで展示され、チベット人の窮状が訴えられている。
 道端には、袈裟をまとったインド人の僧たちが並び、托鉢を行う。また、乳飲み子を抱える女の乞食は手を差し出し、道行く人びとに物乞いをする。ある乞食は道に横たわり、全身をぼろ布で覆い、ただれた手だけをそこから突き出して震わせ、人びとに恵みを乞う。通りすがりのラダックの人びとは、その異様な光景に立ちすくみ、まわりから凝視するのみである。さらに、両足を失った乞食は、車輪をつけた手製の小さな板に乗り、両手で地面を搔きながら雑踏の中を這うようにして進む。彼らも、人びとの集まるこの行事をめざして、はるか南のインド平原からやってきたのである。
 広場から離れた高原には、無料で利用できる臨時のテント村が設営されている。また、別の空き地では、祭りを巡業する業者により、観覧車や遊具が組み立てられ、ラダック人たちは子ども連れで、この即席の遊園地を訪れて楽しむ。レーと会場とを結ぶ道路は、拡張工事が間に合わないまま、バス、トラック、乗用車が砂埃をあげながら全速力で人びとを運ぶ。トラックの荷台やバスの屋上には、人びとが鈴なりになりしがみつく。スピードを出しすぎたタクシーはバスと正面衝突し、大破した車が路上に放置されている。
 ヒマラヤの山中に突如として出現したこの時空間は、神々の集う神聖な儀礼の場であると同時に、まるで、六道輪廻図に描かれる、天、阿修羅、人、動物、餓鬼、地獄という衆生が、目の前に一度にばら撒かれたような世俗の場でもある。この衆生を前にして、ダライ・ラマ法王一四世は、今まさにカーラチャクラ灌頂儀礼に入ろうとしている。

目には見えないこころのはたらき
 そもそも、カーラチャクラ灌頂儀礼とは、カーラチャクラ尊を主尊とする密教儀軌の伝授を通し、教徒としての資格を与える入門儀式である。これには、大乗仏教の中の密教、さらにその中でも最高位に位置づけられる無上瑜伽タントラの方法が用いられる。このため、弟子は、主尊カーラチャクラを中心に、七二二尊を周囲に配した諸尊の宮殿であるマンダラを瞑想の中で視覚化し、その中に入り、カーラチャクラ尊と同一化する。
 この過程で、在家信者の戒、菩薩戒、タントラ戒が授けられ、さらに子どもの誕生と幼年期の発達過程に対応する「子どもとしての七つの灌頂」「世間の高度な四つの灌頂」「出世間のさらに高度な四つの灌頂」「金剛大阿闍梨の灌頂」が授けられる。すなわち、弟子はこの儀式を通して、カーラチャクラ尊として新しく生まれ変わるのである。
 儀礼の最終目的は、すべての仏教儀礼がそうであるように、障りをなくし良きこころを得るという意味の、悟りに至ることにある。もっとも、そのためには儀礼に先立つ準備が必要になる。このため、最初の日には、師が弟子を守るという儀式が行われ、また、弟子は仏・法・僧に帰依し、縁起と空の理解に基づいた菩提心――衆生のしあわせを願うというブッダの慈悲のこころ――を生じさせることが教示される。
 これに続く二日目と三日目には、マンダラの作成に関わる儀礼が行われた。まず、マンダラの作成に先立ち、この地を使用する許可を大地の神々から得るため、ダライ・ラマ法王自身がマンダラの描かれる台に上がり、そこで、四方向に向かって踊り、神々を調伏する。また、一二人の僧は五仏の描かれた五弁の冠を被り、金剛杵と鈴を手に持ち、輪になって踊り、この地を使用する許可を得る。次に、マンダラの図面を描くための紐が浄化され、板の上に白い線が引かれる。そして、四日目からは、講話と並行しながら、マンダラの作成が続けられ、七日目には彩色の砂マンダラが完成し、一二人の僧による舞いと、各地の人びとによる民俗舞踊が奉納された。
 この間の四日目から六日目までは、灌頂儀礼を受けるための準備として、ダライ・ラマ法王により、ナーガールジュナ(龍樹)によって著された『宝の花輪(宝行王正論)』と『友人への手紙』についての講話が行われた。ここでは、縁起に基づく「空」の理解――すべてのものは、原因と条件に依存して存在しているにすぎない――、そして「大悲」――大いなる慈悲のこころ――を起こし菩提心を育むことが説かれる。これは、タントラ儀軌に入るためのいわば土台となるものである。
 もっとも、私は、自身が諸尊と同一化するとはいかなることなのか、さらには、そこで生じる慈悲のこころとはいったい何なのかを自問していた。これらすべては、目には見えないこころのはたらきであり、その本質は何であり、科学的にどのように説明できるのか、という問いに思いをめぐらせていた。
 この五〇年近くにわたり、私は「人間とは何か」という問いのもと、自然と文化の人類学のフィールドワークを行ってきた。ダライ・ラマ法王の灌頂儀礼がまさに始まろうとする瞬間、私の中で、今までのフィールドワークの経験をもう一度ゆっくりと辿りながら、新たな視点からこころを探究する旅が始まったのである。

