ちくまプリマー新書

揺らぎの中のアレクサンドロス大王像

澤田典子『よみがえる天才4 アレクサンドロス大王』書評

アレクサンドロス研究の現在地点を示す『よみがえる天才4 アレクサンドロス大王』の魅力を、『アレクサンドロスとオリュンピアス―大王の母、光輝と波乱の生涯』などの著書がある森谷公俊さんにひも解いていただきました。

 アレクサンドロス大王は、世界史上で最もよく知られた人物の一人である。東方遠征でペルシア帝国を滅ぼし、大征服を成し遂げながら、わずか三二歳で世を去った彼は、今なお多くの人を惹きつけてやまない魔力を放っている。

よみがえる天才4 アレクサンドロス大王』(ちくまプリマー新書)は、最新の研究に基づいて、彼の人物像に迫る作品である。しかも著者の澤田典子さんは、古代ギリシア・マケドニア史を専門とする気鋭の歴史学者。こう言うと、さぞかし本書はこれまで不明だったことを明確にし、鮮明な大王像を描いていると思われるだろう。ところが話は逆である。これまで自明と見られてきたことが曖昧になり、アレクサンドロスの実像はむしろぼやけているのだ。

 これは一体どういうことか。その辺の事情をわかっていただくには、大王の史料について説明しなければならない。

 アレクサンドロスの伝記は、まとまった形では五篇が現存し、西洋古代としては稀に見るほど史料に恵まれている。ところがそれらが書かれたのは、前一世紀から後三世紀にかけてのローマ帝国時代である。たとえば『英雄伝』で有名なプルタルコスの作品は、後一世紀末~二世紀初めに書かれ、大王の死去から四〇〇年以上もたっている。今から四〇〇年前といえば、日本では徳川時代の初期。つまり今日の歴史家が徳川家康の伝記を書くのと同じだけの時間的隔たりがあるのだ。

 しかもアレクサンドロスは人間を超えた英雄と見なされたため、すでに生前から半ば神話化されていた。それから数百年の間に、創作やゴシップを含む、おびただしい伝承が積み重なる。ローマ時代の作家はその中から自身の大王像に適した素材を選び、ローマ人読者の好みに合わせて作品を書いたのだ。大河ドラマが描く戦国大名さながらである。

 こうして見ると、現存する大王伝がいかに欠点だらけであるかがわかるだろう。アレクサンドロスの研究者たちは、五篇の伝記を綿密に分析し、丹念に比較しながら、大王の実像に迫らねばならない。ここ数十年、そうした地道な作業が営々と積み重ねられてきた。その最新の成果を反映したのが本書である。では、どうなったのか。

 自明と見られてきたことが曖昧になった、と先に述べた。端的な例を挙げよう。前三二六年、インダス川を越えたアレクサンドロスは、ヒュファシス(現ベアス)川に到達したところで将兵の反乱に遭い、反転を決意する。あまりに有名な場面だが、反転はあらかじめ計画されていた可能性が高い。というのも、彼はすでにインダス川の支流で船隊を建造しており、反転後にそれを使ってインダス河口まで下ったのだから。しかも彼の遠征範囲はどこにおいてもペルシア帝国の領域を越えていない。ローマ時代の作家たちにとって、アレクサンドロスは飽くなき欲望に駆られ、世界の果てまで突き進む英雄でなければならなかった。反乱によって帰国を余儀なくされたという場面は、彼ら自身のイメージに合わせて創作されたと思われる。

 こうしてアレクサンドロス像は次々と揺らぎ、輪郭があいまいになっていく。これを本書の文体が端的に示す。「だったようです」「かもしれません」「と伝えられます」。こうした曖昧な表現が頻繁に現れるのは、研究が未熟だからでなく、研究が一段と進んだ結果なのだ。NHKのとある超人気番組の一コーナーに、「たぶんこうだったんじゃないか劇場」という再現ドラマがある。今やアレクサンドロスも、「たぶんこうだったのでは」という形でしか語れなくなった。その意味で、本書はアレクサンドロス研究の現在地点を非常に良く示す作品である。

 このような現状を知っても、どうか読者の皆さんはがっかりしないでいただきたい。幸い大王伝の多くは日本語に翻訳されている。それらを読みながら、各人が自分なりの大王像を描くことができるのだから。これこそ歴史を学ぶ醍醐味ではなかろうか。本書はそのための最良の道案内である。

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