学校が教えないほんとうの政治の話

緊急対談! 若者の政治参加、どう思う?

18歳選挙権導入を睨んで、若者の政治参加についてほぼ同時期に著書を刊行したふたりが、参院選が終わり都知事選を控えたこのタイミングで緊急対談。若者の政治参加について、日本の社会のありようについて、語り合った。

どうやって自分事になるように伝えるか

斎藤 三権分立とか二院制とかいう、政治の仕組みは小学校でも中学校でも高校でも教えるわけですよね。そういうのはどのくらい理解しているんですか、子どもたちは。
 知識としての理解ですよね。自分事としてどこまで咀嚼して身に染みているかというと、そこまではなっていない。
斎藤 実際の選挙までには乖離がありますね。その間が空白というか。そこを上手に梯子を掛けることが必要なんでしょうけど。この前、おときた駿さんの『ギャル男でも分かる政治の話』という本を読んで、なるほどなと思ったのは、安倍首相は何党でしょうかという質問を、20代のモデルの男の子二人にするんですね。ひとりは民主党、ひとりは自民党と答える。自民党と答えたほうに、あってるあってる、自民党だよ、と言ったら、やった、二択で迷ったんですよねと言い(笑)、民主党と答えたほうは、よくポスターが貼ってあるから正しいと思ったんだけどな、と言う。なんてばかなんだお前は、とつい思っちゃうんですが、そうではなく、おときたさんは、ポスターに目を付けるのはいい観点だね、というあたりから、政党っていうのがあってね、と説明していく。自分がいま持っているスキルじゃだめだな、とすごく思いました。
 ギャル男で言えば、そうやって自由な恰好をしていることそのものが、憲法の表現の自由だったりするわけですよね。北朝鮮みたいにみんな同じ服装っていうのとどっちがいい?と聞き、それは憲法で守られているからなんだよ、と言うことはできますよね。嫌な顔をする人はいても、制限されたりはしない。そのことを、どこで教わるのかですよね。憲法とか法律とか条令とかは、みんな生活の身近なところにじつは関わっている。電車に乗るのも、水道から水が出るのも、ぜんぶ関わっている話ですよね。

いろんな意見があるのが当たり前じゃん、にしたい

 そもそも、自分の思っていることや感じることをぽんと言ってもいいんだよという安心感が、いま、世の中にないんですね。どうしても表面的な、SMAPがね、とかサッカーがねとか、そんなところで終わってしまう。みんな違ってみんないい、と習うけど、結局違っちゃいけない世の中があるなかで、そこをきちんと体験できる、安心して自分の意見を言える場所をつくらないといけないですよね。
斎藤 政治的な意見以前に、友だち同士の間で自分の体験を話すとか、非常に打ち明けづらい感じがありますよね。
 なにか言うと、否定されたとか、違う意見を言っただけなのに自分が否定されたとへんに傷ついてしまう子どもたちがいたり。話し下手というか、自分を表現できない。
斎藤 すごく周りを気にしているからですかね。
 KYと言われて空気を読めないとだめと言われて、でも逆に、空気を読まないほうがいい、みたいなところもあったりする。すごくむずかしいしい世の中を子どもたちは生きている。親の前では言えてもあの子には言えない、みたいなこともあるし。
斎藤 それでいて、LINEでつながっていたりするんですよね。ややこしい。
 でも、いろんな意見があることが当たり前じゃん、としていくことが大事なんですが、「和を以て尊しとなす」みたいな文化の中では、まずは人の話を聞きなさい、と当然のように小さい頃から教わっていて、自分の意見を言うことのハードルが高いんですよ。
斎藤 そうですよね。もっと言うと本当に自分の意見を言うと否定されたりするわけですものね。読書感想文がそうですよ。正直に思ったことを書きなさい、と言われるけれど、本当に思ったとおりに書いていいのかというと、否定的な感想文が出てきたりすると、本当に君はこう思っているのかな、なんて指導されちゃうわけだから。そうすると、結局、相手のニーズを読める要領のいい子が高い得点を得ていく、という文化ですからね。多様な意見があってもいいんだよ、ということは、国語教育から変えていったほうがいいように思いますね。自由に物を言わせる、意見を言わせる、というふうに。

