ちくま新書

源氏物語には決して描かれない血みどろの歴史

現在放映中の『光る君へ』で注目を集めている平安時代。ただし大河ドラマで描かれるのは、その時代のほんの一部に過ぎない。その裏では武士たちの様々な争いが繰り広げられていた。その有様を描いた『平安王朝と源平武士』の序章を公開します。衝撃的な一文からはじまります。

女性仮名文学と隣り合わせの武士の暴力
 清少納言は目の前で兄を殺された、という伝承がある。鎌倉時代の『古事談こじだん』という説話集に伝わる話で、その殺人事件があった時、二人は同居していた可能性がかなり高い。
 殺された兄の名を、清原致信むねのぶという。寛仁元年(一〇一七)、貴族が多く住む都の高級住宅街で、それも白昼堂々と、二〇人ほどの騎兵・歩兵が家を包囲し、押し入って殺害した。あまりに大っぴらな犯行だったので、その日のうちに犯人が判明した。源頼親よりちかという武士が、手下を使ってやらせたのだった。
 奇妙にも、世間は驚かなかった。人々は「またか」と思い、「頼親は殺人の上手」と噂し合った。いつも通り手際よく殺したな、という意味だ。そして興味深いことに、致信の無惨な死に、世間は同情を示さなかった。なぜなら、致信もまた殺人犯だったからであり、襲撃は彼が犯した殺人への報復だったからだ。
 清少納言といえば、『枕草子』という傑作エッセイの著者として誰もが知っている。彼女は、豊かで繊細な観察眼と筆力をもって、世界と宮廷社会への愛着を叙述した。宮廷行事や奉仕や仕来しきたりをこなす宮中の日々を、遊び心とウィットで楽しもうとする上流階級の男女。その人々は心に余裕があり、その社会は温雅で安閑だ。清少納言と聞いて私たちが描くイメージは、雅やかで、のどかな平和そのものである。
 しかし、それは彼女が極めて選択的に取り上げた、彼女の思念や生活のごく一部、氷山の一角に過ぎない。そこに取り上げられなかった、『枕草子』の裏側の、ありのままの実生活や実社会は、露骨な暴力とそれを生業とする人々の脅威と隣り合わせだった。
 殺された兄の致信は、実は藤原保昌やすまさという有名な「つわもの(武士)」の従者になっていた。その保昌の弟に、強盗や殺人を繰り返した保輔やすすけがいた。彼ら兄弟の父も、複数の殺人を犯して流刑に処された粗暴な荒くれ者だった。そして彼ら兄弟の姉妹は、源満仲みつなかに嫁いでいた。満仲は武士の清和せいわ源氏の二代目で、気に入らぬ者を虫けらのように殺すことで有名だった。その満仲の次男が、致信を殺した「殺人の上手」源頼親である。
 清少納言の兄は、そうした人々に囲まれ、そうした価値観と行動様式の中に生きていた。暴力で問題を解決し、そのために躊躇なく他者の命を奪い、罪悪感も抱かない価値観と行動様式である。それに従って生きた右の人々は皆、武士といえる存在だった。その一員だった致信も同断である。清少納言の兄は武士か、それに極めて近い存在と見てよい。その生き方は致信を殺人に駆り立て、同じ生き方に従う競争相手に自分も殺されてしまうという因果応報を招いた。
 雅な貴族社会の背後には、その社会が直視しようとしない、暴力の支配する地方社会があった。地方社会だけではない。都で、すぐ隣に、直視に堪えない暴力の世界があった。温雅で安閑として平和な清少納言の日常の隣に、粗暴で危険で暴力的な武士たちがいた。
 清少納言だけではない。彼女の兄が仕えた、都の狂気じみた暴力的コミュニティの中心的な一人だった藤原保昌は、敦道あつみち親王(冷泉天皇の皇子)との恋の記録として有名な『和泉式部いずみしきぶ日記』を著した女流歌人・和泉式部の再婚相手だった。また、致信が殺された時、晩年の紫式部がまだ存命中だった可能性がある。紫式部は直接の関わりを持った形跡がないが、彼女と同時代を生きた清少納言や和泉式部は、蛮行に明け暮れる武士のコミュニティと背中合わせに生きていた。平安京と平安時代は、彼女たちが仮名文学に描き出した雅な王朝絵巻世界と、暴力が支配する武士の世界のモザイク模様で成り立っていた。

