ちくま新書

日本農業の未来は、思われているほど暗くない
『人口減少時代の農業と食』はじめに

集落消滅、物流危機、需要減退……、日本の農業が直面する数々のピンチ。しかしそれらをチャンスに変えている全国の「現場」を取材した『人口減少時代の農業と食』の冒頭を公開します。

 あなたは今日何を食べただろう。明日も、明後日も、これからもずっと、望めば同じものを食べることができる。そう思っていないだろうか。
 人口減少と高齢化が進む日本で、その期待を叶えることは、実は結構難しい。
 農業現場の人手不足について耳にしたことのある人は多いはずだ。コロナ禍で外国人が入国できなくなり、外国からの労働力に頼っていた野菜の大産地が人手不足に陥ったことは、記憶に新しい。作業が機械化できていなくて人手に頼ることが多い野菜や果物ほど、生産する農家は減っている。
 こうした生産上の課題が騒がれる一方で、むしろ流通、つまり農産物が消費者のもとに届くまでの工程にこそ、危機が迫っている。しかし、農業界においてこのことは見落とされがちだ。
 農産物を集荷して選別し、包装して梱包し、消費地に届ける作業は、主にJAが担う。その共同選果場をはじめとする農業関連施設においても、人手不足は深刻になってきた。
 さらには、スーパーや飲食店のバックヤードも、労働力を確保しにくくなっている。これまで店内で行っていた小分けや包装、カットや下ごしらえといった作業をアウトソーシングせざるを得なくなっているのだ。
 2024年以降は物流危機が深刻化する。同年4月1日に、物流業界の時間外労働時間の上限が年間960時間に規制されるからだ。農産物の輸送に欠かせないトラックドライバーも規制の対象となるため、これまでのような長時間労働は認められなくなる。
 農業はドライバーにとって、手作業による荷物の積み下ろしや長時間労働を要求されがちな負担が大きい業種の筆頭格。このままではドライバーから敬遠され、農産物を消費地に届けられない事態も起こりうる。
 あなたがこれからも食べ続けたいと望む食事を、農業界と食品業界は、未来においても提供し続けられるのだろうか。
 農と食の現場では今後、混乱も生じるだろう。農家が減り、耕作放棄地が増え、集落が消える。遠隔にある産地から消費地にこれまでどおりに農産物を運べなくなる。人口が減る分、国内での消費量が減ってしまう……。こうした対処が難しそうな変化が予想されているからだ。
 食料の供給を揺るがしてはいけないと、将来を見越して農産物の供給体制を見直す農家や産地、企業が各地で出てきている。農外からの人材を受け入れ、ロボット化を進め、作業負担が減るように施設を作り替える。こんなふうに知恵を絞って変化に対応する現場を見るたび、その挑戦を心強く感じてきた。
 そうではあるが、変化に対応して食の供給体制を柔軟に変えていくという発想は、農業界で広く共有されているとは言いがたい。将来に漠然と不安を覚えつつも、有効な対策を打てないまま、ジリ貧になろうとしている農家や産地は多い。
 このままでは、業界が人口減少時代という滑走路に痛みを伴う形でハードランディングしてしまう。農と食の未来と、変化を乗り越えていく方策を示すことで、なんとかソフトランディングすることはできないか。
 将来の人口や農家数、農地面積などについては、盛んに推計がなされてきた。これらのデータに加え、先進的な現場の動きを踏まえれば、未来をある程度予測できるかもしれない。農業がどう劇的に変わっていくか、今ある情報を結集して描き出してみよう。これが本書を執筆する原動力になっている。
 まず、未来の農業を展望するうえで前提となる人口減少と少子高齢化の現状と将来推計を押さえておきたい。
 日本の総人口は、2022年8月1日時点で1億2508万人。六五歳以上の割合である高齢化率は29・1%で、人口10万人以上の国と地域のなかでは世界一。高齢者の割合が人口の21%に達した「超高齢社会」に日本が突入したのは、2007年のことだ。
 このままいけば、将来はどうなるのか。国立社会保障・人口問題研究所が2017年に公表した「日本の将来推計人口」を内閣府の『令和4(2022)年版高齢社会白書』で見てみよう(図表0–1)。それによると、2053年には一億人を割り込んで9924万人になり、2065年には8808万人になると推計されている。

