ちくまプリマー新書

ドーピング、整形、サイボーグ化、感情制御、遺伝子操作……それは悪いことなのか?

『心とからだの倫理学』より「はじめに」を公開

整形で顔を変えてしまってよいのか。能力や性格は薬によって変えることの是非は。変化によってあなたと社会はどうなるの?――心や身体を作り変えたりすることの良し悪しについて、倫理学の観点から考える『心とからだの倫理学』(ちくまプリマー新書)が好評発売中! 現代社会を生きるうえで避けては通れない論点を一望する一冊より、「はじめに」を一挙公開します。

 本書は、医学や科学の技術を使って私たちの心や身体を作り変えたり、別のものに取り替えたり、その性能を強化したりすること、そうした心身への介入の良し悪しについて、倫理学の観点から考えていくものです。

 現代社会では、さまざまな人体への介入の技術、薬などが開発され、それらはどんどん私たちの身近なものになっていっています。容姿を美しくする美容整形、運動能力を高めるドーピング、集中力や計算能力を高めるスマートドラッグなどは聞いたことがあるでしょうか。興味があって、利用してみたいと思ったことがある人、すでに利用している人もいるかもしれません。

 とはいえ、ドーピングはスポーツの大会では厳しく禁止されていますし、美容整形について否定的なことを言う人たちもいます。ですから、自分の容姿に気になるところがあって美容整形に関心はあるけれど、そうした意見が気になって、どうしたら良いか分からない、という人もいるかもしれません。

 本書で考えてみたいのは、こうした介入の倫理的な良し悪しです。たとえば、本当にドーピングは悪いことなのでしょうか。重量挙げの大会を考えてみましょう。確かに、一人の選手だけがドーピングをしていて、それで優勝したなら、それは卑怯なこと、悪いことだと言えそうです。しかし、参加した選手全員がそれぞれに自分なりに工夫したドーピングをした上で競技に臨んでいたならどうでしょうか。美容整形についても、たとえば耳にピアスホールを開けることは最近ではかなり一般化していますが、それと一重まぶたを切開して二重まぶたにすることは、何が違っているのでしょうか。

本書の読み方

 本書ではさまざまな心身への介入の事例について、最初から悪いとか良いとか決めつけることなく、悪いならなぜ悪いのか、良いならなぜ良いのかということを、さまざまな角度から考えていきます。冒頭で述べた「倫理学の観点から考える」とは、そのように、可能な限り、歴史的な文脈や事実を調べ、複数の意見を並べて、さまざまな介入の是非を精査していくことを指しています。みなさんも、本書を読みながら、一度自分の意見から距離をとり、「これまではこんな風に思っていたけれど本当にそうなのかな」と問いかけ、一緒に検討に参加してもらうことで、改めて自分なりの考えを持ち、自分の心や身体と向きあってもらえればと思います。

 その際、本書では三つの視点を想定しています。第一に、自分自身がそうした心身への介入を行うかどうかを検討する当事者の視点。第二に、家族や友人、同級生のような周りの人がそうした介入を行っているというときに、その人たちとどう向き合うかを検討する周囲の視点。第三に、私たちが共に暮らす社会がどのようなものであるべきかを検討する社会の視点。ある事柄で当事者であっても、別の問題では周囲の視点をとることになるかもしれません。目の前の問題を考えねばならない場面もあれば、社会全体の将来を考える長期的な視点が必要な場面もあるでしょう。それぞれの視点を往復しながら、さまざまな問題を考えてみてほしいと思います。

 本書では、いくつかの部分を除いて、基本的にはこちらから結論を押しつけるようなことはなるべく避けています。それがなぜかということは、第Ⅱ部の心への介入を扱う箇所や、第八章「善人をつくりだす」で論じていますが、一言で言えば、倫理を考える際には自分自身で考えることがとても大事だからです。学校で習ったこと、世間で常識になっていること、なんとなくそういう空気になっていることをそのまま単純に受け入れるのではなく、本当にそうなのか、もしかしたら違うんじゃないかと考えることが大切なのです。

 とはいえ、あらゆる意見を中立に対等なものとして提案し、一度疑ってみよう、というスタンスの本というわけでもありません。たとえば差別は認めない、特段の理由なく人を傷つけてはならない、などのいくつかのことは前提としています。これはそれらを決して疑ってはならないということではなく、この本の目的はどちらかというと、何が差別になるか、何が人を傷つけることになるか、ということに焦点を当てているからです。(※1)

 もしかしたら、この本を読んでいても、これが正解です、というきっぱりとした結論が書かれていないせいで、結局どうしたらいいの、と思う箇所もあるかもしれません。ですが、その部分を自分自身の状況に当てはめて自分で埋める力をこそ、本書を読みながら養ってもらえればと思います。また、ほかの人との対話も考える助けになることがあるので、話しかける材料に本書を使ってもらうのもいいと思います。

関連書籍