ちくまプリマー新書

メタヒストリアンによる歴史とは何か
小田中直樹『歴史学のトリセツ』書評

歴史学の流れがよくわかると話題の小田中直樹『歴史学のトリセツ』。岩波新書『世界史の考え方』で隣接する問題に取り組んだ成田龍一さんによる書評です。ぜひご覧くださいませ。

「メタヒストリー」という言葉がある。歴史という概念の推移、歴史とは何かを考察してきた系譜の探究といったもので、もっぱら歴史哲学者がこれまで担ってきた領域である。このことは、私たちがいま考えている歴史だけが歴史なのではない、ということであり、換言すれば、歴史学にも歴史があるということである。いやいや、いまや歴史を叙述するのは歴史学にとどまらず、さまざまな学知(専門領域)から歴史叙述が提供されている。ここにも歴史をめぐっての変化がうかがえる。

 こうしたなか、いまや歴史学者のなかにも、「歴史とは何か」という問いを内包しながら歴史を叙述する人が現れている。このような歴史家は少数者だが、そうした数少ないメタヒストリーを講じる日本の歴史家のひとりが、小田中直樹である。

 小田中は、本書で自ら述べるように、フランスの歴史を研究しており(歴史家は、必ずや、ある地域のある時代を「専門」にしている)、これまた本書でいうように、高等学校の歴史教科書も執筆している。歴史家らしい歴史家であるが、歴史とは何か、という問いかけをつねに有し、歴史家を問う歴史家としても、議論をしている。メタヒストリアンとしても(と、あえていうが)、小田中はふるまってきた。

 もっとも、この方向性は決して歴史家として有利なことではない。一歩間違えば、自分が書いたことを、自分で否定しかねない――この点は、小田中がなんども「うーむ、ちょっと……」と留保を入れること、また、歴史教科書の自らの文章に突っ込みを入れざるをえないことと関連している。

 そのメタヒストリアンとしての本領を発揮したのが、本書である。入口は、教科書である。そして、そこから史学史(歴史学の歴史)に読者を引っ張り、歴史学の大きな流れを記す。その力技は、並のものではない。

 出発は、十九世紀半ばのドイツの歴史家レオポルド・フォン・ランケ。ランケこそが歴史学を「科学」とし、これまでの歴史教科書の基礎となる歴史学を作り上げたことを語る。このランケ流の歴史学を「ナショナル・ヒストリー」と規定し、その特徴を小田中は、「実証主義」(公文書の資料化)、「欠如モデル」(専門家による啓蒙)、「客観的」(記憶の排除)とした。日本の歴史学も、ランケ流の歴史学から出発する。こののち、一九七〇年代にさまざまな方向から批判がなされ、歴史学の刷新が試みられるが、多くの歴史家はなにもなかったように「基本的には既存のパラダイムにもとづいた研究」をおこなっている。二十世紀はもちろんのこと、二十一世紀になってもランケ学派が歴史学界における「主流派」であると、小田中は苛立ちを混じえた観察をおこない、いまだ教科書は書き直されず、「面白くない」と言うのである。

 こうしたなか、一九八九年という世界史の「大きな転換点」に直面し、「理論」としてではなく、「実践」の次元で、歴史学の刷新が課題となっており、さらなる動向―実践を紹介する。

 このように史学史をたどると、歴史学のあらたな動きは、本来ならば読者をワクワクさせるはずである――歴史学の変化・刷新の営みを説明することによって、歴史への関心を失わないでほしい、というメッセージがトリセツとなって提供された。

 史学史が、教科書を入口に説き起こされ、歴史教育を継続中の若者に説かれている。このことは、あらためてメタヒストリアンが、歴史教育に深くコミットしていることに思いをいたらせる。いま、このときが、歴史学刷新のチャンスであり、実際に、歴史教育において始まっていることであるとともに、教育の場こそが、これからの歴史の場である、という認識であろう。

 これまでメタヒストリーは、歴史学の「解体新書」のように受け取られ、実際、そのようにランケ流歴史学に対抗してきた経緯もある。だが、どのように歴史像を語りなおすのか、といったことが現在の課題となり、教育の場ではそのことが切実な課題となっている。

 最後に一点のみ。私のような「日本」に足場をおいて「歴史とは何か」を考える身としては、「日本の問い方」がいまひとつの問題系となっている。小田中のトリセツのなかに、「日本」の問い方―扱い方はどのように組み込まれるのであろうか。

 

 

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