ちくま新書

社会主義思想の原点を再検討する
『社会主義前夜――サン=シモン、オーウェン、フーリエ』はじめに

サン=シモン、オーウェン、フーリエといえば、空想的社会主義。等式のように覚えている方も多いと思いますが、彼らの思想は地に足のつかない「空想的」なものではなく、今イメージされる「社会主義」ともずいぶん違うものでした。
舞台は格差が広がる一方の19世紀初頭ヨーロッパ。資本家と労働者を融和させ、ともに生きることはできないのか――。そんな「社会」を構想した三者の思想と行動を描く『社会主義前夜――サン=シモン、オーウェン、フーリエ』より、「はじめに」の一部を公開します。

プロローグ
 1783年夏。
 クロード= アンリ・ド・サン=シモン(1760〜1825年)はフランスの首都パリにある大きな屋敷の庭で、空を眺めていた。ロバート・オーウェン(1771〜1858年)はイングランド中東部のスタンフォードの奉公先で、シャルル・フーリエ(1772〜1837年)はフランス東部のブザンソンの自宅で、まったく同じヨーロッパの空を眺めていた。
 空は晴れてはいるのだが、いつものような高緯度地域らしい深くて濃い鮮やかな紺碧の色ではなく、どこか鈍色がかった青というか、なんとも言えない不安感に駆られる不思議な色をしていた。
 空に紺碧の色をもたらしてくれる太陽の光がくすんでいるからである。そして、太陽もまた錆びた土のような色に染まっているではないか……。
 アイスランドの火山が突如として噴火したのである。
 噴火とともに放出された大量の火山灰はやがてヨーロッパ全土を覆いつくし、それから数年間にわたってヨーロッパに異常気象をもたらすことになる。そして、農作物の不作とそれにともなう食料不足により、人口の大多数を占める平民においては餓死するものが出るなど、ただでさえ苦しい生活がますます苦しくなっていく。
 飢えに苦しむ貧困層を中心とした平民たちは口々に叫ぶ。
「パンをよこせ!」
 日々一刻一刻と不安感を増していく日常。
 富を持った封建貴族たちも上層市民たちもなにもしようとしない。本来なにかをなすべき政府でさえも、なにもしようとしない。これまでだって彼らは平民たちの生活苦のためになにもやってこなかったのだから、今度もなにもしなかったからといって不思議ではないものの、現状に不満を抱えてきた多くの人びとはきっとこう思ったはずである。
「なにかがおかしい……変えなければ……」
 このような一八世紀末の変動を生き抜いたサン=シモン、オーウェン、フーリエは、やがて一九世紀という新しい時代のために変えなければならないものを変えようと行動していく。そして、この三者によって「社会主義(socialism)」と呼ばれる思想系譜が生まれるのである。

空想的社会主義
 サン=シモン、オーウェン、フーリエは「空想的社会主義(utopian socialism)」という表現でよく知られている。世界史や現代社会、あるいは公民といった科目の教科書において、彼らは空想的社会主義の代表的人物として挙げられ続けている。
 また、教科書に登場する対義語のような表現は科学的社会主義(scientific socialism)、あるいは共産主義(communism)で、カール・マルクス(1818〜83年)とフリードリヒ・エンゲルス(1820〜95年)によって構想された、となっている。
 社会主義にも「空想的」と「科学的」の二つがあるというわけだが、字面だけを見て考えるなら、ふらふらとして地に足のつかない「空想的」に対して、しっかりと構築された理論を持った「科学的」というイメージが湧いてくるだろう。あるいは、「空想的」な状態で生まれた未熟な「社会主義」が「科学的」なものに成長した、というストーリーが頭の中に描かれるだろう。
 ところが、サン=シモンもオーウェンもフーリエも、社会主義を打ち立てようとか、社会主義のために戦おうとか、そんなことをまったく考えもしていなかった。そもそも、三者は同じ時代を生きていたというだけであって、社会主義のために一緒に仕事をしたという事実はなかったのである。
 実のところ、社会主義という表現とは、サン=シモン、オーウェン、フーリエの周辺の人びとや、三者よりも後の時代の人びとがそう呼ぶようになったことで生まれたにすぎない。
 空想的という言葉もまた、科学的社会主義者とも共産主義者とも名乗ったマルクスとエンゲルスがそのように表現したのである。サン=シモンもオーウェンもフーリエも、自分たちの構想を空想的であると考えていたわけではない。
 本書では、社会主義という思想系譜が誕生する前夜、まさに「社会主義前夜」において、当時の政治や経済、社会の状況を時間に沿って追いながら、サン=シモン、オーウェン、フーリエが何を考え、どのように行動し、何を目指したのかについて探究していきたい。
 そして、彼らの構想を紹介することで、読者に対して現代世界に積み重なった問題をめぐる「考え方の考え方」を提供していきたい。

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