ちくま学芸文庫

女性会員のみた内村鑑三

鈴木範久著『内村鑑三交流事典』では、二百数十名にのぼる人々を取り上げましたが、都合上、紹介できなかった人物も多数いました。ここでは、女性を中心に彼女たちが内村鑑三とどのような交流を持ったか、その様子の一端を伝えます。

 昔あった赤門の学士会館のなかで、矢内原忠雄と南原繁の両氏が静かに話しあっている姿を何度も見かけた。しかし矢内原忠雄の講演となると一度聞いただけである。そのなかで未だに覚えている内容は、矢内原が内村鑑三に大学での講演の依頼に行くと「ふん! 東京大学か」と言ってはねつけた話である。内村には、旧制一高における「不敬事件」のにがい思い出が東京大学にはつきまとっていたという。
 その矢内原の講演会場で、私の受けたもう一つの印象は、意外にも女性の聴衆が多い光景である。この印象を当時文学部にいた柳川啓一さんに話したところ、柳川さんは即座に「日本の男たちがだらしないからさ」と快答した。
 内村の聖書研究会の会場風景を遺された写真で見ると、男性の方が多いものの女性も少なくない。近著『内村鑑三交流事典』(ちくま学芸文庫)のなかでは、社会主義者の福田英子、足尾銅山鉱毒事件当時の毎日新聞記者松本英子、北村透谷の妻美那子、小山内薫の新聞小説「背教者」のヒロインのモデル西沢八重子、医師の杉田鶴子などしか紹介できなかった。しかし、生没年不明のため紹介こそできなかったが、ほかにも強く印象に残る女性たちがいる。
 その一人は、内村の聖書研究会のオルガニストをつとめた吉沢なをである。吉沢さんを自宅に訪ねたときには、もう老年に達していた。しかし声楽者らしい美声の持ち主だった。
 「内村先生は恐いとみられていますが、私にはとても優しい方でした。オルガニストとしての奉仕に対してクリスマスには赤い靴を買って下さったのですよ。ほんとうに乙女心のわかる先生でした。」
 これに対して集会に通う男性たちは、黒い服を着用して分厚い聖書を小脇に抱え、気難しそうな顔をして参集する人たちが多かったという。
 のちに吉沢さんは上野の学校の同窓生だった朝鮮出身者と結婚する。しかし、その男性は、北朝鮮への帰還事業に応じて去ってしまった。吉沢さんは、この話をするときだけ淋しそうに顔を曇らせた。
 内村の娘ルツが世を去ったころの会員に村山もと子がいる。彼女は『聖書之研究』誌に「雑司ヶ谷の里に静に眠り給ふ内村ルツ子嬢の御上を思ひまつりて」と題する追悼詩をはじめ、同誌に数回詩を寄稿している。のちに、もと子は『婦人之友』の編輯部員になる。その子息の村山知義氏によると、母もと子は、内村集会に日曜日ごとに出席することが「苦しい生活の唯一の慰め」だったという。その母に連れられて知義氏も内村の聖書講義に通った(『演劇的自叙伝』)。かつて知義氏本人と一言だけ言葉を交わす機会があったが、残念ながら内村の印象は聞き出せずに終わってしまった。
 お会いしようと思いながら、ほどなく世を去られ、話を聞く機会を逸した女性も少なくない。たとえば、内村美代子さんから、ぜひ会うようにと勧められた女性に小平いちさんがいた。数学者の小平邦彦氏の母である。また新版『内村鑑三全集』の予約募集に対して、ひとりで三十数セットもの予約をして驚かされた人がいた。聞けば、長野県で医院を開業していた女性で、「子供たちや親戚全部に送りたい」との話だった。
 このように見てくると、女性の会員たちが内村にみたものは、毅然とした生き様はもちろん、あわせもつ優しさでもあったようだ。

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