PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

ドラマの本気と日常的啓蒙
韓国ドラマについて・2

PR誌「ちくま」3月号より角田光代さんのエッセイを掲載します。

 パンデミックとともに韓国ドラマを見はじめ、ずっと見続けている私が、「何かへん」と思ったのは『サイコだけど大丈夫』だと前回、書いた。「何かへん」を超えて、異様さを感じたのが『結婚作詞離婚作曲』というドラマのある回を見たときだ。
 どたばた恋愛系のドラマで、三組の夫婦の夫がみな不倫をしている、というストーリーだ。『サイコ』や『梨泰院クラス』が持つヤングケアラーや格差といった社会的問題は扱われておらず、私もゴシップニュースを見るような感覚で見ていた。シーズン2で、夫たちの不倫が妻たちにばれる。そのうちの一組、エリート医師で家族を大切にしてきた夫に、ラジオ局勤務の妻が離婚を切り出すのだが、約一時間の一話まるごと、この二人の会話のみで終始する回がある。
 夫は非常に頭の回転が速く口達者で、これまで自分が妻と子どもに金銭的にも精神的にも何ひとつ不自由をさせなかったこと、不倫はただの不倫であって、しかも結婚してからたった一度のあやまちであることを、手を変え品を変え言い続ける。この男の揺らぎない自信が、彼のハチャメチャな主張に巧妙なマジックめいた説得力を与えていて、見ているだけで叫びだしそうになるのだが、妻は、感情的になることなく、たんたんと自身の思うことを言う。彼女が一貫して言うのは、不倫の善し悪しとか、金銭的保護の有無とか、夫としてのこれまでの行いとか、そういうことはまったく関係なく、自分が同じことをされたらどう思うか、ということである(と、見ている私は受け取った)。つまり、婚外恋愛は男の特権ではない、ということを冷静にくり返す。
 一時間まるまる、カメラは室内で向き合う二人を写し続ける。この異様な会話劇を見ていて、ドラマが提示する、セクシズムや男尊女卑といった大きな概念、大きな言葉ではない、私たちの暮らしに非常に近いところからの社会問題提起、もしくは啓蒙を感じ、ちょっとした衝撃を受けた。
 こんなにすばらしい夫を、たった一度の不倫で、なぜ妻は許すべきではないのか。人間の尊厳にかかわることだからだと、深く理解できる。一話ぶんすべて会話というのもすさまじいが、演者二人のしずかな迫力もすさまじく、一見「ゴシップドラマ」の隠し持つ本気に感じ入った。このドラマはシーズン3へと続くのだが、この夫役が降板し、ほかの俳優になっていたことも印象深い。
『その年、私たちは』は、二十九歳になった元高校生カップルを描く恋愛ドラマである。恋愛ドラマは苦手なんだよなと思いつつも、勧められて見続けていたのだが、ラスト、女性が恋人となった男性の夢に乗っからないところで、驚いた。棚からぼた餅的な夢ではなく、彼女がもともと抱いていたが経済的な理由で断念せざるを得なかった夢なので、彼の誘いに乗るのはぜんぜん「あり」だと思うのだが、しかし彼女は、自分の人生に今やることがあると言って断る。声高に宣言するでもなく、ただそう言うのだ。その後、ドラマはきちんとハッピーエンドになるのだが、彼女が断ることに――いやむしろ、誘いに乗るだろうと無意識に思いこんでいた自分に驚いた。そういう意味合いでは、私もまた元来苦手な恋愛ドラマに少なからず啓蒙されたのである。

PR誌「ちくま」3月号

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