ちくま新書

脳は基本的には、面倒くさがり

8月刊『脳は、なぜあなたをだますのか――知覚心理学入門』の「まえがき」を公開いたします。自分の意志って一体なんなんでしょうか?

 みなさんは数多ある本の中から、この本を手に取って下さった。その行為は、みなさんの意思によるものだろうか。それとも、環境から受けた刺激の帰結として、必然的にこの本を手に取ったのだろうか。つまり、この本を手にしたのは、みなさんの人生の中での必然だったのか。
 現代の心理学、脳科学の知見によると、意思というものはただの錯覚に過ぎず、後者の説、すなわち環境からの刺激が必然的にこの本を手に取らせたと考える方が正しいようだ。
 みなさんはこれまでの生活の中で、さまざまな情報すなわち、刺激にさらされてきた。その刺激の帰結として次の行動が決まるのである。古典的な心理学の立場に、行動主義と呼ばれるものがある。環境からの刺激を受けて、それに対応した行動がなされる。行動を制御するのは、意思ではなく、刺激なのである。
 あなたは、無意識のうちに自分自身の脳に操られているのだ。脳があなたの行動をすべて決めている。そして「行為の主体は自分であり、すべての行動は、自分の意思で決めている」という錯覚が与えられているのである。脳にだまされていると言ってもいいのかもしれない。
「やせよう、やせよう」と思ってもやせられないのは、自分の意思の問題なのか。「勉強しよう」と思っても長続きしないのも自分の意思の問題なのだろうか。なぜ、自分の意思はこんなにも脆くはかないのか。その答えは、「意思とはすべて錯覚だから」だ。めんどうくさがるのは、脳の本質なのかもしれない。
 本当にそんなことがあるのか、私は自分の意思で生活している。「この本を取ったのも自分の意思による決断だ」と、そう思われるかもしれない。だが、同時に「意思がないというのは本当だろうか」という自問自答が、みなさんの脳の中で始まっているのではないだろうか。
行動を操るのも、問いを立てるのも自分の脳なのである。自分の脳について、自問するのも脳なのだ。この不思議な無限に続く輪(ループ)の中に我々人間は生きている。
 この本の主題は、「心」である。心についておもしろいと思ったトピックを幅広くおさえている。自由意思、クオリア、プロスペクト理論などの心の重要課題から、お金持ちのモラルや、鳩がピカソを理解できるという事実のような軽いトピックまで、それらを横断的に見て行く中から、心の本質をあぶり出して行くことが目的だ。読後に新しい「心(理学)の本」だったとみなさんに思っていただけるように苦心したつもりである。「この本は心理学の本なのか、それとも脳科学の本なのか?」という質問に対しては、どちらでもあると答えたい。「自然は学問の垣根を知らない」とは、ノーベル化学賞を受賞された故福井謙一先生の言葉だ。「心も学問の垣根を知らない」と私は思う。
 心の理解について役立つ知見なら、それが脳科学のものなのか、心理学のものなのかという線引きは意味を持たないはずだ。二一世紀の心理学者には、心理学の知見だけでなく脳科学の知見が必須である。現場では、学問の垣根を忘れることが求められている。だから、読者のみなさんにもそう思っていただきたい。
 心について、科学の垣根に縛られない、ワイドな視点によってその正体を暴くこと。それこそが、本書の目的である。
 私の専門は、心理学の中でも、実験心理学、その中でも知覚心理学という非常に狭い分野にしぼられている。しかし、その狭い世界であっても、心についてのアプローチの方法を知ることができる。狭い専門を身につけることで、それがあらゆる学問分野で活用されて役立っている「顕微鏡」のように働き、あらゆる心の側面を微細に見るためのコツが身に付くのである。
 この本では、まず知覚心理学の世界観をみなさんに体験してもらうことにした。そこで、心理学の基礎的なものの考え方、実験の仕方についてふれていただくことで、心の学問全体について理解できるようになるはずだと私は思う。
 脳にだまされていることを自覚すれば、脳をだまして脳を操るという新しいステージに立つことができるかもしれない。無意識の脳の働きを逆手にとって、環境からの刺激を取捨選択すれば、あなたの行動はより洗練されたものになるだろう。
 脳にだまされるだけでなく、積極的に脳をだまそう。この本は、そのための心の理解の方法論が詰まっている。さあ、一緒に心の世界へ。

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