ちくま新書

恐るべき強欲と信じがたい愚行

山岡淳一郎『ドキュメント 感染症利権』書評

8月刊ちくま新書『ドキュメント 感染症利権』(山岡淳一郎著)について、生物学者の池田清彦さんが書評を寄せてくださいました。「なぜPCR検査件数が増えないのか」、コロナ禍において多くの人が不思議に思った問題点も、根本には信じがたい縄張り争いがあったこと等、科学的災禍に際しての政官財学が陥りやすい病的体質を指摘します。(PR誌「ちくま」2020年9月号より転載)

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)はこの原稿を書いている7月24日現在、国内感染者は3万人に迫り、死者も約1000人に達している。この数は欧米諸国と比較して今のところ圧倒的に少なく、日本政府は「日本モデル」などといって自画自賛しているが、100万人当たりの死者数は7.9人で、東アジア諸国の中では、17.5人のフィリピンに次いで二番目に多い(統計がない北朝鮮は除く)。近隣諸国の中で、一番封じ込めに成功している台湾の0.29人と比べれば悲惨な状況にある。それにもかかわらず、日本政府はもとより、感染が拡大している東京や大阪などの自治体も有効な対策を打てずに、手をこまねいているように見える。

 そうなった根本原因はどこにあるのか。感染症は多くの人々にとっては怖れとその裏返しとしての差別の対象であり、権力にとっては、対応を誤れば政権が倒れる危機であると同時に、国民をコントロールして政権の支持基盤を固める好機でもある。さらに、製薬会社は特効薬を開発して大儲けできる絶好の機会である。感染症が重大な社会問題であればあるほど、多くの人々が関与し、政治的な派閥が生じ、様々な思惑や利権が交錯し、合理的な解決策は置き去りになる。

 感染症と政治や利権のこういった関係は、しかし、今に始まったことではなく、感染症の原因が病原体だということが判明して以来、ずっと続いている。その結果、患者を救うという本来の目的はおざなりにされ、学者の功名心、省庁の主導権をめぐる縄張り争い、隠蔽工作、責任回避システムなどが重なり、時に患者は見捨てられ、差別の対象になり、最悪の場合は実験材料として殺されたりする。本書の半分以上は、感染症黎明期における主導権争い、悪名高い「731部隊」による人体実験、結核やハンセン病患者に対する差別の歴史、などの闇の部分を取り上げており、読み応えがある。

 しかし、本書の核心は、SARSやCOVID-19といった新型ウイルスをめぐって展開される、様々な利権構造を解明したところにある。例えば、日本にはPCR検査を行える大学や研究所は沢山あるのに、なぜ検査件数が増えないのか、不思議に思っていたが、本書を読んでその疑問は解決した。元凶は厚労省と文科省の縄張り意識にあったようだ。厚労省側はテリトリー意識にしがみつき、文科省にPCR検査に協力してくれるように要請せず、文科省もまた不作為で応じたので、先進国では例をみない検査件数の少なさになったというわけだ。

 政府の高級官僚にとっては、国民の命を守ることより実は自分たちの省庁の縄張りを守ることの方が重要なのだ。恐るべきことに、医療行政は内務省、医療教育は文部省という縄張りが決められたのは、1875年(明治8年)だという。感染症対策は内務省を引き継いだ厚労省が行い、文科省は介入できないという信じがたい愚行の根は深い。官僚は一度決めたことを変更しようとしない。これを「無謬性の原則」というが、「無謬」とは間違いないということではなく、間違えを認めないということだ。

 今回のコロナ禍でもこの無謬性の原則はいかんなく発揮され、開催が決まっているオリンピックを中止したくないばかりに、意図的にPCRの検査数を絞ったのである。安倍晋三首相はCOVID-19が中国で猛威を振るいはじめ武漢市が都市封鎖された次の日の1月24日、春節の始まりの日に北京の日本大使館のホームページに「訪日大歓迎」のメッセージを出したのだから、何をか言わんやだ。その後、このメッセージは削除されたが、安倍首相が謝罪したという話は聞かない。無謬性の原則を貫いたわけだ。

 本書のもう一つの読みどころは、パンデミックは製薬会社が新薬を開発して儲ける絶好の機会になるため、研究者や政治家を巻き込んだ魑魅魍魎が跋扈することを素人にも分かるコトバで説明したことだ。感染症の裏にある利権の構造を知りたい方にはぜひ薦めたい。

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