ちくま学芸文庫

家庭と仕事をめぐる問題はなぜややこしいのか?
A.R.ホックシールド『タイムバインド』解説

「会社のファミリーフレンドリー制度が充実していても利用しない人がいるのはなぜか」という問いから「家庭とはなにか?」「仕事とはなにか?」という根源的な問いを掘り下げていった、ホックシールド『タイムバインド』。この解説を社会学者の筒井淳也さんに書いていただきました。これを読めば、これらの問いが持つ意味が深まります。

 ここからは本書の範囲を超えてしまうことをいとわず、さらに上記の論点を突き詰めてみよう。企業に家庭を包摂させるという構想は、少なくとも資本主義社会では困難なのであった。だから職場がいくら魅力的であっても、人は家庭に帰る。人々は、根本的に企業に人生を預けることはしない。会社をやめても継続する家族関係は、人々にとって重要だと考えられている。ただ、職場が魅力的ならば、できるだけ家庭にいる時間を減らしたい、と考える人が多くなり、本書が描き出したような葛藤が生じる。この葛藤を抑制するには、すでに述べたように職場にいる時間を制限する公的な仕組みを導入し、企業が自由に「職場滞在時間獲得競争」を展開することを不可能にすればよい。代償として企業はある程度の生産性の低下を受けいれなければならないかもしれない。ホックシールドも、集合的に行動することでしか問題は解決しないことを示唆している。
 方針転換後のアメルコのように、魅力的な職場を提供することが難しい場合でも、家族が永続的人間関係を人質に取ることで人々がそこに参加し続けるように、企業は賃金を人質にとることで組織への参加者を確保することができる。ただ、あまりに働く環境がひどくなった場合はどうしたらいいのだろうか。
 ここでも政府・行政はひとつの解決法になる。失業時の公的な生活保障がしっかりしていれば、あえてブラックな職場にしがみつく必要もなくなる。つまり、政府は企業雇用に「勝つ」。このバランスが崩れている、つまり企業による劣悪な雇用が政府に「勝って」しまうのが日本の雇用環境の特徴だ。
 そもそも現代資本主義社会で、生活保障における政府・行政の役割が重視されるようになったのは、企業が子どもや高齢者などの「依存者」を積極的にケアする役割を引き受けず、一時期は女性(社員の妻)が引き受けていたのが、共働き社会化が進む中でそうもいかなくなったことが背景にある。政府は、企業のように業績に応じてサービスを縮小する余地が少なく、また家族以上に継続的・安定的なサービスを期待できる。また、雇用を離れた場所でも生活保障がしっかりしていれば、企業は政府との勝負に勝つために、充実した職場環境の提供に努めるようになるだろう。それがかなわない企業は、市場から消えていくことになる。スウェーデンなどの一部ヨーロッパ社会では、こういった考え方が意識されている。
 もちろん話は単純ではない。政府は、家庭(家計)と企業から資金(税金)を調達しないと充実したサービスを提供できない。政府による企業活動の規制が厳しすぎれば、逆に政府は余裕のある生活保障を人々に提供できず、企業による厳しい労働環境の供給を抑えられなくなるかもしれない。
 家庭と企業と政府が、それぞれ適度なバランスをとって「競争」するような環境が実現すれば、よりよい社会を実現できるかもしれない。手探りを続けながら、私たちは変化していくしかない。本書は、多くの人が時間に余裕をもって安定した生活を送るにはどうしたらいいのかを考える上で、避けて通れない問いを突きつけている。

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