 


 人口の減少と反比例して高齢化率は上昇し、2036年に33・3%となる。つまり、3人
に1人が高齢者になるわけだ。2065年には38・4%に達し、2・6人に1人が高齢者と
なる。
 人口が減り、高齢化が進む。その当然の帰結として、国内の食料消費総量は減る。
 少し古いデータになるけれども、農政に資する調査研究を担う農林水産政策研究所が、2014年に公表している将来推計を農水省の「人口構造の変化等が農業政策に与える影響と課題について」から引用する(図表0–2)。2012年を基準とすると、食料消費総量(総供給熱量)は2040年に約20%減り、2050年だと約30%も減る。

 


 カロリーだけ見ると、国内の食料消費はしぼんでいく。しかし、これを理由に農業が衰退するとみなすのは、拙速に過ぎる。第六章で取り上げるように、人口減少時代だからこそ伸びる食品市場が存在するからだ。
 人口減少は諸刃の剣といえる。これまでの生産や流通、消費のあり方を一部で壊してしまう一方で、改革の推進力となる。
 とくに農業には、明治時代以来ずっと解決できていない「生産性の向上」という宿題がある。
 農家が減り、物流業者に長時間労働を要求できなくなり、消費の比重が家庭用から加工・業務用へと移っていく。人口減少がもたらすこれらの変化を、マスコミや農林水産省は、危機として煽りがちだ。出荷の最小単位であるロットが大きくなり、否応なしの効率化を迫る――という利点は無視されてしまう。
 日本の農業の未来は、世間一般に思われているほど暗くない。そのことを教えてくれる経営者が、人口減少と高齢化が全国で最も進んでいる秋田県にいる。人手のかかる野菜や花苗などを長年栽培してきた宮川正和さんだ。
 県外の農場も含めて110ヘクタールを生産する大規模経営だけに、労働力の確保が常に課題であり続けている。けれども、宮川さんはいつ会っても飄々としていて、悲痛さはない。
 同県の高齢化率は2021年に38・1%と、全国平均を9ポイントも上回る。2045年には50・1%、つまり2人に1人が高齢者になると推計されている(国立社会保障・人口問題研究所「日本の地域別将来推計人口 2018年推計」)。
 同県はこの推計結果が現実になるのを何とか回避しようと、県外からの移住者呼び込みに躍起になってきた。それに対して宮川さんは、「人口が減るのが大変なんじゃなくて、昔の人口が多かったころにいかに戻すかに一生懸命になるから、大変なんじゃないの」と、坦々としている。
「秋田は人口減少率と高齢化率で日本一で、ある意味、最先端だよね。たまたま世界の最先端になったんだから、現状をもっと価値あるものと捉えて、人口が少ないなりに経営しないといけない。これから皆、ここに向かって進んでくるわけだから」
 減るものは減ると腹をくくって対策を練る。この気構えは、農業界で広く共有されるべきものだ。変化を受け止め着実に対応する必要性は、本書を通じて農業関係者に伝えたいことでもある。
 本書は以下のような構成になっている。
 まず第一章を「データで見る農と食のいまとこれから」と題した「データ編」にした。外国人労働者、物流、農業集落といったテーマごとに、現状と将来展望を、図表を交えて視覚的にも分かりやすく紹介する。この部分を読めば、農と食の未来の大枠を捉えられるはずだ。
 第一章のデータを踏まえたうえで、第二章以降で物流、規模拡大、労働力不足といったテーマごとに、現状と、将来の人口減少を見据えた対策を挙げていく。
 農と食をテーマとしつつも、流通に多くの紙幅を割いた。それは、作った農産物を消費者まで届けるという、私たちの生活を陰ながら支える工程こそが、人口減少の影響を大きく受け揺らいでいるからだ。本書が未来の農業を見晴らす一助になることを願ってやまない。
 なお、本書で登場する人物の肩書は、基本的に取材当時のままとする。

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