ちくま新書

地方の大学はとても大切
自治体・大学・進学者「三方よし」への道を関係史に探る

日本の未来にとって、地方の大学は重要です。けれど自治体と大学が共栄して、その力を発揮するには乗り越えるべき困難も少なくありません。うまくいかなかったところとそうでなかったところは、いったい何が違ったのか? 国公私立大学と自治体の関係史をひも解き、少子化時代の協働の行方を探る新書『自治体と大学――少子化時代の生き残り策』の冒頭を公開します。

はじめに
 日本の大学が曲がり角に来ている。大学進学率は50%を超え、大学全入時代が到来するのではとの声も聞かれる。だが、本格的な人口減少社会が到来し、一八歳人口も下降局面が続く。そんな中で、大学の数はいまだに増え続けている。特に公立大学は国立大学の数を上回った。
 評価の時代といわれて久しいが、大学ランキングの結果に翻弄され、教職員の評価疲れが目立つ。国立大学は法人化されて以降、毎年のように運営費交付金が削減され、競争的資金の獲得に奔走しなければ生き残れない時代となっている。
 大学を巡る環境が厳しさを増す中で、昨年、公立大学全般に関する本を刊行したことを契機に、自治体と大学の関係について強い関心を持つようになったのが、本書を書くきっかけだった。


 公立大学の在籍が五年目を迎え、その前には地方国立大学に17年勤務した。大学の前は霞が関と自治体を行き来する渡り鳥、いわゆる過去官僚を15年間務めていた。国では地方財政や地方公務員制度などを、自治体では予算編成や企画、政策立案などの仕事をしていたこともあって、大学でも行政学や公共政策などの講義や研究を担ってきたが、大学そのものを研究対象にしようと考えたことはなかった。
 それが、公立大学という自治体に極めて近い存在に所属するようになってから、改めて自治体と大学はどのような関係が望ましいのかということを思い巡らす中で、公立大学以外についてももっと掘り下げてみようと考えたのだった。
 公立大学に関する研究についても、教育学からのアプローチはあっても多くの場合断片的なもので、全般的に記したものはごくわずかだった。さらに自治体と国立大学や私立大学との関係についても、大学誘致に関しての研究はある程度行われているものの、やはり全般的なものはみられなかった。
 大学は国策や教育に情熱を注ぐ民間の篤志家などによって設立されてきたという側面はもちろん強い。しかし、それだけではない。地方、すなわち、自治体が精力的に国立大学や私立大学を誘致し、また、自ら積極的に公立大学を設立させてきたという側面が少なからずあるのだ。
 そして大学冬の時代ともいえる中で、改めて自治体と大学のあり方について議論を深める一助とするために、主に自治体の視点から大学論をまとめたものである。


 本書は、自治体と大学のこれまでの歴史を振り返りつつ、国公私立を問わず、いかに自治体が大学の設立に関わってきたかを明らかにするとともに、自治体と国や学校法人との関係がどのようなものだったかを示し、大学政策において、自治体が果たしてきた、あるいは果たしてこなかった役割を明らかにすることで、大学が淘汰されていくことが危惧される中で、自治体と大学の望ましい関係などについて考察を加えたものである。


 第一章では、日本に大学が誕生してから戦後の新制大学に生まれ変わるまで、自治体が大学とどのような関係だったのかについて、歴史的な振り返りを行った。大学とはどのような存在なのか、国公私立ごとに確認を行ったうえで、京都帝国大学創設における京都府の誘致運動に端を発した悪しき「慣例」が、九州帝国大学や東北帝国大学などの誘致合戦でもどれだけ多くの資金や用地を準備するかという形で引き継がれていく様を、大学史などから明らかにするとともに、公立大学誕生にまつわるエピソードを概観する。
 自治体からすれば、帝国大学、そして官立大学を地元に誘致することが重視され、自ら公立大学を設立しようとする気概は京都や大阪を除くとほとんどみられなかった。戦後は新制大学の誕生によって、公立大学も数多く設立されるものの、長続きしたものばかりではなかったのだ。


 第二章では、旧制専門学校から昇格した公立大学の多くが国立に移管され、また、新設された公立大学でも財政難などで私立大学への移管が取りざたされる様や1960年代以降、公立大学の新設が抑制される中で新構想大学誘致の状況から、公立大学無用論ともいえる戦後から昭和末期までの状況を振り返る。
 財政的には余裕のある県で国立移管が進み、余裕のない県では公立大学として維持せざるをえないという皮肉めいた状況や、騒動などを契機に公立大学を否定的にみる自治体関係者の動向、さらには国が打ち出した新構想大学をいかにして誘致しようかと政治家の力も借りながら奔走する姿からは、公立大学はお荷物で、できることなら高等教育は国や私学に任せたいという自治体の本音が見え隠れしてくるのだ。


