PR誌「ちくま」特別寄稿エッセイ

本気度のシンクロ
韓国ドラマについて・3

PR誌「ちくま」4月号より角田光代さんのエッセイを掲載します。

 かつて私は、いろんな年代の、初対面に近い人たちの集う飲み会の席で、生涯一ドラマについてよく訊いていた。二十代なら二十代の、五十代なら五十代の「今まで見たなかでいちばんのドラマ」がある。それ、ついこのあいだじゃないかと思うドラマを挙げる人もいれば、そういえばトレンディドラマってはやったよなと回顧することもあり、なかなかにおもしろかった。
 しかしそのような質問を、韓国ドラマについてはできない。あまりに個人的な、個人的というよりもっと深い、個人の核の部分に触れるような質問に思えてしまうのだ。
 実際は、韓国ドラマ好きの友人知人と、どのドラマがよかった、これは超おすすめ、○○が好きだったらこれも好きなはず、等々、情報交換はする。そして私は薦められたものは、ジャンルの好き嫌いにかかわらず、とりあえずぜんぶ見る。恋愛ものは苦手だけれど『その年、私たちは』も『トッケビ』も見た。五十話あるんだけどとことわり付きで薦められた『黄金の私の人生』も全話見た。検事が主人公の『秘密の森』や弁護士たちの闘いを描く『ハイエナ』も薦められなければ見ていない。
 だから、薦めてくれた人たちの好きなドラマの傾向はわかる。そして同時に、薦めてくれた人たちの、何時間いっしょに飲んで話してもけっして触れられない部分を、垣間見たような錯覚を抱く。これはやはり韓国ドラマの多くが、本気で愛を信じていたり、本気でうつくしいものを描こうとしたりしているからではないかと私は思う。本気度が視聴者とシンクロするのだ。
 パンデミック以後ずっと、今なお韓国ドラマを見続けている、いってみれば韓国ドラマ初心者の私は、好きなドラマを問われてもめったに言わない。「最近見ておもしろかった」ものを挙げる。
 この欄に書かせてもらうのは今回が最後だから、告白すると、私がもっとも好きな、韓国ドラマにどハマりするきっかけとなったドラマは『マイ・ディア・ミスター~私のおじさん~』だ。不倫をしている妻を持つ男ドンフンと、彼の盗聴を請け負う極貧の女性ジアンを中心とした話である。シーンごとのうつくしさが印象的で、何より台詞がすばらしかった。すべてのエピソードに繊細なやさしさと、人間のどうしようもなさへの寛容が詰まっている。毎回私は泣きながら見て、全話を見終えたあとは読み応えのある小説を読んだ気分を味わった。
 五話目に、人生に絶望したドンフンが、雪にすべって転び、そのまま起き上がらず、「今日は死ねない、高級なパンツをはいていないから」と言うシーンがある。本当になんということのないシーンだし、聞き飽きたような言葉ではあるのに、私はこれを見てたがが外れたように泣き、こうして一日一日、今日は死ねないとくり返していけば、私もまた生きていけると強く思った。
 このドラマが好きだということを、私は二、三人にしか言ったことがない。そして「ジアンがかわいかったよね」などと返されると、(私はそういうところで見ていなかったからわからない)と妙な反発すら感じてしまい、やっぱりこれは言わないほうがいいのだと、かたくなに思ったりする。
 同じ脚本家による『私の解放日誌』もすばらしいのだが、これはまたいつか、機会があったときにでも打ち明けたいと思う。

PR誌「ちくま」4月号

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