ちくま学芸文庫

世界にも例がない、真に貴重な業績
澤地久枝『記録 ミッドウェー海戦』書評

ミッドウェー海戦の戦死者3418名を突き止め、戦死者と家族の声を拾い上げた『記録 ミッドウェー海戦』(澤地久枝著)が、ちくま学芸文庫で復刊されました。単行本版の刊行から37年。本書の意義を、日本近代史がご専門の加藤陽子さん(東京大学教授)が評してくださいました。

 

 昭和戦前期の政治的事件と国家の暴力を描き続けてきた澤地久枝さんの作品は、簡潔かつ乾いた文体で書かれていることが多い。凄腕の編集者である石田陽子さんが、澤地さん(以下、敬称は略す)の本50余冊から選んだアンソロジー『昭和とわたし』(文春新書)を手に取れば、それが実感できる。14歳での満州引揚体験が綴られた『14歳〈フォーティーン〉』(集英社新書)が対象とした最初期の頃から、『妻たちの二・二六事件 新装版』(中公文庫)、『滄海よ眠れ』(文春文庫)等の代表作を世に送り出す頃までの澤地の人生が、このアンソロジーでたどれる。文体については、「乾いた文体」で書け、との故大江健三郎のアドバイスによるものだという。

 日本近現代史を専門とする私が最初に出会った澤地の作品は、五・一五事件、二・二六事件の軍法会議に陸軍法務官(検察官)として関わった匂坂春平が遺した史料を翻刻した原秀男・澤地久枝・匂坂哲郎編『検察秘録 五・一五事件/二・二六事件』全8巻(角川書店)であった。1989年から90年代初頭のことだ。現在では、東京地方検察庁が保管していた同事件の公判記録全ては国立公文書館へと移管され、その裁判史料の全貌は「オンライン版 二・二六事件東京陸軍軍法会議録」(雄松堂)で読める便利な時代となったが、軍法会議に検察側の立場として関与した人物の膨大な史料群を公刊にまで持っていき、多くの研究者に供した澤地の公正さと胆力に、まずは、深く感じ入った記憶がある。

 本来はまったく頑強とはいえないはずのその身体で、なぜ、このような大仕事を成し遂げられたのか。なぜ、乾いた文体で書くのか。大江健三郎のアドバイスがあっただけではないはずだ……。そのような年来の私の疑問は、今回、ちくま学芸文庫での復刊がなった『記録 ミッドウェー海戦』を読み進めることで解けていった。

 『記録 ミッドウェー海戦』は、1982年から84年まで『サンデー毎日』に連載され、84年から85年にかけて毎日新聞社から刊行された『滄海よ眠れ』全6巻の補巻でもあり、記録の総集編ともいえよう。本書について澤地自身は、数的にとらえた「戦争のひとつの顔」であるとともに、独立した「第二次世界大戦資料」でもある、と位置づける。1942年6月のミッドウェー海戦での日本側の戦死者3056名、米国側の戦死者(海軍、海兵隊、陸軍)362名、日米をあわせて3418名の戦死者の一人ひとりの生年月日と死亡年齢を確定し、戦死の状況を調査し続けた、その地をはうような苛酷な作業をやり遂げた澤地の心境を推察する時、先の自負も正当なものだと思われる。

 第二次世界大戦において太平洋の戦場で生起した一大海戦を、日米双方の戦死者と家族の声(第二部)、日米双方の戦闘詳報・経過概要(第三部)、出身地・階級・在隊年数・死亡年齢が明示された日米双方の戦死者名簿(第四部)、日米双方の戦死者の士官・下士官・兵の区分、学歴、入隊前の職業を調査した「死者の数値が示すミッドウェー海戦」(第五部)のような構成をとって描かれた本書に匹敵する書物は世界にも例がなく、真に貴重な業績だといえる。

 このように見てくれば、1982年から着手した畢生の作である『滄海よ眠れ』と『記録 ミッドウェー海戦』を書き上げた澤地が次に着手した「もう一つの山」が、1989年からの『検察秘録 五・一五事件/二・二六事件』全8巻だったとわかる。さらに、『滄海よ眠れ』の執筆途上で澤地は、ミッドウェー海戦の戦闘詳報を丹念に読み込んだ結果、「あと五分攻撃隊の発進が早ければ大敗を免れたはず」だったとの通説に疑問を持ち、攻撃隊の準備は遅れるどころか全く整っていなかったと書き、旧海軍関係者の一部からの論争をも喚起した。乾いた文体は、澤地の論点の中核を護るための防御壁ともなるものだったのだろう。

 そもそも澤地が、『記録 ミッドウェー海戦』を書こうと思い立ったのは、「敵味方としてたたかい、たがいにひとつの海域に沈んだ男たちについて、なにが共通し、なにが異質であるのか、かさねあわせてみたいという気持ち」からだったという。基礎的なデータをふまえて書かれた『滄海よ眠れ』を読んで私が最も衝撃を受けつつ納得させられたのは、ミッドウェー海戦の戦死者の階層性に他ならない。日本側の3千余名の戦死者中に沖縄県出身者は20名ほどいたが、そのほぼ全員が三等機関士として艦底で戦死していた。艦橋で艦の全貌を把握できた、東京帝国大学出身の学徒兵・吉田満の『戦艦大和ノ最期』(講談社文芸文庫)とは異なる世界がここにはあった。日米双方の戦死者の家族の声を拾った本書第二部からは、家庭の厳しい経済状況から中等以上の教育を断念した者が日米ともにいかに多かったかが実感できる。

 澤地は1986年の単行本刊行の際に書いた「あとがき」で、「人のいのちの重さ」それがいかに軽く扱われたかを描きたかったと述べていた。「ミッドウェー海戦の戦死者とその家族の祈り」に他ならない本書は、「戦死ゼロ」の年月を刻み続ける「日本の礎石」となるべくして書かれた本だった。2023年の文庫化に際しての澤地の「あとがき」中には、「人間の物語の微動だにしないつよさ」との一句がある。この「つよさ」を起点として、戦死ゼロの時間を止めないようにする、この思いを胸に抱いて生きていこうと思う。

 


日米戦死者3418人を突き止め、
彼らと遺族の声から一人ひとりの姿を
拾い上げた執念の記録。

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