本書の構成
 本書の第一章では、人間が自然をどのように見ているかを、トナカイの狩猟民であるカナダ・インディアンに学ぶ。狩猟の論理である初原(源)的同一性と互恵性の思考、および、生態的不確定性に対応するための生存戦略としての「わかちあいのこころ」を明らかにする。
 初原的同一性とは、カナダ・インディアンに見られるように、人間と動物とは異なるものだが本来的に同一であるとする思考である。より一般的には、併存する二元性と同一性との間の矛盾を解消しようとする説明原理であるということができる。
 第二章では、初原的同一性と互恵性という現代の北方狩猟採集民のこころが、フランス南西部、ユーラシア後期旧石器時代人のレ・トロワ= フレール洞窟の自然神にまで溯って見出されることを述べる。初原的同一性と互恵性のこころは、人間と神話の誕生を可能とし、人間性の起源となっている。言語能力と世界観の確立、周氷河生態と生存戦略を通した人類とこころの進化を論じる。
 第三章では、自然をカムイ(神々)として見るアイヌの生態、世界観、祭礼について旧記、文献資料を用いながら論じる。アイヌの熊祭りは、初原的同一性と互恵性という狩猟の論理に基づく狩猟の行動戦略であり、アイヌとカムイの饗宴の場である。さらに、熊祭りの場において、序列化社会と平等原理の統合、共生とおもいやりのこころが見られることを指摘する。
 第四章では、極北ロシア、カムチャツカ地域のトナカイ遊牧民コリヤークにおける遊牧の起源と生態、民俗カレンダーを通して見る年間の活動と儀礼のサイクル、新たな神の誕生、人間の死の儀礼と再生について分析し、自然と宇宙と魂の循環という世界観を明らかにする。互恵性が狩猟民に見られる人間と動物との二者間の直接交換から、トナカイ遊牧民に見られる人間、神、動物の三者間の間接交換へ転換していることを指摘し、さらに、偏在する富の再分配と循環のための社会・心理学的装置としての象徴的なトナカイ・レースと平等原理のこころについて考察したい。
 第五章では、モンゴル遊牧民における遊牧の展開について述べる。神と人間との仲介者として人びとの治療を行う役割を担うシャマンという専門職の出現、シャマンの歌と踊りによる治療、シャマニズムの宇宙論、シャマニズムの復興を分析し、変化する社会の中で人びとの願いに応えるシャマンのこころについて論じる。
 第六章では、ラダック王国の歴史と生態、仏教僧院の祭礼、仏教とシャマニズムの併存について述べる。僧院と村々の間の生態と儀礼を通した共生関係と、そこに見られるいつくしみのこころを明らかにする。
 第七章では、ラダックの現代化とグローバル化に抗する伝統の調整と継承を、僧院の祭礼に登場するシャマンに憑依する地方神の登場拒否と再登場の過程を通して分析する。さらに、ダライ・ラマ法王によるカーラチャクラ灌頂というチベット仏教儀礼による慈悲のこころとしあわせの実現、こころの制御を通した平和構築の試みについて論じる。
 第八章では、こころと人類の進化、およびこころの自然についてまとめる。様々な社会にみられるわかちあい、おもいやり、いつくしみ、慈悲は人類に普遍的に見出されるこころのはたらきである。その根源は初原的同一性にあり、自他の区別を越えたこころの自然である。これは宗教以前の宗教であり、自然的宇宙観と呼ぶことができよう。このこころの本質は、人類の進化における社会の展開に伴う新たな課題に対処して、様々な文化装置を作り出すことにより動作し、個人と社会の存続をはかり、人びとのしあわせに寄与している。
 このこころのはたらきを、宗教は個人や家族の範囲を越えて、地域社会、国家、人類全体、さらには地球上の生きとし生けるものすべてにまで広げる。ここには、こころを自然の原点にまで回帰させ、そこから究極の利他心を発動させることで、自他のしあわせと理想の社会を再構築しようとするこころの自己制御が見られる。これは現代社会における内側からの問題解決のための試みでもあろう。
 そのうえで、こころの根源的な真実を理解し、自然的宇宙観へ回帰することにより、人はこころの自然を知り、またこころの自然に生きることを提示したい。

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