ちくま新書

ウソがまかりとおる年金問題

「無駄遣いのために、年金制度が破綻する」なんてありえない。いわゆる「年金2000万円問題」はまぼろし。「積立方式やベーシック・インカムなら解決」はウソ。国民の不安感を煽って、その危機感を利益にする政治家、評論家、メディアの言説を検証して、本当の問題を明らかにする『年金不安の正体』の冒頭を公開します。

不安を煽ると議席が伸びる

 日本では「年金が破綻する」という話が、どうも人の心を惹きつけるようで、週刊誌や新聞、テレビ・ラジオ、ネットニュースなどでも盛んに喧伝されてきた。医療や介護に関しても同様で、将来が危ないとばかり言われている。そうして、世の多くの人が「日本の社会保障システムはヤバイ」と思うようになった。その空気に乗じて、「日本の年金は破綻している」「抜本的な組み替えが必要」という論陣を張り、一時的に票を集めていく政治家たち……。

 ここ十数年を見ても、旧来の社会保障制度を目の敵にする公約を掲げた政党が、旧民主党や維新、旧みんなの党、都民ファーストの会などぞくぞくと誕生し、彼らは、ブームに乗って大幅に議席を伸ばしてきた。これら四党派の中で、国政で政権の座にまでのぼれたのは旧民主党だけだが、彼らの政権運営はお粗末ではすまされない、まさに詐欺的なものだった。「確実に破綻する」といっていたものが、「簡単に破綻などしない」と一八〇度主張を変えてしまったのだから(第四章で詳述する)。

賦課方式のメリット、積立方式のデメリット

 実は、先進国の多くは、日本と同じ賦課方式という仕組みで年金制度を運営している。年金批判論者がよくいう「積立方式」や「全額税負担」という仕組みをとっているのは、ほんの少数であり、それも、国土が日本の何倍もあるのに、人口は日本の数分の一といった有利な条件の国や、もしくは経済成長著しい小さな新興国などしかない。人口が三〇〇〇万人を超える先進国は、どの国も日本と同じ賦課方式だ。なぜそうなったのか?  それは、一見合理的に見える積立方式や税方式には、決定的な問題があり、一方、不合理に見える賦課方式はとても利便性が高いからなのだ。

 まず一番大きな問題は、年金制度開始時点で発生する。国民年金は一九六〇年に制度が創設された(保険料の徴収は六一年四月から)。仮にこの時、積立型で始めていたとしよう。すると、すぐに大きな問題に突き当たる。

 当時すでに六〇歳以上だった人はどうするかだ。彼らは現役時代に年金を積み立てていないので、無年金者にしてしまう。それでよいのか?   大震災や大恐慌、戦災と、とかく不幸の多かったこの世代の人たちにそんな辛い仕打ちはできないだろう。制度開始時点で四〇歳や五〇歳の人にも同様の問題が起こる。彼らとて、現役時代の半分を過ぎており、その間、積み立てをしてこなかった。そのままでは、低年金者になってしまう。……と、こんな感じで、積立型だと、制度を始めた時に加入年齢を超えていた人たちに、必ず積立不足が起きる。

 そうした不都合がなくなり、きちんと制度が軌道に乗るのは、当時二〇歳だった人が六五歳になり、年金が支給開始となる二〇〇五年なのだ。それまでの四五年は、何かしらの形で積立不足を補塡しない限り、制度が成り立たない。さらにこの間、積立金を四五年にも渡って運用し続けるリスクや、その間の運用コストなどの大きなデメリットもついてまわる。賦課方式なら、こうした問題がいっさい発生しない。

 そしてもう一つ。当時は寿命が今よりもずっと短かった。その頃に、「五〇年後の未来では、寿命がどこまで伸びているか」などと正確に予想はできない。実際、寿命の予測は外れ続けてきた。これは積立方式だと大きな問題になる。当初の予測寿命までしか積み立てをしていなければ、それ以降は無年金になってしまうのだから。対して、賦課方式なら、現役世代の負担調整で何とかしのぐことができる。

 けっきょく、積立方式が賦課方式よりも優れているのは、唯一「少子化に強い」といわれることぐらいなのだ。ただし、この点についても額面通りのメリットはない。詳細については、第一章で説明する。

運用損で年金原資が不足する?

 日本の年金制度では、集めた保険料の運用に過ちがあったという批判もよく聞かれる。政治家や官僚によりむやみに使われ目減りした、というのだ。

 確かに、グリーンピアに代表される政治家の我田引水な施設建設で、大きな損害は発生した。しかし、それは積立金の一%にも遠く及ばない程度の額だ。損失額としてもっと大きいのは、財形年金住宅ローンに転用され発生した運用損である。ただ、どちらの事業損失も、実はその多くが当時の大蔵省に利息として支払われた金利によるものだ。それは大蔵省側では利益となっているので、国家財政的には損失になっていない。

 なお、二つの事業は大蔵省からの融資で運営されていたのだが、この話には裏がある。大蔵省はその原資を年金積立金から念出していた(!)。ということで、大蔵省は受け取った返済金と利息を、今度は年金積立金に返している。けっきょく、二事業の損失の多くは、行って来いで相殺されるため、桁違いに少なくなる。この流れについては第二章であらためて触れる。

 言われる年金の運用ミスとは年金財政を揺るがす大損失ではなく、当時の大手優良企業の財テク失敗よりもはるかに傷の浅いものでしかない。「バカをいうな、日本は年金の積立金が足りない、枯渇しそうだ、と言われているではないか」。そんな反論が寄せられそうだが、この話も誤解に端を発している。詳細は第一章に譲るが、賦課方式は積立方式ではないのだから、そもそも積立金など不要なのだ。だから日本と同じように賦課方式をとる欧米諸国の年金積立額は日本よりもはるかに小さい。日本は、高齢者が少なく現役層が多かった過去の時代に、余剰金をせっせと蓄積してきたおかげで、賦課方式ながら稀に見るほどの積立規模となっている。あまりにも額が大きいゆえに、「積立方式」と勘違いして、「足りない」「枯渇する」などと批判をする輩があとを断たないのだ。

 この余剰金を、人口構成や寿命などが安定するまでの間、計画的に費消して、苦しい時代を乗り切ろう、というのが本来の「一〇〇年安心」という意味だ(とかく問題となるこの言葉は、実は行政府が発した正式用語ではなく、当時、坂口厚労相を輩出していた公明党が二〇〇四年参議院議員選挙で使った言葉だ。詳しくは第一章のコラム知識補給5で後述する)。「それでも、少子高齢化が進み、年金原資が足りなくなったらどうするのだ?際限なく料率を上げられたら、現役世代の生活は破綻するだろう」。いや、それも年金の将来計画には折込み済みだ。

 年金料率は、二〇一八年以降はもう上げない。足りない分は、高齢者の年金支給額を減額して帳尻を合わせる。ただ、その減額にもボトム設定がある。現在では現役世代の収入の六割をもらえる想定だが、将来減額しても五割は維持することを目途にしている。現状では、この想定以上のラインで年金財政は推移している。このあたりは、第二章を参照いただきたい。

 ここまで読んでも信用できない人がまだまだ多いと思う。異論や反感を抱きながらでもかまわないので、ぜひ、関連する章を細かく読んでいただきたいところだ。まだこの時点では納得行かない人が多いだろうが、あえて、私が調査・取材してきた結論を先にしたためておく。

――年金問題の根源は、「日本人の心にある」。

 本書読了後に再度、この言葉の意味を考えていただけると幸いだ。

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