 第三章では、平成、令和の大学新設ラッシュを国策と絡めて論じている。いわゆる「アメリカの大学」誘致は日米貿易摩擦の解消という国策絡みで自治体が競い合ったものである。一定期間は教育を続けたものもあったが、多くは短期間で廃校となるか開校そのものを断念したのだった。唯一、そのレガシーを上手く生かしたのが秋田の国際教養大学だ。本格的な高齢化社会の到来に向けた国策であるゴールドプランに沿って看護系公立大学が相次いで設立された。当時の自治省も方針転換し、手厚い財政措置で支援した。
 公立大学でも法人化が進む中で、東京と大阪における改革派首長と大学改革の顚末からは自治体と大学のあり方について様々な示唆がもたらされる。昭和の時代とは異なり、公立大学も相次いで新設され、また、公設民営大学も全国各地で誕生するが、学生確保の切り札としての公立化の流れは止まらない。


 第三章までで自治体と大学の歴史を俯瞰した後、第四章では改めて自治体と大学の関係を多角的な視点から分析を行った。自治体と国公私立それぞれの大学との関係を総論的に述べるとともに、公立大学が比較的所得の高くない層へのセーフティネットとなっている状況を明らかにする。
 次に、大学が戦後まもなくから大都市に集中していた状況を実証的に示すとともに、国による規制の強化で一定程度緩和されたものの、二一世紀に入り規制が撤廃され、再度都市部に私立大学が進出する状況となったことを踏まえ、国が地方創生の一環で再規制を行ったことの是非を論じ、大学による地域貢献や自治体の高等教育政策の実態も示す。さらに大学設置におけるコンサルの役割にも触れることで、自治体と大学以外のステークホルダーの存在も明らかにするとともに、海外における自治体と大学の関係を、日本との対比で紹介する。


 第五章では、自治体の大学誘致に関する戦略と私大の地方展開についてその実態と課題を明らかにする。まずは、全国的な調査で総括的に分析するとともに、私大の地方展開の実態について、東海大学、東京理科大学及び立命館大学の状況を取り上げる。地方展開は必ずしもうまくいくわけではない。大規模な有名私大でも撤退を余儀なくされることも起きているのだ。
 自治体の戦略では、主に県レベルで対照的な山形県、新潟県及び長野県の事例をまずは取り上げる。山形県は学校法人に任せる形で公設民営大学を設立し、新潟県は多額の補助を公設民営大学に支給する形で地域のニーズに応えてきた。一方、長野県は両県に比べると出遅れ感は否めない。課題と考えられる点を明らかにした。
 福島県と北海道では市による大学誘致の顚末を取り上げた。大学誘致にいかに自治体が精力を注いできたのかを示すとともに、結果的には大学の誘致を断念して公立大学を設立した釧路と会津若松、そして函館のほうが学生数も確保し、一定の評価を受けているという実態を明らかにした。
 さらには公立大学を持たない四県の事情を議会での議論などから明らかにし、これら大学誘致の事例から見えてくるものを論じた。


 第六章では、大学冬の時代における今後の展望について、大胆な推測も交えて論じた。まず、18歳人口の推移から厳しい現状を明らかにするとともに、大学撤退の実情や他の学校法人による事業継承などを取り上げた。冬の時代と共に大学誘致に対する住民の声も厳しさを増し、住民訴訟などが増えてきた。その一方で、現実的には大学誘致に100億円単位の負担をすることが必ずしも理不尽ではないものとも考えられる。大いにマスコミを賑わせた加計学園の問題における補助金の額や獣医学部の定員抑制の妥当性について定量的に分析するとともに、大学ガバナンスのあり方も論じつつ、大学冬の時代における幾つかのシナリオを提示し、自治体と大学のあり方について私見を述べてまとめに代えている。


 本書は、地方自治の一研究者が、自治体と大学のあり方について、これまでの研究成果や自らの経験も踏まえつつ、歴史的な経緯や大学誘致・設置に関する事例などを網羅的に調べ、実証的に分析することで、これまでの大学研究に一石を投じたものである。どちらかといえば、自治体の側に力点を置いているのは否めない事実であり、大学を基とする研究者からは異論を示されることも考えられるが、これまでとは多少でも異なる視点を提供できたらとは思っている。
 そして、何よりも人口減少社会における自治体や大学がこのままでいいのかと、問題意識を少しでもお持ちの方々に読んで頂ければ望外の喜びである。



 

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