ちくま学芸文庫

大乗仏教の世界的任務

京極逸蔵『生の仏教 死の仏教』序文

1月に刊行されたちくま学芸文庫『生の仏教 死の仏教』より、鈴木大拙氏による序文を公開します。著者の京極逸蔵氏は浄土真宗本願寺派の僧侶で、アメリカに仏教を定着させた人物として知られています。異文化の人々に仏教を理解させただけに京極氏の教えはひじょうにわかりやすく、仏教の神髄がストレートに伝わってきます。

 京極さんの遺稿が編纂せられると云うので自分にも何か書けと申されます。兼ての知己でもあり、その為人(ひととなり)にも敬服して居たので何かかかせて戴くことを考えました。ところで、京極さんの人格、信仰、事業などについては、自分よりも、ずっと詳しく知って御出(おい)での御方々に譲り、自分は此機会に、故人の精神を動かして居たものについて一言したいのである。

 京極さんは大乗仏教に対して深い領解を持って居られた。而(しか)してその一生をその宣伝に捧げられた。これは吾等の何れもが学ぶべきことと信ずる。が、何を云っても、大乗仏教の何たるかを、まず知ることが大切である。これさえわかれば、自らこれを他の人々に伝えたいと云う気になる。

 この他に伝えたいと云う心持は人間として誰もが持つところのものである。が、自分はこの心持でなく、もっと客観的に見て、大乗仏教の世界文化向上における役割について一言述べたい。これを闡揚(せんよう)するのは日本の仏教者の使命であると信ずる。

 この一月の始めに、コロンビア大学二百年祭の劈頭(へきとう)講演として、今有名のアルフレッド・トインビイのがあった。自分は聞き損ったが、新聞の伝えるところで、その梗概(こうがい)を知り得た。それは彼が兼ての所見であった。

 ト氏の意見によると、世界文化の将来に関する一大事象は今世紀に入って起ったのである。それは基教(キリストきょう)と仏教との対立、寧ろ対抗である。仏教と云っても、それは一般仏教であって、大乗仏教である。世界文化の将来にはこれら二大霊性力の衝突が期待せられる。今日の政治思想の抗争などよりも、もっともっと重大な問題である。共産党と自由主義との闘争は今から百年の後には、とくに解消して、世界歴史上大した事でなくなる。が、二大宗教の対抗は実に永遠のものだと云うのが、トインビイの持説である。

 この抗争と云うのが、果して、どのような意味に採るべきか、判然とわからぬ。ト氏は或は基教で大乗仏教を征服してしまえと云うのかも知れぬ。西洋の人は征服欲に強い、力の崇拝者である。それでト氏もこのような考を抱いて居るのかも知れぬ。それは臆測にすぎぬ。が、或る人の考では、実はト氏もそのようなものを心に持って居るらしいと、云うのである。併しこれは吾等の関心でない。吾等の関心は、ト氏が殊更(ことさら)に大乗仏教を挙げて、これと基教とを並べたと云うところにある。

 自分の考では、歴史的基教では世界は十分に救われぬ、どうしても大乗仏教の如き、何等歴史や、伝説や、未洗練的な霊性的あこがれなどに、拘束せられぬ、絶対自由の上にたって居る宗教でなくては、世界の解放は実現不可能だと云うのである。

 それ故、大乗仏教の世界的任務と云うものには、容易ならぬ意味が含まれて居るのである。

 蓋(けだ)し、大乗仏教徒たらんものには、何れも此意味が、自然にわかることと、自分は信じて居る。世界を浄土にせんとするには、大乗仏教の協力がなくてはならぬ。

 自分は京極さんも慥(たしか)に此信念で動いて居られたと信ずる。跡に残された吾等も亦(また)是非是非この信念を継承して、今後も一層の努力をしなくてはならぬ。

 所感を述べて序とする。

                           ニューヨークにて 鈴木大拙