 


 じっさいには、そうなっていないですし、教員にもそういう、いろんな意見を受け止める余裕がありません。学校現場がもっとやりやすい環境になるように、市民が支えないと、先生たちがすごく窮屈だなと思いますね。今回の18歳選挙権の政治教育での中立性を非常に気にしている先生方を見るとそう思うし、あの、「週刊朝日」が報じた自民党の密告サイトがね。
斎藤 学校で政治的中立を逸脱した教師がいたら密告せよ、という。あれはひどいですね。
 密告されるかもしれないと思うとなにもできない。ああいうのはおかしいし、現場はもっといろいろやりたいのだから、それをやらせるようにするのが政治家の仕事なのに、それを逆に縛っている。それはおかしいよね、というふうに市民が声を上げたりメディアがキャンペーンをはらないといけません。
斎藤 地域社会が、親やもちろん学校の校長まで含めたぜんぶがOKですという雰囲気を作れれば、変わってくるんですよね。
 山口県の話をさっきしましたが、自分たちの親が選んだ議員と自分たちが意見交換をするとか、その場に親もいるとか、もっと身近になることをしていくことが大事だと思うんですよね。議会で眠っている議員だって親が選んだんです(笑)。
斎藤 たしかに。親が選んだ議員か(笑)。
 そういうのを見せて、じゃあ自分たちはどう選ぶのか、と考えるとか。いずれ自分たちが選ぶわけですし、それ以前に、有権者じゃなくても子どもたちは国民だし市民だし主権者なんですから。
斎藤 それは大事なことです。
 議員は国民への奉仕者であって有権者への奉仕者じゃありませんから。政党助成金の算出根拠だってゼロ歳の赤ちゃんから含まれているわけですし。そこを議員がもっと考えないと。子どもがあの人いいよ、と言えば票につながるかも知れないんですし。
斎藤 政治家は子どもをないがしろにしちゃダメですよね。ここに将来の顧客がいる、と思わないと。

「自分で選ぶ」を繰り返す

斎藤 5歳からの主権者教育、とお書きになっていたじゃないですか。5歳って?と思ったんですが、どうやるんですか。
 いや、5歳でも保育園や幼稚園の最上級生ですから、下の子の面倒は見ているわけで、運動会の司会をやるとかできますよ。そういう自覚をもたせて、また小学1年生になると、やりなおしになるわけですが、その繰り返しが大事です。
斎藤 たしかに、年長さんは、そうとう大人ですしね。
 クラスで、お楽しみ会でなにやるの、雨が降ったらどうするの、と話し合ったり。それを先生が決めるんじゃなくて、自分たちが決める。失敗したら、それは先生のせいじゃなくて自分たちのせいだよね、となれば、次はどうするかを考える。
斎藤 なるほど。
 ただ、手間がかかる。
斎藤 そうですよね。大変そうです。
 でも本当にそういうのを、スウェーデンあたりでは繰り返し繰り返しやっていて、で、あなたはどうなの、どう思うの、なんでそう思うの、と大人が子どもに問うんですよね。だから子どもたちも自分の意見を言えるようになってくる。そうやって、自分が社会の一員で、自分が決めている、自分に決める権利があって、責任を引き受けるのも自分だよね、と思う。誰かに従っているわけじゃなくて自分たちが決めているんだという自覚を、子どもの頃から醸成させているから、投票率も7割とか8割とかになるんです。
斎藤 そういうふうに暮らしてくると、なにかあったときに、これはどう考えたらいいか、いちいち自問する癖がつきますよね。
 逆に言うと、欧米ではそれが言えないと生きていけないんです。しんどいですよ。日本のほうが空気を読んでいれば、誰かがやってくれるという安心感というか、楽な部分はたしかにあるとは思うんです。
斎藤 あうんの呼吸で行ける、というね。
 だけどいま、うちの大学でもグローバル化とかって授業をやっていますが、単に英語で授業をやっているだけで、結局自分の意見を言えないと何の意味もない。日本語ですら自分のことが言えないのに、英語を学んだら言えるようになるわけではない。海外で仕事をしないにしても、日本に海外からいろんな人が来ていて国内もグローバル化しているのだから、そういう中でどうやってやりとりをするのかが、いま、問われていると思うんです。少なくとも自分が伝えたいことをきちんと伝えるスキルは、子どもの頃からきちんと身に付けていかないと、生きていけないですよ。権利は権利としてきちんと主張しないと。行政もきちんと主張すればやってくれるけれど、主張しないとやってくれませんよ。制度が保証されていても、知っている人だけが恩恵を受ける、というのは逆に不平等ですよね。知らないことは自己責任とか言われてしまいますし。