女性仮名文学を支えた武士の収奪
 この二つの世界は、単に隣り合っていただけではない。彼女たちが頑なに描くことを拒み、あたかも存在しないかのように扱った暴力的な武士社会は、彼女たちが熱心に描いた王朝絵巻世界を支えていた。彼女たちの生活と文化を成り立たせていたのは、地方から供給されて彼女たちの世界へと投入される莫大な富だったが、それは武士たちが暴力によって収奪した富にほかならなかったからだ。
 彼女たちの愛した宮廷社会が、血まみれの手で弱者から搾取した武士たちによる、巨額の貢ぎ物によって成り立っていたことを、彼女たちは知らなかったのか。箱庭のような狭い貴族社会で生きた彼女たちは、物理的にも情報的にもそうした陰惨な搾取の現場から隔離され、何も知らなかった、と考えたくなるかもしれない。しかし、兄や夫がその暴力的搾取の当事者だった清少納言や和泉式部が、知らなかったはずはない。また、紫式部は父の藤原為時ためとき越中守えっちゅうのかみとなった時に父に随行して越中へ下り、夫の藤原宣孝のぶたか山城守やましろのかみだった。彼女もまた、受領ずりょう(国守)が現地で搾取する現場を目の当たりにした人であり、何も知らなかったとは考えられない。彼女たちは、王朝絵巻世界が血塗られた収奪で支えられていたことから目を背け、世界のうち愛せる部分だけを〝世界〞として描いた。 彼女たちが見ないふりを続けられるよう、その非道な収奪と向き合い、暴力的な武士社会と雅な宮廷社会を結びつけた男がいた。紫式部の『源氏物語』執筆を支援し、彼女が才能を発揮できる場を提供した中宮ちゅうぐう(一条天皇の配偶)藤原彰子あきこの父、藤原道長である。
 彼は、片や一方の手で、武士たちが受領として地方で収奪した途方もない巨額の貢ぎ物を受け取り、彼らを繰り返し受領に任じて、貢ぎ物を継続させるサイクルを確立した。そして、片やもう一方の手で、受け取った富を宮廷社会に投入し、仮名文学の作者たちが愛した王朝絵巻世界を成り立たせていた。二つの相容れない世界は、道長を結節点とする一つの経済圏だった。暴力的な武士社会は供給地として、王朝絵巻世界は消費地として、密接不可分の関係で一つの富の流れを形成していた。道長は自覚的に両者を支配し、つなげ、そして収奪に熱中する者たちと、雅な文化の消費に熱中する者たちに、それぞれ没頭できる閉じた世界を用意した。
 興味深いことに、道長の権力に富の裏づけを与えた武士は、奇しくも、ちょうどこの頃に一つの完成期を迎えていた。
 誤解がないようにいえば、武士の成立自体は、すでに一世紀ほど前までには果たされていた。そこに至る過程は、前著『武士の起源を解きあかす―混血する古代、創発される中世』(ちくま新書、二〇一八年)で詳しく述べた通りだ。一〇世紀前半の平将門まさかどの乱が、武士の存在感を決定的にした。とはいえ、それまでの武士は受領ではなかったし、摂関政治の支えでもなかった。そして武士の有力者の中に、源氏の姿はなかった。
 ところが、まさに道長が登場する直前頃に、清和源氏の満仲が、突然変異のように武士として圧倒的な力量を持ち始め、将門の乱に参加した父経基つねもとの代には武士の劣等生だった源氏を、いきなり武士の代表格へと押し上げた。そしてその間に、力任せに地方社会の富を収奪する受領が普通になり始めた。それらの流れの上に、新興の源氏が、武士としての存在感で先行した平氏と並び、追い越し、「源平」という武士の二大巨頭を成立させた。〈武士の代表格といえば源平〉という相場観が、道長の登場と前後して現れたわけだ。本書の主題はそこにある。
 この相場観は、以後の武士社会を動かす基本軸として、戦国時代末期の天下統一までこの国のあり方を左右し続けた。この相場観の登場は、歴史上に何度かあった武士の画期かっきの一つであり、いわば〈武士の最初の完成〉を意味する。前著で扱った将門の乱は、〈武士の成立〉の前半の画期だった。本書の目標は、それに次ぐ後半の画期というべき〈源平という二大巨頭の成立〉が、なぜ、いかにして起こったかを明らかにすることにある。
 本書は、〈武士の代表格は源平〉という相場観がかなり唐突に出現した経緯と理由を解明し、その延長上に起こった源平の興亡の意味を考え直したい。そこまで行うことで初めて、鎌倉幕府の成立へと接続できる、〈武士の成立〉を論じたことになる。本書は、前著の執筆時から構想していた続編だが、本書だけでも一つの時代の歴史として読めるように構成したので、どちらから読んでも、どちらかだけ読んでも問題ない。
 平安時代を、綺麗でごく少ない上澄うわずみ液と、その下の大量の濁った液体が入った、一つのビーカーだと想像して頂きたい。本書は、上澄みとしての平和で雅な女性仮名文学からは全く見えてこない、血で濁った武士の世界が、どのような化学反応によって、何世紀も幅を利かせた〈武士の代表格は源平〉というステレオタイプへと凝固したかを明らかにしたい。それは、利己的で退廃的な思考様式と怠慢によって王朝絵巻世界が目を背けてきた、すぐ隣にあった苛酷な現実の話であり、王朝絵巻世界の裏面史であり、古代的世界が自ら招いた断末魔の話である。
 

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