斎藤 賢い市民を育てないとね。
 斎藤さんの本の中でも、そうやって昔から市民は考えて動いてきて働きかけて、まあ、討ち死にしたりしていますけれど、そういう歴史が日本にあることが書かれていますよね。そういう血が私たちのなかにも流れている、ということをきちんと伝えることは大事だな、と思います。


ネット時代に多様性をどう確保する?

斎藤 毎日いろんな事件が起きるわけですけれど、それと自分との関わり、接点がわかると、考えるようになると思うんですよね。沖縄の人たちは考えざるを得ないわけじゃないですか。そういう何かがあれば変わると思うんですよね。
 でもそうでもないんです。那覇の子とかは気にしていなかったりします。沖縄の中でも全然違う。興味あるんだろうなと思って話をすると、あれっということがあります。ましてや本土側では、興味は薄いですよね。そこでどうやって、いろんな思いに火を付けて行動に移していけるのか、そのへんは悩みますね。国会前のデモだ、SEALDsだ、というのも一面でしかないので。
斎藤 一面というか、ほんの一部の「変わった人」でしょう、全体から見れば。
 うちの大学でも、SEALDsという言葉すら知らない学生も多いと思います。意識がなければ興味が無ければ、引っかからない。
斎藤 新聞も読まず、テレビのニュースも見ないと、なにもわからないですよね。ネット上のニュースも、見ようとしなければ見ないわけですから。
 このあいだ学生に聞いてみたら、LINEニュースは見ているらしいんです。でも、SEALDsのデモのニュースがあっても、反対側にサッカーのネタがあったら、サッカーのほうを見てしまう。
斎藤 ニュースをチョイスしていくわけですからね。
 さらにそれが機械的に、この人はサッカーをチョイスする人だとなるので、そういうニュースばかりが画面に現れるようになる。でも本人たちは、そのことを自覚していない。サッカーや芸能ネタばかりを選んでいるからそういうニュースばかりが現れているのに、それが世界だと思ってしまう。それが怖いですね。便利になっているのは確かですが。アマゾンのお勧め本のような感じで。
斎藤 となると、タコツボ化していきますね、それぞれの趣味の世界で。暴力的に向こうから入ってくる情報というのが、シャットアウトされてしまう。
 だからせめて、学校では、いろんな意見をきちんと見せて考えさせることをしておかないと。その家で読売新聞を取りつづけたら読売の考えが当たり前だと思うし、朝日を読んでいたら朝日が当たり前だと思うでしょう。でも同じ事件でも見出しが違うよね、ということをどっかできちんと教えないと、きっと気づかない。とくにネットニュースは、サンケイがすごいので。
斎藤 中年男性がみんなだめなのは、サンケイのあのニュースしか見ていないせいだと思う、と言っている方もいます(笑)。サンケイは商売がうまいですよね。
 ネット社会というのはそういうもんだ、ということを誰がどこで教えるのか。全部が全部学校で、というわけにはいきません。親にある程度、なんとかしてほしいんですけれども。まあせめて、小さい頃からそういう話をしているかどうかもポイントです。
斎藤 親がそういうものに触れる環境を用意する、ということですかね。
 そうですね。それくらいならできると思うんですよね。選挙に行くとき一緒に行く、ポスターをちらっと見て話をする、ぐらいでいいと思うんです。1時間もかからないんですから。
斎藤 都知事選の話でもみんなですればいいんですよね。その辺のマクドナルドで高校生が都知事選の話でもしていたら、面白いんだけどな。小池百合子どう思う?という話は、ぜひやっていただきたいですね。

(2016年7月27日収録)

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